宴の主催者
「ボクたちは目覚めたら、なぜかこの見たこともない洋館に連れ込まれていた。再確認になるが、これでいいかな?」
それがかなえの第一声だった。
おそらく、ナナコが加わる前に一度似たような席を設けているのだろう。一同は淀みなく肯定した。
「ええ、確か昨夜は、ラジオを聞いていて、それが終わってからベッドに入ったから、一時頃かしら。無理矢理連れ去られたとか、そういった記憶は一切無いわ」
図書委員殿はどうやら深夜ラジオリスナーらしい。見た目も感性も昭和を感じさせる。
「あたしも十二時くらいかな。バイトから帰ってきてそのまま布団にぐた~って感じ」
田島春は勤労少女らしい。家庭の事情だろうか、それとも遊興費の工面だろうか、どちらにしても親のすねかじりより遙かに好感が持てる。
「いやあ、皆さん、寝るの遅いですねえ。一華は一〇時にはすでにおねむですよ。ゆえに昨晩もそれくらいには寝ていたはずです。あ、もちろん、早寝なのは美容のためですよ。お子ちゃまゆえ早く眠くなるのではありません」
一華を除く全員が、彼女がお子ちゃまであると再確認したが、他の面々からも、別段、特筆に値する情報を得られたわけではない。かなえは寝た時間は曖昧だったが、それが核心に迫る情報とはとても思えない。
ナナコは少しとがり気味の顎に手を添えると、一華に尋ねた。
「一華嬢、少しセクシャルな話をしてもよろしいでしょうか?」
一華はスリーサイズ以外ならウェルカムです、と女の度量を示してくれた。
「一華嬢は何歳まで夜尿症を患っていましたか」
ナナコの不躾な質問に一華は怒るでもなく答えてくれる。
「ええと、よく覚えてません。一華ママいわく、一華は手の掛からない子で、その手のイベントは幼稚園時代にすべて消化したと言ってました」
「なるほど、それは偉いでありますね。ということは、寝る前に飲み物を飲むなど、お茶の子さいさいで?」
「はいですー。寝る前に何リットル飲もうが、夢でプールに入ろうが、鉄壁な守備を誇っているであります。あ、でもコーヒーはいかんです。あやつを飲むと眠れなく……あ、いえ、胃がきりきりしまして。ええと、基本、美容のためにホットミルクを飲むであります」
「つまり。睡眠薬を盛られたってこと?」
横やりを入れてきたのは田島春だった。
「確かに、誰ひとり起きもせず拉致されてきたんだ。睡眠薬でも盛らないと辻褄が合わないね」
「いえ、それはないでしょう」
ナナコは悠然と否定した。
「あ、いえ、もちろん、なんらかの薬物を用いたのは間違いないでしょうが、経口投与はないと思っただけですよ」
「理由を伺いたいね」
かなえは訝しげに聞いた。
「あまりにも不確定だからですよ。六人が六人とも、寝る前に水分を取るとは思えません。仮に取ったとしても、全員が全員、ホットミルクやコーヒーなど、睡眠薬を入れやすいものを嗜好しているとは限りません」
「たしかにね、あたしも飲んだとしても水だわ。それも水道水だから、どうやったって薬なんて盛れそうにないし」
「まあ、自分も再確認の意味を込めて聞いただけであります。誰かひとりくらい、夜中に用を足しにいったものでもいれば犯行時刻の推察でもできるのでは、と思いまして。ついでに犯人の陰でも見ていれば重畳ないというものです」
「ちょっと待って、犯行時刻はともかく、私たちって六人全員が拉致されたのよね?」
「たぶんね」
たぶん? 神妙な面持ちで問い返す春だったが、かなえの視線はナナコに注がれる。
「かなえ嬢がおっしゃられたいことは分かります。自分は記憶喪失なのですから、拉致されたかまで定かでないですからね。自ら進んでついて来た可能性もありますし、たまたまこの洋館に迷い込んだだけということもありえます」
「――犯人、という可能性もね」
かなえは皆が言いにくいことを指摘したが、悪意が籠もっているわけでなく、単に可能性を指摘しただけだった。
「まあ、その可能性も大いにあります」
田島春の目に鋭さが増したような気がするが、気のせいだろうか。
「疑心暗鬼になりたくないから、基本的にみんなのことは信用するけどね。それよりも私が言いたいのは、六人が同時に拉致されたってことは、犯人は少なくとも六人はいるってことではないの、ってことなんだけど」
一同は、異口同音に言葉を吐いた。
コロンブスの卵である。
大概、この手のサイコパスじみた犯罪を行う人間は単独犯と相場が決まっていたが、よくよく考えれば、犯人がひとりのわけはない。少なくとも六人以上いるのではないか、田島春はそう指摘したのだ。
一同は納得し掛かったが、発想の転換をする人物がいた。
「それはどうかな」
とは、かなえである。
「スーパーマンやお化けじゃないんだから、六人の人間を同時に拉致できる人間なんているわけないじゃない」
「わ、私もそう思います」
「一華も」
保留のナナコを除いても過半数である。民主主義的にはすでに決しているが、ここは学級会でも国会議事堂でもなかった。
「まあ、可能性だけを論じれば、単独でも可能でしょうけど」
ここに来て発言したのはナナコだった。
「そんな、ナナコまで。だってあり得ないよ、そんなの。例えば、一華を一〇時に誘拐して、次にかなえさん、次あたし、って順番に拉致していったとでもいうの?」
「可能性だけを言えばゼロではないですが、おそらく、そんな好条件が重なるのは宝くじを当てるより難しいでしょうな」
ほら、やっぱり、と鼻息を荒くする春の言葉を封じるように続ける。
「でも、そんな幸運に頼らなくても、単独で拉致することは可能ですよ。そうですね、例えば――」
ナナコはそこで言葉を句切ると、築地由佳里に向かって言った。
「図書委員殿、つかぬ事を伺いますが、今、何時ですかな?」
由佳里は急に話題を振られたためか、あるいは時計をしていないためか、慌てて周囲を見渡した。
「ろ、六時です。六時だと思います」
「朝の? 夜の?」
「え、ええー、そこまでは……」
部屋の中に置かれた機械仕掛けの置き時計では朝夕まで判別することは不可能であろう。ならば外の景色でと窓の外を見ても無駄だ。外は一面雪景色で、吹雪が昼夜の感覚はおろか、上下の感覚も狂わすほど荒れ狂っておられる。
「じゃあ、図書委員殿はなぜ、今が六時だと思われたのですか?」
「え、だって、時計に……」
「そう、時計の針の短針は確かに六を指しています。それは疑いようのない真実ですが、さて、本当にその時計は真実を指しているのでしょうか」
「……そ、そこまでは私も」
「その通り」
ナナコは指を勢いよく突きだした。
「今が本当に六時なんて私たちには分からないのです。その時計は最初から狂ってるのかもしれないし、あるいはこの館の主が意図的にズラしているかもしれない」
「まあ、そうかもしれないけど、例え今が六時でも八時でも問題ないんじゃないかな」
「全く持ってその通りです、いやあ、お春さんは鋭いですね」
春は安物のコントのような擬音を口にしながら体勢を崩した。
「あ、あのね」
「お春さんの言うとおり、私たちを拉致した人物にとって、今のところ時間は大した意味を持っていないようです。六時でも業界用語で言う二六時でも大して問題はない。しかし、それは時間だけでしょうか?」
ナナコはくるりと回り、今度は一華に似たような質問をした。
「さて、今度は一華嬢に尋ねましょうか。本日は何月何日になりますかな?」
「え、一華には時間ではなくて日にちですか」
賢明にして剛胆な少女は、由佳里のように慌てふためいて部屋を見渡し、カレンダーを探すような真似はしなかった。彼女は曜日感覚が狂ったNEETや作家ではなく、土曜と日曜を愛する現役の学生である。
一華は戸惑うことなく、今日が一月一〇日であることを告げた。
ナナコは由佳里にした質問の二卵性双生児にような質問をする。
なぜ、今日が一月一〇日だと思ったのか、と。
「え? だって昨日は一月九日ですよ? だったら今日は一〇日に決まっているじゃないですか」
「図書委員殿は律儀に時計を見て応えてくれましたよ、一華嬢はどうしてそんな当てずっぽうな真似をするのですかな」
「えー、だって、いちいちカレンダーを見る必要なんてないですよ。昨日の明日は今日なんです。それにこのおうち、カレンダーなんてありませ――」
「なるほど、そういうことか」
一華の言葉を遮ったのは、ナナコではなく、春だった。ついでにいえば由佳里も気がついたようだ。狐に摘まれたような顔をしている。
「つまりこういうことだよ」
ナナコに代わって答えたのは、かなえだった。
「ボクたちは同じ日に誘拐されたわけじゃない、ってことさ。それぞれ別の日に誘拐され、睡眠薬で今日まで眠らされていたんだよ」
「えー、そんなはずは」
一華はすがるように由佳里の方を見たが、彼女はナナコの説を補強するようにぽつりと漏らした。
「……私、今日は一月九日だと思っていました」
由佳里がその一言を発すると、ナナコを除く全員がそれぞれの日にちを口にした。
重なっている人間も何人かいたが、少なくとも全員同日に拉致されたわけではないことだけは分かった。
「なるほどね、だからかなえさんとナナコは単独犯って言ったんだ」
納得し掛かった春だが、ナナコはなんのためらいもなく否定した。
「いえ、それはかなえ嬢の説で、私は単独犯だとは思っていません。おそらくですが、複数犯でしょう」
「ちょ、ちょっと」
青筋を立てたのも春である。かなえも元々、さしたる信念があって口にした言葉ではなく、あくまで可能性のひとつとして言及したようだ。
「まあ、この茶番劇を思いつき実行したのはひとりでしょう。こんな馬鹿げたことを企画する人間がふたり以上いて欲しくありませんから。でも、何から何までひとりですべて実行するのは不可能に近いでしょう」
ナナコはおもむろに歩くと、窓辺に近寄り、窓枠を指でこすり、それを春に見せた。
「個人で睡眠薬を手に入れ、拉致を実行するのは不可能ではないでしょう。ですが、こんなお城のような洋館を保有し、ましてやここまで行き届かせるのは不可能に近い。六人分の睡眠薬の入手、六人の輸送、この館の主は、それ相応の組織力と資金力を持っていると考えた方が適切でしょう」
ナナコはことさら自分の考えを披瀝したわけではない、皆との会話でたどりついたひとつの可能性を提示したにすぎない。
だがおそらく、ナナコの説は間違ってはいないだろう、その場にいる全員が納得した。
ただ言えるのは、自分たちがひとりの狂人に誘拐されたにしろ、どこかの組織に誘拐されたにしろ、誰ひとり納得しておらず、隙あらば脱出し、あわよくば犯人に平手打ちのひとつでも喰らわしてやろうと思っているということだった。
特にかなえや春などにその傾向が強く現れている。
ふたりは鼻息荒く、復讐を誓っていたが、彼女たちの団結にひびを入れるものがいる。
「何を馬鹿なことを話し合っているの? 犯人が複数だろうが、単独だろうが、主犯は決まっているわ。『あの手紙』にはあの娘の名前がしっかり書かれているじゃない!」
振り向くと、そこには高梨冬子がいた。
ナナコを平手打ちし、一同に三行半を突きつけて部屋に籠もっていた少女だ。
ナナコを除く一同は、冬子の発言を聞くと、一瞬、視線を交錯させるが、その後、決して視線を交じらせることはなかった。
彼女のヒステリックな声がそうさせるのか、あるいは、彼女の発言自体がそうさせるのか、判断しがたいところである。ナナコは超能力者でもなければ、シャーロック・ホームズでもなく、極小の情報から天才めいた発想で物事を推し量る力などなかった。
ゆえに単刀直入に尋ねた。
あなたは私たちを拉致した犯人を知っているのですか、と。
高梨冬子はナナコを睨み付けながらも話してくれた。その口調はなかば、現実に目を背ける少女たちに向けられたものなのかも知れなかった。
冬子は便箋を見せつけるように掲げると、差出人に指を向けた。
そこには木村卓弥の妹より、と書かれている。
もちろん、その差出人の存在はナナコも確認していたが、あえて無視をしていた。
さして意味のある言葉だと思えなかったからだ。
木村卓弥の妹といっても幅がありすぎる。 現時点では誰をさしているか分からないからだ。
木村卓弥などという名前の人間はこの日本に何人もいるはずだ。
それに、その名前が本名かも分からない。
偽名かもしれないし、ペンネームかもしれない。
ゆえに放置していたのだが、ナナコ以外の人間には心当たりがあるらしい。
ナナコは周囲の反応見て納得する。
犯人は最初から自分の存在や出自を隠す気など、露程もなかったのだ。
某アイドルと似たような名前を持つ人物――
そのふざけた名前の妹君が、今宵の凶宴のホスト役らしい。
そしておそらく、先ほどから館内に木霊するこの涼やかな声の持ち主が、彼女なのだろう。
ナナコは他の少女たちとは違い、顔色ひとつ変えず、彼女の指示に従った。