留年
なにも十全かなえは卓弥の見てくれにのみ惚れたわけではない。
確かに卓弥を一目見た瞬間、胸が締め付けられ、お腹の底が熱くなったのは確かだったが、かなえは容姿よりも卓弥の内面に惹かれていた。
卓弥の中学時代にこんなエピソードがある。
中学生時代もクラスの中心にいた卓弥だったが、中学生時代から彼は面倒見の良い性格をしていた。クラスで孤立しているものを見付けては話し掛け、クラスに馴染むよう手助けをしていたのだが、そんな優等生がいるクラスにも苛めは発生する。
当初は苛めていた側も苛めという認識はなかったのかもしれない。
彼らはサッカー部やバスケ部に所属する所謂リア充と呼ばれるグループで、放課後になると嬉々として家に帰る帰宅部とは最初から剃りが合わなかったのだろう。
休み時間もスポーツや異性の話をするでもなく、深夜アニメやゲームの話しかしない所謂ヲタクにリア充たちは執拗な嫌がらせをした。
彼らが狡猾なのは、ヲタクたちにではなく、ヲタクに攻撃したことだろう。
複数に圧力を掛ければ団結されるかもしれないが、その中のひとりに標的を絞れば、気の弱い少年たちのこと、見て見ぬ振りをするだけと踏んだのだ。
予想は見事に当たり、T垣くんは見事に不登校児になってしまった。
卓弥はT垣くんの助けになってやれなかったことを悔やみ、先生に頼まれるでもなく、毎朝、T垣くんを家まで迎えに行き、一緒に登校しようとうながした。
もちろん、そんなことで登校するならば、苛めなどに屈するわけがない。
T垣くんが卓弥と会ってくれるようになるまで、三ヶ月近い時間を有した。
そしてさらに一緒に登校するようになるまで、一ヶ月以上掛かるのだが、そこでめでたしめでたしとならないのが現実というものである。
T垣くんが登校するようになってからも苛めは収まることはなかった。
ある日、給食の時間、プリンが余っているのに、お盆にプリンが乗せられていない生徒がいることに卓弥は気が付いた。
卓弥は当然のようにプリンを受け取りにいったが、身長一八〇センチ近いバスケ部の部員は、卓弥に一目は置いていても、素直に言うことを聞くようなタイプでもなかった。
バスケ部員は、わざとらしくプリンを床に落すと、「悪い、もうねーや」とヘラヘラと笑った。
卓弥は眉ひとつ動かさずに、
「俺の友達がプリンを食べたがっている」
と、大男を睨み付けた。
バスケ部員は尚もヘラヘラと顔を歪ませながら、
「なら、床に落ちた奴を喰えよ」
と笑った。
卓弥は一言も発することなく、それを実行した。
もちろん、床に落ちたプリンに接吻をしたのはバスケ部員の方だった。
担任の教師はもちろん、リア充以外のグループ、特に女子は卓弥を全面的に支持したが、暴力は暴力である。卓弥は生活指導の教師にこっぴどく絞られ、リア充グループを敵に回した。
後日、T垣なんて助けてもなんの特にもならないのに、と、友人に尋ねられたことがあるが、卓弥は戯けながら、
「T垣はゲームを一杯貸してくれるんだよ」
と言うだけだった。
ちなみに卓弥のゲーマー度は妹相手に落ちものパズルをしたり、サッカーゲームをするくらいだとここに明記して置く。
――と、この様に卓弥には十全かなえを惚れさせるエピソードに事欠かないわけである。
卓弥の長所を挙げれば朝まで話すことも可能だったが、この辺で割愛させていただこう。
かなえには残された時間が少ないからだ。
卓弥と出逢った日を卓弥記念日と銘打ち、数年分のカレンダーに赤○を付けているかなえだったが、今にして思えば出逢うのが遅すぎたと言わざるを得ない。
卓弥の魅力に気が付き、ストーカー行為を始めて早数ヶ月、一向に振り向いてくれる気配はなく、警察のご厄介になる兆しもなかったが、季節は秋に差し掛かろうとしていた。
ちなみに十全かなえは高校三年生である。
つまりあと半年しか卓弥と学園生活を送れないというわけだ。
卓弥は一年生であるからして、一緒に卒業することも叶わない。
「制服の第二ボタンはもちろん、かなえに予約してあるよ」
とか、
「学校を卒業するのと同時に、童貞も卒業させてくれ、かなえ!」
とか、
「卒業式が終わったら次は結婚式だぜ、ベイベー」
とかいうイベントも起こりえないわけである。
これは由々しき問題であった。
かなえは三日三晩考え込み、、大好きな大岡越前もお預けにし、達した結論を学年主任にぶちまけた。
だが、かなえの決意も「ふざけたことを言うな。御両親に報告するぞ」の一言で切り捨てられた。
腹が立ったので、全教科赤点を取ってみたが、
「お前は今まで九〇点以下を取ったことがないからな。まあ、高校三年の二学期三学期など、遊びみたいなもんだ」
と、けんもほろろだった。
「どうしよう」
かなえは珍しく慌てたが、慌てたところでどうにもならないのが人生というものである。
かなえはいつものように遅刻ギリギリに登校した。
そこで天啓のような言葉を聞くことになる。
「コラ! 十全、また遅刻ギリギリか。いいか、遅刻は三回で一回の欠席扱いになるんだぞ。社会人になったら一回の遅刻が命取りになるんだ。って、おい、聞いているのか、十全」
かなえは飛び上がりそうなほど喜ぶと、
「女の子の日なんで一旦家に帰ります」
と、きびすを返した。
ちなみに翌日もその翌日も、月のうち半数は「自称ブルーデー」と言い張り、残り半分は「キャトルミュティられた」「大宇宙の電波が」「あばばばばば」と言いわけをして、午前の授業をふけた。
当然、かなえの素行は職員会議で取り上げられたが、かなえは学校始まって以来の秀才と言われており、現役東大合格者として発表できる戦力である。無碍に扱うわけにはいかなかった。
ゆえに、これは温情措置である、と前置きした上で、特別試験を受けることで出席日数をどうにかしてくれることになったのである。
ちなみにテストは因数分解も怪しいような劣等生向けに作られたものだったが、かなえは回答欄にすべて自分が考えた怪獣の名前と特徴を列記した。
当たり前であるが、そのような態度で卒業させてくれる公立学校など、存在するはずがない。
創立以来の天才と謳われた変人は、こうして三年生を二度繰り返すことになったのである。
ちなみにかなえはもう一年、留年する気まんまんであるが、学年主任には、
「また同じことをしたら今度は退学だ」
と、釘を刺されていた。
卓弥ともう一年、一緒にいられることを喜ぶべきか、一緒に卒業できないことを嘆くべきか、判断に迷うところであるが、かなえは色々な意味で、まだ諦めていなかった。




