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かなえの恋

 十全かなえは黙ってさえいれば、ただの美少女女子高生である、という評価は前回お伝えしただろう。その認識は全校生徒が等しく共有するものだったが、ここに来て大幅な修正を強いられることになる。


 黙っていれば美少女、というふたつ名の他に、さらに不名誉な異名を得ることになったのだ。


 その異名とは――



 対木村卓弥最強のストーカー。



 その異名はSNSやツイッター、学校裏サイトを通して瞬く間に広がる。


「あの十全かなえが甲斐甲斐しくも毎日お弁当を作り、卓弥に振る舞っている」

「あの十全かなえが恋愛小説を読み、詩集を読んでいた」

「あの十全かなえが物陰から卓弥を見守り、時折、頬を染め上げている」


 さまざまな目撃証言がネットや口伝によって学校を駆け巡ったが、ちゃんとオチも用意されていた。


「お弁当は作っているが、料理などカップメンしか作ったことはないと公言しているとおり、そのできは非道く、猫も跨ぐそうだ」


「恋愛小説? ラノベが恋愛小説ならばそうだろ。詩集? 逆さまにして読んでるのが読んだ内に入るのならそうだろうけど」


「卓弥を物陰から見守る? あれがそんな表現でいいなら、ストーカー規制法など必要ないだろ」


 と、この様になる。

 

「あの」という言葉が象徴しているのは、かなえの変わりものぶりだが、実はそれ以上にかなえの恋愛観を指している。


 かなえが女に興味がないのは周知の事実だったが、だからといって男に熱を上げるようなタイプだとも見なされていなかった。


 まさかこんな熱烈なモーションを掛ける情熱家だとは思われていなかったのである。


 そしてなによりも周囲を驚かせたのは、十全かなえの美しい脚線美だった。

 彼女は一夜にしてスパッツとズボンを投げ捨てると、衆目にその生足を晒した。


 正確に言えば卓弥に見せつけるために宗旨替えをしたのだが、健全な男子が悶々とするという副作用を産んでいた。


「あんな美人に迫られてうらやましい」


「あんなに情熱的なところが有るって知ってたら、絶対アタックしたのに」


「氏ね、木村」


 とは、卓弥の級友たちの偽らざる心境である。


 そりゃあ、教室に現れるたびに(卓弥だけに見えるように)スカートを捲し上げたり、盛りきった新婦のように夫に抱きつく姿を見せられたら、右記のような評価になるに決まっている。


 かなえの言動は相変わらずの変人ぶりだったが、やはり少年たちの注目を引くのに十分な容姿を持ち合わせていた。


「で、かなえ先輩と付き合うの? 付き合わないの?」


 とは、密かにかなえファンを自負している級友の台詞である。彼は詰まらなそうに片手で頬杖を突きながら尋ねた。


「付き合わんよ。俺は忙しいんだ。バイトに家事、そろそろ受験の準備もあるしな」


「じゃあ、なんで、十全先輩が好きなんだ、って嘘を付いたんだ」


「……仕方ないだろ。先月告白してきた子が、他に好きな子がいるならともかく、好きな子もいないのに諦めることはできません、って言うんだから」


「で、当たり障りのなさそうなかなえ先輩を選んだわけか。……こりゃ、同情できないわ。大人しく付き合えよ」


「あのなあ。つうか、お前、かなえ先輩のことが好きって言ってたじゃないか? いいのか? 他の男に取られて――」


 卓弥は言葉を最後まで続けなかった。級友の意図というか、魂胆が丸見えだったからだ。


 見れば彼の制服の胸ポケットから写真が顔を覗かせている。


「……写真一枚で友人を売ったのか」


 級友は、「馬鹿野郎」と即座に否定する。


「写真ではなくキスマーク付きブロマイドと言え。それにこれは手付け金だ。成功報酬は別にある。まあ、ともかく、俺はかなえ先輩を推薦するぞ。案外、お前と相性が良いような気がする」


「だから、俺はバイトや勉強が」


「その勉強だよ。お前、東大狙ってるんだろ? かなえ先輩はどこ狙ってるかは知らんが、最低でも国立って進路相談で太鼓判を押されているそうだ。一緒に勉強すれば学力アップに繋がるし、かなえ先輩が彼女になれば悶々とした青春の葛藤をすべて受け入れて貰えるぞ」


 級友はそこで息継ぎをすると、


「まあ、ともかくお前も彼女くらい作れよ。女っ気のない青春なんて悪夢だぞ」

 と背中を叩いた。


 卓弥は徐ろに立ち上がると、友人に賄賂渡した先輩を探しだし、屋上に連れて行った。


 屋上に着くなり、かなえは嘯く。


「なんか恋愛小説みたいだね。屋上に連れ込まれて愛の告白だなんて」


 頬を染め上げる十全かなえの頭を限りなく強く叩く。


「しかも、ボクの恋人は乱暴なプレイがお好きらしい。でも、大丈夫、ボクは君のどんな性癖も受け止めるよ」


 しかし、かなえは即座に前言を翻す。


 きびすを向ける卓弥に、

「あ、嘘ごめん、放置プレイだけは無理、堪忍して」

 と、袖を掴んできた。


「はぁ……、先輩、いつまでこんなことを続けるんです」


 卓弥は溜息混じりに尋ねた。


「ボクとしては結婚後もこんな感じでいたいな。夫婦っていうより、ずっと恋人で在りたいんだ」


「結婚って……」


「ああ、もちろん、今すぐにとは言わないから。君はまだ一六だから結婚できないしね」


「……俺は結婚なんて。あ、いえ、かなえ先輩が嫌とかでなく、俺、結婚という制度自体に疑問を持ってて」


 かなえはその一言で、卓弥の鬱屈した何かを感じ取ったが、あえてそのことは追求せず、別方面から攻めることにした。


「まあ、ボクも結婚なんかにはこだわらないよ。お互い腰が曲がるまで一緒に暮らして、若い内は退廃的且つ官能的に過ごせればそれで十分さ。つまり、何が言いたいかと言えば、ボクの彼氏になりやがれ、この野郎」


 卓弥は当然「謹んで辞退します」と言ったが、かなえはそれで引き下がるような女ではない。


「ぶーぶー、ずるいぞ、君はボクを虫除けに使おうとしたそうじゃないか。君が振った子が言いふらしたみたいだけど、その評判のせいでボクに素敵な恋人ができなくなったらどうしてくれる」


 かなえは頬袋を膨らませる。


「その件については深く謝罪します。ですが、仮に俺がかなえ先輩のことが好きという噂が広がったとしても、かなえ先輩には不都合がないのでは? かなえ先輩はとても綺麗ですし、放っておいてもそのうち恋人くらい――」


 かなえは卓弥の言葉を遮るように、「あのねえ」と嘆息する。


 そして卓弥のネクタイを掴み引き寄せると、

「君は自分がどれくらい魅力的か分かっていない」 

 と、卓弥の眼前で宣言した。


「男前だし、笑顔は可愛いし、人の機微に敏感で思慮深いし、勉強はできるし、スポーツもできる。将来絶対出世するだろうし、それよりもなにも――」


 と、卓弥の懐に入り込むと、腰に手を回し、抱きしめる。


「自分の惚れた女以外、どんないい女もダボハゼ以下に扱うところがとてもいいよ。いつか君の心からその女を駆逐してやる――」


 かなえはそう宣言すると卓弥の顔を見上げ、次の言葉で締めくくった。


「――そしたら今度はボク以外の女がダボハゼになるんだ」


「………………」


 十全かなえはとても綺麗な瞳と顔立ちをしていた。


 仮に彼女の恋人になるものがいたとしたら、そのものは三国一の果報者といえるだろう。


 恋愛をする水準に達していないのは、十全かなえではなく、卓弥だった。

 一方は片方の空虚な心の隙間を埋めたいと願っていた。

 一方はそれを望んでいなかった。

 その隔たりがある限り、ふたりが結ばれることは永遠にないように思われた。

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