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冬子と卓弥

「……痛い?」 

「全然」

「……痛いんでしょ?」

「どこが?」

「……本当は痛いんでしょ」

「だから痛くねえって」

「……嘘つき」

「ほんとだって」

「……嘘」

「そば」

「……?」

「しりとりだよ、しりとり、ば、な、ば、は、でもいいんだぞ」

「馬鹿ッ!!」


 冬子は小学生にしてツンデレの片鱗を見せると、卓弥の背中を叩いた。


「ぐぉ……、お、おまえは鬼か……」


 苦しみ悶える卓弥だが、冬子の顔を見ると「な、なあんてな」と、表情を作り直し、「なんなら背中の上でタップダンス踊ったっていいんだぜ」と、白い歯を覗かせた。


 しかし、冬子にはそんな冗談は通じない。いや、冬子だけではない。


 背中全体にミミズ腫れが広がり、血が滲んでいては、どんな間抜けな人間でも卓弥の言葉など信用しないだろう。


「……どうして庇ったの?」

「誰を?」

「私をよ」

「どうして?」

「私が聞いているの!」

「いや、別に庇ってないし」

「庇ったわよ」

「庇ってない」

「庇った」

「分かった。……た、な? だ、でもいいんだよな、ええと――」


 卓弥は途中で言葉を止める。冬子の目は殺人未遂容疑者そのものであり、今すぐにでも背中でタップダンスを始めようかという表情をしていたからだ。


 卓弥は、嫌々というていを崩さず、面倒くさそうに説明を始めた。


「――皿を割ったのはお前だけど、野球しようぜ、って言ったのは俺だからな。いわゆる監督者責任ってやつだ。だからお前は気にしないでいい」


「……何が監督者よ、私の方が年上じゃない」


「誕生日なんて一ヶ月も変わらないだろ」


「でも、学年は私が上よ。だから敬いなさい」


「へいへい、だから、罪を被ったでんございますよ、お嬢様」


「嘘よ……」


「嘘なもんか、他に理由はない。それとも、俺が冬子のことを好きだから庇ったと思ってるのか?」


「……ッ!!……」

  

 冬子は瞬間湯沸かし器のように耳まで真っ赤になる。

 図星だったからだ。

 だが、冬子はすぐに冷静さを取り戻す。

 その発想は些か都合が良すぎると自覚できたからだ。


 自分のような我が儘で理不尽な女と遊んでくれているのは、単に冬子の母親の「仲良くしてやってね」という言葉を実行してくれているにすぎない。あるいはこの歳になっても友人のひとりもいない少女に対する哀れみか……。


 どちらにしろ、卓弥にとって冬子など、厄介なお嬢様にしかすぎないのだ。


「――おまえが割った、と言っても、爺さんは信じてくれないからだよ」


 卓弥は唐突に言った。


「そんなことないわ」


 と、冬子は反論することができなかった。


 高梨信晴は孫の冬子に甘いともっぱらの評判であるが、無原則に甘やかしているわけではない。物心つく前から、礼儀作法や稽古事を仕込まれていたし、年相応に悪戯をすれば雷が飛んでくるのだ。


 だから冬子が「万暦赤絵」なる皿を割ったと知れば、それ相応のお仕置きはされたはずである。もっとも、庭にある蔵に数時間閉じ込められる程度のたわいないお仕置きであるが。


「たわいなくなんかあるか。暗いの怖い、って泣いてた癖に」


「……泣いてなんかいないわ」


「いや、泣いてた。皿を割ったとき、どうしよう、蔵はいや、暗いのは怖いわ、って子供みたいに泣いてたじゃないか」


「……小学生は子供よ」


「いつもは子供扱いしないでくれる、とか言ってる癖に」


「……だから庇ってくれたの?」


 冬子はおそるおそる尋ねてみる。

 だが卓弥はゆっくりと首を振る。


 やけに落ち着いた表情と口調だった。年齢に似合わないその表情が、彼のこれまで、あるいはこれからの苦労を象徴しているようだった。


「違うよ。さっきも言っただろう。俺が正直にお前がやったって言っても、いや、逆にお前が自分がやりましたって自首しても、俺が現場にいる時点で決まっていたんだよ、犯人は。……だから、俺はあの場で最も被害が少ない方法を選択したんだ。例えばあの場でお前がゲロってたら、爺さんは、冬子は偉い子だ、と言って頭を撫でるだけさ。で、俺はお嬢様に罪を(なす)り付けようとした悪者に。なら、自分から自首するのが一番さ」


 卓弥はそこで一息付くと、涙ぐんでいる冬子の頭を軽く撫で、

「だからお前は気にするな」

 と、その日一番の笑顔を見せた。


 冬子は、

「泣いてなんかいないわよ、馬鹿」

 と、いつもの強がりを見せた。


 それから三日間、卓弥は床に伏せることになり、冬子も祖父の目を盗んでは逢いに行っていたが、卓弥は一言もこの日のことは口にしなかった。


 冬子も惚けられるのが分かっていたので、それ以来、この日のことは口にしていない。


 それはふたりが成長したあとも同じである。

 ふたりはそんな関係だった。

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