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高梨家

 高梨源三郎(たかなしげんざぶろう)は信濃地方の貧しい農家の家に生れた。


 世界恐慌真っ直中の寒村に生れた三男坊、他に八人も兄弟がいることもあり、源三郎は齢一二にして丁稚奉公に出された。


 自分の寝具と衣服を文字通り担いで奉公先に向かったわけだが、後に実家から寝具を返してくれと言われたのは笑い話ではなく、生家の困窮具合の良い物差しだった。


 源三郎は受け取りに来た兄に何も言わず布団を返したが、それが今生の別れとなった。兄は後に出征し、呂宋(ルソン)の名も知れぬ島で戦死したらしい。遺骨も戻ってこなかった。


 源三郎は兄弟の死に無感情ではいられなかったが、泣いたりはしなかった。高梨源三郎はあの村が、生家が、父親が、母親が、兄弟たちが、嫌いで仕方なかったからだ。


 大して働きもせずに昼間から酒を煽り、妻や子供たちに暴力を振るう父が憎たらしくて仕方なかった。その理不尽な暴力をただ受け入れる母や他の兄弟たちも源三郎に言わせれば同罪だった。


「俺は違う。あいつらのようにはならない」


 奉公に出された日、源三郎はそう誓ったものだが、あいつらとは誰を指しているのだろうか。自堕落で無能な父親か、それに付き従う兄弟か、死んだような目をしている村人か、あるいはこの日本国に住まう人間すべてなのかもしれない。


 高梨源三郎は持ち前の功名心と努力により、日進月歩というよりは秒進分歩で社会の上層階駆け上がっていった。


 奉公に出された信濃の華族の家で当主に気にいられると、源三郎は十代にしてその家の家令のような立場になり、そこで人脈を築き、終戦を待った。


「毎日肉を食い、総天然色の映画を作るような国に勝てるわけがない」


 と、源三郎は開戦当初から日本の敗北を予見していたのだ。


 戦争が終わりを迎えると、丁度、というわけではないが、源三郎が仕えていた華族の当主も亡くなった。最大の頸木(くびき)だった彼女もすでに館にはなく、もはや源三郎がこの館に留まる理由も喪失していた。


 源三郎は家財の後処理を済ませると、この館に来たときのように身ひとつで焼け野原の東京へと向かった。以後、二度と信州の地を踏むことはなかった。


 高梨源三郎は己の身ひとつで成り上がっていった。


 闇市で巨額な金を稼ぎ出すと、その金で潰れかけた紡績工場を買い取り、商品を海外に売り、得た利益と銀行に強引に融資させた金で事業を拡大させていった。


 奉公時代に培った人脈に寄るところも大きかったが、それ以上にGHQの存在が大きかった。戦後の財閥解体は源三郎のような能力がある人間には最大にして唯一の好機だったのだ。


「革命の混乱期でなければナポレオンなど貧乏軍人で終わったし、戦国時代でなければ太閤秀吉も水呑み百姓で人生を終えただろう」


 戦後の混乱が高梨源三郎を成り上がらせたのである、


 高梨源三郎は「もう戦後ではない」という標語が用いられる頃になると、押しも押されぬ財界人となっており、周囲の人間からは、侮蔑と畏敬の念も込めて、


「稀代の山師」


 と呼ばれていた。

三十路そこそこで大富豪になったわけである。

 ただ、高梨源三郎が非凡なところはそれで満足しなかったところにある。

 彼は大成功を収めていた紡績事業をあっさりと他人に売った。


「これからは車の時代が来る。一家に一台、車を持つ時代になるだろう」


 源三郎はそう宣言すると、売却で得た資金で、手頃な会社を買収し、車屋を始めた。


 成功、と呼べるまでに二〇年近くの歳月を要することになるが、その頃には紡績会社時代の数百倍の利益を上げるようになっていた。


 さらに昭和も終わりを迎える頃になると、高梨家は俗に「財閥」と呼ばれる規模にまで膨張し、日本経済を、いや、政財界の重鎮と呼ばれるまでに成っていた。


 もはや彼のことを、「稀代の山師」と呼ぶものは誰もなく、その圧倒的な才覚と昭和という時代への敬意も込め、人々は彼のことをこう呼んだ。


「昭和の怪物」


 その言葉は、言われた方よりも言った方に哀愁を感じさせるのはなぜだろうか――



 高梨源三郎は日本有数の財閥の当主になったわけではあるが、その私生活は順風というわけでもなかった。子は法的には四人、妾腹も含めれば確認できるだけで一〇人はいたが、そのどれもが満足いくデキではなかったのだ。


 高梨源三郎は息子たちを集めると、こう宣言した。


信晴(のぶはる)、お前は商売の才能がない。だから政治家になれ。信昭(のぶあき)、貴様は多少商売の才覚がある。だからお前に経営を任せよう。ただし――」


 源三郎は子供たちに二の句は告げさせない。


 高梨家では源三郎の言葉がすべてなのだ。


「当主は当然ながら、長男である信晴のものだ。いいか、努々長幼の序を忘れるな。兄弟で争って家を遺した事例は古来、ひとつたりともないぞ」


 源三郎は自分は長男ではない癖に、物事の道理は弁えていた。実力がすべてなのはあくまで混乱期であり、太平の世に実力主義だけに捕らわれれば、家を傾けることを知っていたのだ。 豊臣秀吉は実子に拘泥するあまり、藩屏(はんぺい)となるべく一門衆を殺して家を傾けた。逆に徳川家はどんなに無能でも、必ず世子を跡継ぎにした。その違いが十数年と数百年という数字となって現れるわけであるが、その例え話からも分かるとおり、高梨源三郎は高梨財閥の永続を望んでいた。


 未来永劫、子々孫々に至るまで高梨家の始祖として敬われることを望んでいたのである。


 ただ、残念なことに嫡出子であるふたりの息子は、源三郎ほど強い生命力に恵まれていないようだった。


 双方に妻はいた。ただ、不甲斐ないことにもどちらも女ひとり孕ますことのできない木偶の坊だった。


 弟の信昭の方は三人の子がいたが、ふたりが女子であり、折角の男子も夭逝させてしまっている。


 高梨財閥の後継者となるべき男子がいないのだ。


 源三郎は昭和の怪物の異名に相応しく、女児など閨閥政治のコマくらいにしか思っていなかった。最悪、一族の人間の男子と結婚させ、血脈を保つことは可能であるが、やはり嫡孫ともいえる男子が欲しいという気持ちは抑えようもなく、源三郎は満たされぬ気持ちで老体を養っていた。


「男子が得られないのは己が業のせいか……」


 心当たりが有り過ぎた。


「……直接人を殺めたことはないんだが」


 だが、その心が天使のように清らかと言うつもりもなかった。


 ビジネスとは、資本主義とは、成り上がるとは、他人に恨まれることと同義である。


 脅迫状の類は書斎を埋め尽くすくらい受け取っていたし、刀傷沙汰や目の前で焼身自殺をされたことも一度や二度ではない。


しかし、そんな源三郎も一日千秋の思いでその瞬間を待ち侘びることもあるのだ。

 源三郎は使用人からうやうやしく報告を受け取ると、正門に車を着けさせた。


「信晴様の奥方が産気づいたようです」


 使用人が告げた言葉は、政財界の重鎮に告げる言葉にしては所帯じみていたが、当人にとっては重大な言葉だった。


 なぜならば長男の妻である小百合からは、

「男の子を授かった」

 という報告を受けているからだ。


 健康な男児ならばその子が強大な高梨財閥を継ぎ、源三郎の名を、意志を、後世に伝えてくれる存在になるのである。


 胸がはやらないわけがない。


 高梨源三郎は、病院の前の駐車禁止スペースに堂々と車を止めさせると、すでに誕生しているだろう可愛い孫の病室へと向かった。


 まずは孫の顔を見、次に長男夫婦に労いの言葉を掛けてやろう、そう思って病室に入ったのだが、そこはまるで葬式の会場のように静まりかえっていた。


「……死産か」


 源三郎は恐れおののく医者の顔を一瞥するとそう言った。


「い、いえ、決してそのような、健康なお子さんですよ……、健康な……」


「ならばどうしてそんな顔をしておる。高梨家の跡取りが生れたのだぞ。もっと喜ばぬか」


 この言葉は医者にではなく、長男夫婦に向けたものだった。

 

 だが、長男は押し黙ったまま「申しわけありません、申しわけありません」と地に頭を擦りつけていた。


 この男はいつもそうだ。父親の顔色ばかり伺い父性への相克を実現させようともしない。父親の言葉を神託のように敬い、自分で物事を考えることはないのだ。ゆえにその才能を見限り政治家にしたのだが、今日その日、つまりこの瞬間だけはいつもとは違った光彩を放っていた。


 この男も人の親になった、ということであろうか。


「父上、お許しください。私たちは夫婦は、いえ、私は父上を(たばか)っておりました」


「謀るとはなんじゃ」


 昭和の怪物はぎろりと黒目を向けた。


「……は、妻に授かった子供は、男の子だと申していましたが、実は……、実は女の子だったのです……」


「わしに嘘をついた、と言うことか」


「……結果そのようになってしまいました。さ、最初は本当に男の子だと医者に言われてのです。すぐに間違いだと訂正されたのですが、その頃にはもう父上には報告してしまって……」


「そして今まで言い出せなかった、というわけか」


 信晴は叱責、あるいは廃嫡をも覚悟して身構えたが、意外にも源三郎から受けたのは、


「たわけめ」


 という力ない言葉だった。


 それほどのショックだったのだろうか。


 だが、それをそれ以上、表情や言動には出さず、晴信の妻、雪乃に労いの言葉まで掛ける辺りに、この男の器の大きさ、あるいは人間味のなさが現れているのかもしれない。


「さて、孫娘の顔でも拝見するか。それに名も付けてやらねばなるまい」


 源三郎は母親の腕に抱かれている新生児の下まで歩み寄ると、骨董品でも見るかのように値踏みした。


 特権階級の娘は政略結婚、つまり有力者との閨閥(けいばつ)を築くのに役立つのである。そう無碍(むげ)にするものでもない。


「……ふむ、そうじゃの、……麗子(れいこ)、でいいか、きっと美しいおなごにな――」


 源三郎翁はそこで言葉を止める。


「どうかしましたか? 父上? 麗子、美しい名前ではありませんか」


「……いや、止めておこう」


「はぁ……、ではなんと?」


「―雪子――」


「とうこですか? どういう字を書くのでしょうか?」


「――そうだ、雪の子と書いて雪子がいい。この子はあの人と同じ場所にホクロがある。この子はきっと……」


「雪の子ですか? ですが今は春ですよ、父上。もう桜の花が――」


 もはや源三郎の耳には、言葉は届いていなかった。

 雪子――

 大河原雪子、彼女は源三郎の初恋の少女だった。


 親に棄てられ、奉公先の人間にも粗略に扱われていた源三郎を唯一人間として扱ってくれた少女の名であった。


 結局、年上の少女は早くに嫁に出され、嫁ぎ先で早世してしまったため、源三郎の恋は実ることはなかったが、天は彼女を源三郎の孫として生まれ変わらせたのだろうか。


 無論、生まれたての新生児など、猿にも等しく、美しかった少女の面影など、微塵もないのだが、源三郎は赤子が雪子の生まれ変わりだと信じていた。


 長ずるに従い、その自信は確信へと変わるのだが、実はこの時点でとある重大な事柄が決定していた。


 高梨雪子、その名がこの赤子に付けられた時点で、高梨家の次期当主は定まったようなものだった。


 それにその娘である高梨冬子の運命にも直結する。

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