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十全かなえ

 十全かなえは県立高校に通うどこにでもいるような普通の女子高生だ、と言い張ることはできるだろうか。


 まず見目は麗しい。


 街角を歩ければ十人中七、八人の異性は無意識に視線をやり、そのうち数人は見入ってしまうほどに。


 中には見とれてしまい恋人や妻に小突かれるものもいることだろう。


 そう、十全かなえは黙って鎮座していれば、どこからどう見ても美少女女子高生にしか見えないのだ。あくまで黙っていれば、だが――


「ねえねえ、かなえっち、先週、またモデルにスカウトされたってほんと?」


「ん? まあ、たぶん、ほんと。知らないオッサンにジャンバラヤとパフェ奢って貰った」


「すごいよ、ほんとすごい」


 我がことのように喜ぶ級友。


「まあ、でも、モデルと言ってもピンキリだからねえ。スーパーのチラシもモデルだし、ほら、写真館に張ってあるどこぞの幸せそうな家族の七五三写真もモデルはモデルだ」


「まあ、そうだけど……、でも、かなえを誘うのはみんなプロのスカウトなんでしょ。なんでも佐々(さつさのぞむ)をスカウトした人の所属する事務所だとか、やっぱりすごいよ」


「さあ、どうだが、アイドルに逢わせて上げるから、って言ってホテルに連れ込む輩と変わらないよ。それにそういうのメンドイし、正直どうでもいいや」


 かなえがモデル事務所に登録していないのは、単に面倒だから、というのはもはや定説となっている。


 同級生たちに言わせれば勿体ないの一言なのだろうが、かなえに言わせれば芸能界の何が楽しいのだろうか、ということになる。


 実際、かなえは他の少女たちのようにあまりTVを見ない。


 どの芸能人とどの芸能人が結婚したとか離婚したとか、芸能人が内輪話で盛り上がったり、どこかに旅行したり、クイズ番組で賞金を貰って喜んだり、そんなのはほんと果てしなくどうでもいい。


 そんなものよりも、


「いよっ、大岡越前守。いや~、男前の中の男前だね」


 と、時代劇の再放送を見たり、


「ムネリン、かっとばせー!! ヘイヘイヘイ、ピッチャーびびってるッ!!」


 と、きゅうっと冷やした炭酸飲料片手に、ケーブルTVでやっているパリーグの試合でも見ている方がよっぽど楽しかった。


 もちろん、かなえは級友たちのようにファッション雑誌など読まない。


 美容室で暇潰ししたり、付録が気に入ったときに手に取る程度で、普段は「週刊ベースボール」と「少年チャンピオン」を愛読していた。


 ファッションに興味がないのである。

 もっとも、だからといって服装の趣味が悪いわけではない。


 いや、無頓着なのだが、同じ無頓着でも、他の凡庸な人間と大きく違うところは、


「ジャスコで安かったから買ってきた」


 と、母親が得意げに広げる安物のブラウスも見事に着こなしてしまうところだろう。


 かなえがその一枚七八〇円のブラウスに袖を通せば、


「ねえ、十全さん、そのブラウス素敵ね。どこで買ったの?」


 となる。


 ジャスコはかなえにアドバイザリー契約料でも払うべきだろう。中国製の安物ジーンズでも、かなえが穿けば三倍くらいは高そうに見えた。


 もっとも、モデルにするならばパンツ専門と割り切るしかない。十全かなえはスカートが大嫌いなのだ。


 どれくらい嫌いかと言えば、幼い頃、かなえに無理矢理スカートを穿かせようとした母親を巴投げしてしまったくらい嫌いなのだ。


「スカートはすうすうする。着てる奴はみんなナヨナヨしているし、ボクはこんなもの、一生穿かないぞ!!」


 身長一七〇センチ近い偉丈夫になったかなえに無理やスカートを穿かせる剛のものはもはや存在しないだろう。実際、学校にもスカートの下にズボンやスパッツを穿くことを認めさせていた。


 年頃の可憐な少女たちがいかに生足を綺麗に見せるか、スカートの丈を短くするかにこだわる中、ひとりスカート+パンツルックの少女は、奇異の眼差しを向けられるのに十分だったが、当人はまったく気にした様子もない。


 中学に入ってからはずっとこのスタイルを通していたし、またそのスタイルが似合っている以上、誰もかなえを指弾することなどできなかった。


 それどころか一部女子を中心に人気が出るのは避けようもない。

 いわゆる、「お姉様」という奴である。


「お姉様、家庭科の時間にクッキーを焼いたんです」

「お姉様、スカーフが曲がっていましてよ」

「お姉様、放課後、体育館の裏に来てください」


 その手のお誘いに事欠いた日はなかったし、下駄箱に手紙類が途切れた事もなかったが、彼女たちは大きな間違いを犯しているといえる。


 確かに十全かなえはその長身と服装も相まってか、そっち方面の人間だと誤解される。有りていに言えば、宝塚に入団したら絶対娘役にはなれない雰囲気を醸し出している。


 年頃の少女が好む話題にも興味は無かったし、トイレに入っても水を無駄使いするようなタマでもなかった。


 だが、それでもはっきり言わせて貰えば、十全かなえは、

「一〇〇パーセントノーマル」

 と、胸を張ることができる。


 初恋の人は子供の頃に見たアニメの主人公、友人を殺されると髪の毛が金髪なる人だし、今現在、お熱を上げているのも野球選手で、球界一のイケメンと呼ばれている俊足好打の二番打者だ。


 かなえはそのことを隠すでもなく、普段から公言しているのだが、少女たちの求愛行動は止む気配がない。


「一人称が悪いのかなあ」


 と思わなくもない。


 特に意識して、「ボク」と言っているわけではないのだが、今さら、「わたし」や「あたし」に変えるなどこそばゆくて仕方がない。


 それに――


 スカーフの曲がりを無理矢理直されたり、体育館裏に呼び出されるのはともかく、


「お菓子を焼いたんです」

「お弁当を多めに作ってしまって」


 等のお誘いは有り難いことこの上ない。


 最初の頃は中に何を入れたんだろう、と思わないでもなかったが、髪の毛くらいでは腹も壊さないし味にも影響がないと分かると、今ではかなえの食生活の一部になっている。


 最近では、弁当をくれる娘には軽い抱擁を、菓子類には「いい子いい子」のサービスまで心がけるようにしている。かなえの尊敬する野球選手はどんなときにもサインを断らないらしいので、かなえもそれくらいは、と始めたのだがなかなか好評なようだ。


 その日もタルトを作ってくれた下級生を撫でると、彼女と短い会話を交わしていた。


 好きな食べ物や趣味、休日に何をしているかなど、たわいない女子高生の会話そのものだったが、その日は一点、いつもにはない会話の種が含まれていた。


「木村卓弥?」


 ええ、そうです、と小柄な下級生は頷いた。


「その変な名前の奴がどうしたんだい。まさか、ボクに決闘でも?」


「まさか、違いますよ。隣のクラスの男の子なんですけど、すごく格好良くて」


 かなえは「ムネリンよりも?」と問うたが、少女は野球に詳しくないようだ。しかし、すごく格好いい、とは今し方タルトをプレゼントした相手に失礼ではないのか。彼女にとってかなえなど遊びにしか過ぎず、いずれは普通に異性とイチャイチャするのだろうか。


「……もっとも、今、ボクにお熱を上げてる子のほとんどがそうなのだろうけど」 


「え、何かいいました?」

「いや、別に」


 がっかりしたわけではないが、一抹の寂しさを覚えるのも確かである。それと空腹感も。かなえの食生活は彼女たちに支えられているのだ。


「それでその色男がどうしたんだい」


 かなえが吐息混じりに尋ねると、少女は「あくまで友達の話ですが」と前置きし、卓弥のことが好きな友達がいる、どうすれば恋がうまくいくのだろう、と相談をしてきた。


「友達……ね」


 おきまりのパターンであるが、別に気を悪くしているわけではない。彼女が女としての幸せに目覚めるのは良いことであり、手助けもしたいが、一七年間処女であるかなえにアドバイスをすることなどなにもないだろう。


「――というわけさ。寄りにも寄ってボクに恋の相談なんて、キリストに夜の四八手を尋ねるようなものさ」


 と、軽く茶化してみた。


 だが少女は尚も食い下がる。「いえ、かなえ先輩じゃないと駄目なんです」と強弁すると、その理由も口にした。


「木村卓弥がボクのことを好きだって?」


「あくまで噂なんですが」


「ボクは彼の面構えも知らないし、名前もさっき聞いたばかりだよ」


「でも、恋は突然に始まるものですから」


「この男女のボクに一目惚れ?」


「でも、かなえ先輩綺麗だし」


 実際、かなえに告白をしてきた男子がいないわけでもなかった。数ヶ月に一度はそういう変わりものが現れ、


「付き合ってください」


「お友達からでもいいんで」


 と、女の腐ったような告白をしていくものである。


 だが、十全かなえはそんな軟弱な男が大嫌いだった。女を校舎裏に呼び出し、もじもじしながら手紙を渡すものなど、男とさえ認めたくなかった。


 男なら、

「堂々と俺と付き合え」

 と面と向かって言う男気溢れるタイプが好みだった。


「卓弥ねえ、なんか軟弱な名前。――でもあれ? そういえば木村って名前、どこかで……」


 そういえば一年に男前の男子がいると、三年の女子でも話題になったことがあったような気がしないでもない。彼が件の卓弥なのかもしれない。


「はて……」


 かなえはその噂を思い出すと首を傾げた。

 そう言えばその噂には付随物がなかっただろうか。

 かなえは思いだしたことを口の外に出した。

 小柄な少女は、少し言いにくそうにしながらも、結局、その噂を肯定した。

 かなえは「やっぱり」と思ったが、同時にその木村卓弥なる人物に興味も抱いた。

 噂が真実なのであれば、男前の上に男気溢れた人物ということにもなる。

 かなえは良し決めた、と膝を打った。


「その卓弥と君の友達がイチャイチャできるよう、ボクが恋のキューピッドになってあげよう」


 かなえは少女に宣言する。

 少女は花が咲いたかのような笑顔になった。


「ありがとうございます」


 少女はしきりに頭を下げた。

 しかし、少女は知るよしもない。


 このときの何気ない会話により、好きだった少年少女どちらもを諦めなければいけなくなることを――


 後日、十全かなえは「敵を知り、己を知れば」と卓弥の下に赴くことになるのだが、かなえはそのとき、人生で初めての経験をすることになる。


 卓弥を一目見た瞬間、漫画のキャラもイケメン野球選手もどこか遠いところに逝ってしまったのだ。


 それが恋であると悟るのに、大して時間は必要としなかった。

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