インターバル
八日目、三回目の計量日でもある。
一同は嫌でも顔を合わせずにはいられない。計量をボイコットすればその時点で敗北が確定するからだ。
重い足取りで部屋から最初に出てきたのは、不和の種を館中にばらまいた張本人である。心なしか目が窪んでいるような気がする。それは先日の行為を悔やんでのためか、体力を消費させてるためか、定かではなかったが、二番目に出てきた人物はこう思うことだろう。
「いい気味だ」
十全かなえの表情には確かにそう書かれていたが、それを口の外には出さなかった。あるいは口外する気力もないのかもしれない。かなえは食事を二度以上抜いたことなど、記憶の限り一度もない。高熱を出して寝込んでるときも「お粥をくれ」と譫言のように呟き、母親を呆れさせたほどだ。
続いて食堂にやってきたのは、春とナナコである。
春は幾分、余裕があるように見られる。春もあれから食事は絶っていたが、水溶性の栄養素は口に含んでいるようだ。
「ポカリって医学生や看護婦が点滴代わりに注射するって噂あるけど、ほんとなのかな」
一同の視線が集まる。
「――この女、そんな甘味料を口にする余裕があるのか」
と、その視線は物語っている。もっとも、春流のフェイクや揺さぶりかも知れず、全面的に信じる必要はないだろう。
ナナコは全身の水分を涎にすると、最後に口にした甘味の味を思い出す。
先日食べたニューヨーク風チーズケーキのなんと甘露なことか。
思わず何もない空間に手を差し出してしまうほどだった。もっとも、それすらも億劫なのですぐに止めるが。
「いやあそれにしても、女はおっぱいから痩せるってほんとでありますね」
ナナコは見事に縮んだ女性の象徴のため嘆いた。
「太るときは腹からくるよ」
とは春の言葉であるが、今のナナコには有り難い。無視されるよりも遙かに嬉しいのだ。
「自分、こう見えてボンドガールになりたかったのですが、このゲームで夢が絶たれるかもしれないでありますね」
「プレイメイトは諦めたんだ」
「プレイメイトになったあと、ボンドガールになるんです」
「二足のわらじ、二兎を追うものは、あんまり感心しないね」
「マイケル・ジョーダンは、NBAを極めつつもMLBにも手を出したではありませんか」
適当なのか、縁起が悪いのか、分からないような例を出すと、ナナコは周囲を見渡した。
「一華ちゃんかい?」
かなえが問うた。
「はい、実は昨日から顔を合わせておらず、少々心配でして」
「もしかしたら空腹で倒れているのかも」という冗談はいくらなんでも悪趣味すぎたが、すぐに「しょうがない、起こしに行くか」と重い腰を上げる辺り、彼女の偽悪性が現れている。
ナナコもかなえの後に続こうとしたが、その動作は無駄に終わった。
一華が食堂に現れたからだ。
その歩みは健康そのもので、肌つやもそんなに悪くない。いや、むしろ一同で一番唇の血行が良さそうだった。
一華は「遅れてすみません」と頭を垂れながら、一番に計測をした。
「……ふぅ」
一華は溜息を漏らす。その溜息が安堵か疲労によるものかは他人には推し量れないが、彼女の数値は二五六グラムと芳しいものではなかった。
一華は肩を落しながら、食堂を後にする。
続いて計測したのは田島春である。ある意味、一華は先に食堂を出て良かったのかもしれない。一八五三などという好記録を見せられたら、誰しもが心を乱すであろう。ほぼ二キロである。
一同は軽く唇を咬みながらも、賛辞の言葉を贈るもの、睨み付けるもの、笑うしかないもの、三つに別れたが、各人の共通の認識として、田島春の勝ち抜けを確信した。
つまりもはや春は敵でもライバルでもなく、単にオブジェクトとして認識するのだ。
だから彼女がどんな好記録を出そうと、スポーツ飲料を「ごきゅごきゅ」飲もうと、無視するのである。それが精神衛生上もっとも効果的なのだ。
次に体重計に乗ったのはナナコだ。冬子とかぶったが、意外にも彼女はナナコに順番を譲った。春の好記録の後に臆したのか、何か思うところがあるのだろうか。
もっとも、ナナコの数値を見て「無様ね」と表する辺り、まだまだツンの成分が強い時期のようだ。確かにナナコの数値は五五七グラムと春と比べるもない。
ただ、続いて計った冬子が四一六グラムなのだから笑う資格はないはずである。もっとも、これは結果論で相当自信があったのかもしれないが。それを証拠に、
「……あそこまでやってこの程度なの」
と、冬子は肩を落しながらその場を去っていった。
そして取りを飾るのが気合い十分の十全かなえである。
彼女は自信をみなぎらせ体重計にのぼると、即座に両手両足を地面に付けた。
理由は問うまでもない。
彼女の減量分はまた最下位だった。
今回も二桁の微減、六三グラムである。
「何も食べてないのに」
かなえは天とこのような体質に産んだ母を呪詛したが、ヒステリックに叫んだり、小娘のように泣いたりはしなかった。
全員の記録が記載されているモニターまで歩み寄ると、冷静に計算を始める。
「ええと、ボクの累計減量グラムは、八九二、四八、六三で、計一〇〇三か。あんだけがんばって一キロ……」
「初回のマージンがなければ断トツの最下位でしたな」
ナナコが横に寄り添うと、モニターを見ながら論評した。
「だね、ボクより下は、一華ちゃんの九五二か。ふう、なんとか最下位は避けられた。でも――」
と、かなえは続けたがその先はあえて口にしなかった。
ナナコも、「まあ、このペースなら次回……」とは言わずに、代わりに他のメンバーの累計値を口にした。
「お春さんの三七五五グラムは別格にしても、冬子嬢の二九一三グラムも立派でありますね。自分は八〇四の九一〇の五五七で、ふんふーふ、二二七一と、まあまあの経過ですな」
「つまりやっぱりボクと一華ちゃんの一騎打ちか……、まあ、予想はしてたけどね」
そう言うとかなえも食堂をあとにする。
残されたのはナナコとオブジェクトと、嗅ぎ飽きた御馳走の匂いだけだった。
九日目、計量日翌日、恒例のプレゼント・タイムである。
もっとも、もはや喜ぶ振りをするものさえいない。それどころか、サンルームに集まったの三人、ナナコと春とかなえだけだった。
ナナコと春は余裕と僅かに残された好奇心の所業だと思われるが、崖っぷちに立たされているかなえがこの場所に赴いたのは何のためだろうか。僅かに残されている逆転のアイテムでも夢見ているのだろうか。
しかしその僅かな希望も三秒で砕かれる。
「このバーナーは何に使えと?」
「食堂にあるキングサーモンを炙れ、ってことではないかと」
「あー、あたし、炙りサーモン大好き。お腹いっぱい食べたいな。…………このゲームが終わったらね」
続いて三人の視線が向いたのは、T字状の物体である。
「ああ、これ、うちの親父がよく使ってるな」
「T字カミソリという奴ですね」
「しかも一番安い奴だ。スーパーで一纏めいくらで売られている奴」
「これをどう使えと?」
一同を見回しても、記憶を総動員させても、口ひげを生やした少女はこの館にいない。
「多分、これで体毛を剃れってことなんじゃ」
一同は互いの身体を眺める。
「あ、あたしは濃くないって!!」
「まだ何も言ってませんが。てゆうか、全身の体毛を剃ったら何グラムになるんでしょうね」
「知らないよ、やったことないし」
かなえはそう言うと剃刀を懐にしまった。やはり切羽詰まっているようである。
春は余裕からか、ナナコは体質故か、手を伸ばさない。
三人は意気消沈気味に残りのガラクタに視線を移す。
「今さら、飛車を出されても……」
「もう、将棋ブームは去りましたし、飛車を使わない戦略も固まりましたしな」
「シーモンキー……」
「孵化させなければいいんですよ、これがウーパールーパー辺りだったら涙ものです。自分、こう見えて動物大好きっ子でありますから、生物をほったらかしにするなんてできませんし。……あ、ああ、かなえ嬢、水を注がないでください、まじ御勘弁を」
「これは、瞬間接着剤か。それにしては結構量あるね」
「プラモデルでも作れってこと?」
「お春さんはいつの時代の人ですか、今のキットは接着剤不要でありますよ」
「いや、シーモンキーやウーパールーパーの生態に詳しいあんたに言われても、……ね?」
春は同意を求めるようにかなえに尋ねたが、かなえはそれを無視した。いや、気が付かなかったようだ。ガラクタの一部を凝視し、「まさかね、でもいや――」と繰り返している。
ナナコはそんなかなえの姿に危惧を感じたのか、瞬間接着剤を遠ざけると、
「馬鹿なことは考えるものじゃありませんよ」
と、首を振った。
かなえは、「何のことだい」と惚けて見せるも、
「でも、忠告は有り難く受け取っておくよ」と戯けながらナナコの頭を撫でる。
春にはちんぷんかんぷんであるが、ふたりにはそれですべてが通じたようだった。
三人はなんの収穫もなく、サンルームをあとにしたが、落胆の色はなかった。
最初から僅かばかりも期待していなかったからだ。




