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長い戦い

 ダイエット中のOLと発情期のアライグマほど凶暴な生き物は、この地球上に限られるだろう。


 幸いなことにこの舘に住まう少女たちの中に、猟友会に目を付けられるほど野生化したものはいない。


 まだ初日と言うこともあるが、各自、理性ある人として、知性ある人間として振る舞っているようだ。


 各人の初日の動きはこうだ。


 田島春はダイエットの王道を歩んでいた。脂肪を燃やすには有酸素運動が一番と広い館を体力の許す限りランニングしている。


 かなえは最初、春の真似をして彼女の後ろを付いていたのだが、すぐに止める。運動は苦手ではないのだろうが、集中力が長く続かないらしい。あとは時折、ブルース・リーの物真似をしたりしていた。あまり似ていない。


 冬子は部屋に閉じ籠もっている。かなえなどは品のない言葉で揶揄してるが、他人に努力している姿を見せたくないのか、何か秘策があるのか。


 一華は意外にもナナコとトランプやクロスワードパズルなどをしていた。


「脳のカロリー消費量は案外馬鹿にならないとか」


 彼女の説が正しいかどうかは、二日後の測定で分かるだろう。



 二日目の動きにも大きな変化はなかった。

 まだ発狂してショットガンをぶっ放すものもいない。


 第一、各人最低限の食糧は口にしているのだから、この程度で音を上げていては、絶対あと一三日も持つはずがない。


 ただ、食卓に上るメニューと量に不満を漏らすものはいる。


「コンニャクなんて男子高校生しか喜ばないよ」


 かなえは皆がその手の話に弱いと分かったので遠慮無くその手の話を織り交ぜてくる。だが、今回は少し上級過ぎたのか、春しか意味が分からなかったようだ。


 かなえは詰まらなそうにコンニャクを口に放りこむ。


「虫になったような気分であります」


 全員が思っていることだが、代表してナナコが口にした。


 もっとも、口にしたからと言ってサラダの味がジューシーになったりするわけもなく、ドレッシングさえ掛かっていないそれはどこまでいっても草は草である。

 一同は明日の計量に向け、早く床についた。


 起きていると空腹で耐えられない、という事情もあった。



 三日目、初の計量日である。

 一同は不安な面持ちで食堂に向かう。


 ダイエットなど無縁だった少女が中核を占めており、どれくらいのことをすればどれくらい体重が落ちるなどといった経験が無く、不安で仕方ないようだ。


 例の如くかなえは無造作に服を脱ぎ捨て全裸になると、「いけないいけない」と舌を出す。


 一華は我先に体重計に乗ると、「こんなものかな……」と落胆の色を浮かべ、とぼとぼと自室に戻った。


 春と冬子は意外にも減っていた数値に安堵している。

 ナナコも結果を見て安心する。


「まあ、これくらいがんばれば美月嬢もやる気がない、とは言いますまい」


 前回ゲーム、そして今回も、さらに言えば次のゲームもであるが、ナナコは他の少女たちのように、絶対に勝ち抜きたいなどという信念はない。美月が怒らない程度に参加して、さっさと負けてしまいたいくらいなのだ。


 ちなみにナナコの減量分は、八〇四グラムだった。特に運動らしい運動をせず、食事もしてしていた割には高数値だ。ナナコより上の数値は、八九二グラムのかなえと、八一七グラムの冬子だけだった。


 あとは春の六七四グラムがかなえたちトップグループと肉薄しており、一華の四七六グラムも体格を考慮すれば悪いものではない。


 最初の測定は団子状態と言っていいかもしれない。


 このペースならば最終日が見えるまでは修羅場になることもないだろう。

 一同は協定と協定の提案者に感謝した。



 四日目、もはやこの生活が日常になってしまったのかもしれない。

もはや誰も食事の内容や量に文句を付けるものはいなかった。

 正確に言えば文句を付ける気力のある人間はいなかった。

 誰もが無気力に食事をし、無言で席を立つと、自室へ向かおうとする。

 だが、誰よりも力強い声で少女たちをその場に留めるものがいた。


「食事は愉しんでいただけましたでしょうか?」


「いやあ、最高のコンニャク尽くしだよ。コンニャクご飯にコンニャクラーメン、コンニャク素麺、コンニャクパスタ、いやあ、今なら氷らせなくてもコンニャクで人が殺せそうな気がするよ」


 かなえはもはや皮肉の成分を隠さない。あの温和な春さえも、


菜食主義者(ベジタリアン)がなんで偉そうにしてるのかも、性格が悪い奴が多いかも分かった気がする。そりゃこんな苦行に耐えられるならば天狗になって当然だし、こんな生活続けてたら性格もねじ曲がるわ」


 と、やさぐれる一方だった。


 しかし、美月はそんな少女たちの神経を逆なでするかのように、悠然と言葉を発する。


「正々堂々、死力を尽くしている淑女たちに、ささやかなプレゼントがあります。どうか一階にあるサンルームへ足をお運びください」


 美月の言葉を無視する、という選択肢もあった。少女たちの鬱憤は明らかに美月へも向かっており、反骨心が鎌首をもたげていたからだ。


 だが、結局、全員が美月の指示に従ったのは、好奇心が反骨心を上回ったということだろうか。


 サンルームへやってくると、かなえはそこに置かれていた物を抱え上げ、お腹の底から声を出し喜ぶ。


「あー、ボク、このノコギリ、どうしても欲しかったんだ~。ホームセンターで一目見たときからフォーリンラブでさあ……、なんて言うとでも思ったか!!」


 かなえはノコギリを投げ捨てた。

 ちなみに他に置かれているプレゼントはといえば、

 スクール水着(もちろん旧スク)、

 将棋の駒(なぜか飛車だけない)、

観光地によく置かれているださいペナント(生産地はたぶんご当地ではない)、

 干し椎茸(嫌いな人多いよね)

 鉄下駄(そもそもどこで売っているの?)、


といった物で、御丁寧に、

「人数分揃えていますから、喧嘩しないでくださいね」

 という書き置きまで添えられている。


一同は美月のセンスに呆れつつも、怒る気力もなく、その場を散会した。


 夜中にもしやと思い見に行ったが、鉄下駄が一脚消えているだけで大した変化はなかった。誰かがダンベル代わりに持って行ったのだろう。



 五日目、早くも第二軽量日である。早いような気もするが、ここまでは小手調べといった意味合いもあるのかもしれない。以後は三日置きになるようで、逆に誰がいつ抜け駆けするか、心理戦の様相を孕むようになるかもしれない。


 いや、そんな心配は杞憂かもしれない。

 なぜならば――


「ちょっと、冬子、あんた抜け駆けしたでしょ!?」


 かなえの声が食堂に響き渡る。


「人聞きの悪いこと言わないでくださる」


 冬子はツンと鼻を背ける。


「何で君だけ四桁なんだ、おかしいじゃないか、みんな同じ物を食べているのに」


「それを言うならそこの女も一緒でしょう」


 冬子は春を指さす。


「お春ちゃんは贅肉の塊なんだ。脂肪分を控えれば何もしなくても縮むんだよ」

 と、かなえは春の乳を揉みし抱いた。


 春は「ひゃふん」と漏らすもそれ以上抗議はしない。「……もういいですよ、あたしは乳キャラで」と枕を濡らしている。ナナコは春の頭を撫でながら、「キャラが立ちますよ」と慰めた。


 かなえはそれでも冬子への糾弾を止めなかった。


 よほど、冬子の数値が羨ましい、いや、妬ましいのだろう。確かにその数値を比較して、平静でいられるものはよほどの大物か、あるいは――


 かなえの減量分は、四八グラム、

 冬子はそのおよそ三五倍の一六八二グラムだった。


 かなえの気持ちも分からなくはない差だったが、ナナコの九一〇グラム、春の一二二八グラムという数値を見る限り、「抜け駆けした」と魔女裁判に掛けるには厳しい数値である。


 恐らく異端審問官は冬子の好記録より、かなえの低記録に着目するだろう。


 冬子は恐らく、この二日間、部屋の閉じ籠もり秘密の特訓をしていたに違いなく、かなえは怠っていたとは言わないが明らかに努力が不足しているように思われる。


 もしくはそれよりも体質の差なのかもしれない。かなえは太りにくい代わりに痩せにくいのだろう。冬子は見た目こそ太ってはいないが、それでもかなえとは比べものにならないくらい女らしい体型をしている。要はまだ胸回りも腰回りも削ぎ落とす余地が散見される。


 それに比べかなえは……。


 胸回り腰回りと言えば、かなえといい勝負の一華であるが、見渡しても食堂にはすでにいなかった。だが、記録が分からないというわけではない。すべての数値が公開情報なのである。


 壁に埋め込まれたモニターには、二二二グラムという数値が刻み込まれていた。


 前回の数値を合計してもかなえにさえ及ばない数値である。だが着実にゆっくりと減らすその亀のような歩みは、彼女の性格を如実に反映させているようで興味深かった。



六日目、美月は予想通り御褒美をくれた。


 一同はさして期待せず、サンルームに向かう。そこには前回貰ったガラクタがほぼ手つかずで放置されていた。


 さて、今回は、


「あ、これマジョ・リティ・サイレンスのコスメセットだ。やりぃ、今は役立たないけど、貰っておこう」


 春は目ざとくも一番に見付ける。


「他に欲しい人いる? いらないならあたしが代わりに貰ってもいいかな」


 誰ひとり「OK」と言わなかったのは、やはり女の子、ということなのだろうか。


 冬子とかなえは黙って自分の取り分を確保し、一華に至ってはナナコにメイクのコツを教えてください、とせがんだ。


 しかし、気の利いた贈り物はそれくらいのものである。後は――

 高枝切りばさみ(なんのため?) 

下剤(最後の追い込みに有用か?)

 ファミコンとドラクエⅡ(しかもボタンが四角いゴムの奴)

とまあ、このように一同を落胆させるに十分なものだった。


コスメと下剤は一応、全員が持って帰ったが、後はナナコがファミコンを持って帰っただけで、手付かずだった。


 後日、レトロゲームにはまったナナコは、その素晴らしさを周囲に説いたが、誰ひとり理解できなかったのは言うまでもない。



 七日目、この苦行の折り返し地点である。


 やっと半分だ、

 まだ半分もある、


 どちらの感想を抱くかは、本人の気質次第だが、脳天気と目される一華とナナコさえ前者なのだから、恐らく全員がまだ半分も残っていると呪詛していることだろう。


 あと七週間もこの粗末な食事と退屈な日々が続くのだ。


 少女たちは主催者と自分たちの未来を呪ったが、それが功を奏したのだろうか、変化の兆しが訪れる。


 そのヒステリックな声は、無気力に支配された少女たちの足を叱咤するに十分な声量と迫力を孕んでいた。


 声の方向へ歩んでみれば、かなえが冬子に掴み掛かっていた。

 暴力沙汰は御法度である。

 つい先日の光景が脳裏によぎる。春とナナコはふたりを慌てて引き離した。


「ど、どうしたというのです。かなえ嬢らしくありませんぞ」


「どうしたもこうしたもないよ、この女、やっぱりズルしていたんだ」


 かなえは息を切らせながら、冬子を糾弾した。


「ズル? なんのことかしら、証拠はあって?」


「ボクは確かに見た!! この女、食事の後、トイレに駆け込んで食べたものを戻していたんだよ」


 一同は冬子に猜疑心を向ける。先日の冬子の飛び抜けた数値が彼女の疑惑を助長するに十分だったからだ。


「まさか、昨日貰った化粧品を試そうとしただけよ。やることがないから、メイクの練習をしようとしただけ。そういう年頃なの。あなたたちも分かるでしょう」


「君は個室で化粧をするのか」


「急にお通じが来たの。あまり恥をかかせないでちょうだい」


「ぐぅ……」


 そう言われてしまえば「ぐう」の音しか出ないものである。


 かなえは悔しそうに唇を噛み締めながら、「確かにボクは見たんだ」と繰り返した。


 このままではショットガンを持ち出してきて、冬子の腹に風穴を開け確かめかねないので、ナナコはとある方法で確認することにした。


 ナナコは無言で冬子の目の前まで歩みを進めると瞳をじっくり見つめる。


「――人間、やましいことがあると瞳孔が大きくなるものです」


 数秒間、その綺麗な瞳を覗き込んだが、光彩が揺らぐ以外、大きな変化は見られなかった。


 ナナコは首だけ少女たちの方を向けると、


「どうやら白のようです。冬子嬢は無罪――」


 そこで言葉を止め、刹那の速度で振り返り、


「と、見せかけて、ぶちゅぅ~」


 と、タコのように唇を突き出し、冬子の唇を奪った。

 ――ナナコの初キスの味は胃液の味だった。


 冬子は顔をタコのように顔を真っ赤にし、怒るかと思ったが、ただ唇を拭うだけで、悪びれることなくこう言った。


「――別に吐くのは協定違反じゃないでしょう」


 彼女は堂々と胸を晒し、自室へと向かう。


 ナナコはかなえが極端な行動に出ないか心配になり、彼女に視線を向けたが、かなえは意外と柔和な面持ちでこう応えた。


「……いや、逆にすっきりしたよ。確かに吐くな、なんて協定は結んでいないしね。なるほど、どうやらボクが一番の甘ちゃんだったらしい。……心を入れ替えないと」


 かなえはいつものようにカラカラと笑いながら、その場を後にした。


 残された三人は、神妙、苦笑い、無表情、三者三様の表情を付き合わせたが、誰ひとり、言葉を発するものはいなかった。


 三人は無言で互いの顔を見つめ合う。


 言葉こそ無かったが、誰もが心の中で、「協定」の破棄を宣言し合っているかのようだった。


 その日一日、結局、誰とも顔を合わせることさえなく、鉛が気化したかのような重苦しい時間を過ごすことになったが、ナナコはこのような状況下でもひとつの光明を見いだしていた。


 少なくとも明日以降、食事のメニューを気にしなくても良いのである。

 残り一週間、誰ひとり固形物を口にするものはいないだろう。

 それは予言ではなく、確定した未来でしかなかった。 

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