かしましい少女たち
「ダイエットとは、断食のことではなく、健康的に痩せる食事療法のことです」
一華は先ほど美月が言った言葉を、一言一句違えることなく再現した。
女性誌のダイエット特集で必ず記載されていそうな言葉であるが、建前ではなく、真理以外の何物でもなかった。
「でも、別にボクたちは健康になろうというわけじゃないよね。これはゲームなんだ。結局、一番痩せられなかったものが負けるだけだよ」
かなえは反論した。冬子なども同意のようだが、それを態度で表さない。
「その通りです。このゲームの場合、単に勝とうと思えば計量のとき以外、一切何もせず部屋で寝ていれば自然と痩せ細って勝てるはずです」
「下手に運動して筋肉付けたら重くなることもあるもんね」
とは、ダイエットの権威、田島春の言葉である。
一華は「そうですね」と軽く頷くと、
「このゲームの味噌は、美しく健康的に痩せたものが勝利するのではないということです。逆に言えば死なない程度に食糧と水を絶った人間が勝つ、ということなんです」
と雄弁に語り、
「でも、そんなことをしたら、美月ちゃん、いえ、主催者の思う壺だと思いませんか」
と結んだ。
「どういうこと?」
口を開いたのは沈黙を守っていた冬子だった。
「仮に初日から、全員が全力でダイエットを始めたら、全員が自滅するのでは、と一華嬢はおっしゃってるのだと思われます」
代わりに答えたのはナナコだった。
「人間、一ヶ月食糧を口にしなくてもなんとか生きていられるものです。ですが水となると話は別で、三日飲まないと死に至るケースもあります。この閉鎖された空間で過度なダイエットをするのは自分も賛成致しかねますね」
「あたしがダイエットしてたときは水だけはがぶ飲みしてたなあ。水まで絶つってのは、ほんともうアスリートの世界で、ボクサーとか特殊な環境の人たちだよ。ま、今のあたしたちもかなり特殊だけど」
とはダイエットの権威の発言である。
それでも信用ならない、という表情を崩さないのは冬子と、意外にもかなえだった。
冬子は先ほどのゲームで標的にされた経緯があるにしても、かなえが同調しないのは意外に思える。
――いや、そうでもないか。ナナコは先ほどの計測タイムを思い出した。
このゲームの敗者候補筆頭は一華であるのは周知の事実だが、実はそれと同じくらい敗北の可能性が高いのが、かなえなのである。
彼女の長身痩躯のすらりとした体型、均一の取れた肢体は、平常時には自慢の種になっても、今、この状況下ではハンデ以外の何物でもない。先ほどの測定に体脂肪率は記載されていなかったが、恐らくその体脂肪率は一華と良い勝負か下回っていることだろう。
「確かに他人など信用できない、という気持ちは分かります。ですが、ここで術中にはまり、初日から消耗戦をしていたら、ゲーム中に、もしくはゲーム後に倒れてしまうかも知れませんよ? この館には医療スタッフなどいなそうですし、誘拐されている手前、病院に駆け込めるとも思えません。恐らく、倒れてしまえば、そのまま由佳里さんのように……」
一華は決意しかねているふたりを諭し、ナナコはそれに助力する。
「例えば、冬子嬢とかなえ嬢だけこの提案を呑まなくても、自分たち三人は協定を結ぶつもりです。恐らく、三人の誰かが敗者になるでしょうが、あなたたちも最終的な勝者には成れないと思われます」
「口車には乗らない」とは言わなかった。彼女たちも薄々感づいているのだろう。何もこのゲームが最終戦というわけではないのだ。あと何ゲーム続くかは定かではないが、ここで骨身を、いや、生命力を削って、今後のゲームに勝ち抜けるなど夢想以外の何物でもなかった。
冬子は「話だけは聞いてあげる」とツンデレ特有の表現で、協定参加を打診してきた。
かなえも「まあ、全員参加すれば条件は同じだよね」と聞く耳を持ち始めた。
一華はまるで真冬の園に花が咲いたかのように破顔する。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
当選した瞬間の議員のように全員に握手を求め抱きつくが、現実の議員との決定的な差は、当選後も決して感謝の念を忘れない、ということだろうか。
そう言った意味では、この協定の発案者が彼女で本当に良かったのかもしれない。
一華の提案は至極簡単なものだった。
「一日に三回、食堂に集まって皆で食事をしましょう」
というものだ。
もちろん、色んな意見が噴出した。
「ダイエット勝負とは銘打っているけど、体重がプラスになってはいけないとは言ってなかったよね。じゃあ、普通の食事量、いや、せっかくの御馳走なのだし、お腹いっぱい食べないかね」
「却下、あなた、自分でいくら食べても太らないって豪語していたじゃない。不公平すぎるわ」
「不公平だと言うなら、全員の体格が違うのに、同じ量を食べるというのもアンフェアかと思われ。一華嬢とかなえ嬢など、二回り以上体格が違うじゃないですか。ここは身長とおっぱいの大きさに比例させて食糧の多寡を」
「だからあたしの胸を見ながら言わないでよ」
議論百出、小田原評定、利害が一致していない五人なのだから当然であるが、さっそくの同盟崩壊の危機である。だが、これも議長の一言で解決した。
「やはりここはダイエット勝負なのですから、口にするのは最低限でいいと思います。そして食べる量もやはり均等に同じ量でいいんじゃないでしょうか」
同盟の盟主にして一番不利な立場にいる少女の提案ということもあり、一同は同意せざるを得なかった。
「運動とかは各自自由にしていいんだよね?」
春は確認する。
「もちろんでありますよ。あと、もちろん、三度の食事以外も、お腹が減ったら好きなときに好きなだけ間食可であります」
「今さら、そんな馬鹿なことする娘はいないよ。さて、運動でもするかね……、って、なんだい、その目は、気になるじゃないか」
運動すると言った瞬間、春が嬉しそうな表情を浮かべたのをかなえは見逃さなかったようだ。
春は最初、「なんでもないよ……」としらを切ろうとしたが、すぐに態度を軟化させた。仮初めにも同盟者であるし、初日から狡い手を使う自分の姿に嫌悪感を抱いたのかもしれない。
「いや、さっきもちょっと言ったけど、運動は万能じゃないよ、って言いたかっただけだよ」
「筋肉が付いてしまう、ということでありますか?」
「そう、普通のダイエットなら、筋肉を付けて基礎代謝量を上げるのが王道なんだけどね。でも、今回は二週間しかないわけじゃない? 下手したら終わり間際にムキムキになって、やってもうた! ってことも……」
「じゃあ、何もしないで寝てるのが吉なのかい?」
答えたのは一華だった。
「一華やかなえさんみたいな、脂肪が少ない子はそれでもいいかもしれません。特にかなえさんのように太らないということは基礎代謝が高い、つまり筋肉質ということですから。でも、軽い有酸素運動は有用かも。ほんとは水泳ができればベターなんですが」
かなえは、「有酸素運動ねぇ」と一言口にすると、「ああ、SEXとかのこと?」と女子高生とは思えぬ発言をした。
敏感に反応したのはやはり冬子で、「馬鹿が感染る」とそそくさとその場を後にした。
春も頬を染めながら、「あは……あはは……」とその場を去っていった。
残されたのは純情ツートップのセンターフォワードことナナコと、セカンドストライカーこと一華だった。
さて、どちらが純情得点王なのだろうか、かなえに悪戯心が芽生える。
「あーあ、もう、SEXって聞いただけで恥ずかしがっちゃって、あいつらは小学校高学年かっつーの。ああいうのに限ってマスタベしまくってるんだよね、特に冬子辺りは怪しい」
「マスタベでありますか?」
「オナニーのことだよ、オナニー。自家発電、セルフバーニングともいうね」
「……きゅ……きゅう~……」
顔を真っ赤にさせてその場に倒れたのは久留里一華だった。やはり彼女が純情得点王の名に相応しいピュアな心の持ち主らしい。
得点王を介抱しようと手を伸ばしたとき、思わぬゴールがネットに突き刺さる。
センターフォワードの強烈なシュートた。
「つかぬ事を伺いますが、オナニーとはなんでありますか? 後学のため、お聞かせ願いたい」
その言葉が嘘であるのか、冗談であるのか、あるいは記憶喪失のせいなのか、かなえには判断できなかった。
ただひとつ言えることは、その穢れない瞳を持つ少女にその言葉の意味を教えるなど、アダムとイブに禁断の果実のありかを教えるより、罪深いことのように思われた。




