記憶喪失の少女
少女を眠りから冷まさせる最良の方法は王子様のキスである。
しかし王子様といっても千差万別、玉石混淆、なんでもよろしいというわけにはいかない。
やはり王子様たるもの、金髪で凛々しく、白馬がとても似合う紳士であって欲しいものだ。
そんなささやかにして少女らしい夢に冷や水を掛ける女がいる。
しかもその冷や水は比喩ではなく、本物の冷水で、強烈な平手打ちも添えられているのだからたちが悪い。
少女はわけも分からず目を冷ますと、鬼の形相をした女が腕を振り上げていた。
「……自分の目を冷まさせる目的なら、もう十分目的を達しているかと思われ。自分が憎いなら、心の中で十数えて、それでも憎かったらどうぞです」
どうやら半々であった御様子。鬼の面相の少女は高く振り上げた腕を力なく落とした。
少女を止めようとしていた少女に「こいつが……」と漏らし、その場にへたり込んだ。
「憎しみは何も生み出しませんよ、お嬢さん」
そんな台詞が口を出かかったが、そのような軽口を言える状況ではないのは、目覚めて数秒で把握した。
先ほどの平手打ちには明らかに憎しみが籠もっていたし、この部屋にいる女性たちの視線に好意のかけらも感じない。そしてなにより、ひとりの少女が持っている猟銃が、少女の舌の活動範囲を限りなく狭くしている。
さて、こんなときに一番相応しい言葉は何だろうか。少女の脳裏にいくつかの言葉が浮かんだが、慎重かつ冷静に言葉を選んだ。
「銃刀法違反」
誰ひとり笑わない。それどころか心なしか引き金を持つ指に力が入ったような気がする。
どうやら選択肢を間違えたらしい。これがゲームなら即BADエンドなところであるが、少女がプレイする人生というゲームは多少の柔軟性を有しているようだ。しかし、それに甘えることなく、今度こそ慎重に言葉を選びながら話を続けた。
「――ええと、自分は善良な少女でして、あなた方を害する意志も手段も持ち合わせておりません」
「善良!? 人殺しが聞いて呆れるわ」
言葉を返したのはショットガン女ではなく、スパンク女だった。一座で最年長と思われ、理知的な対応を望みたかったのだが、彼女の瞳の奥で燃え上がる憎しみの炎は誰よりも色濃かった。
「す、少なくとも、自分は現世では人殺しなどしていないであります。そして今後もこのような物騒な事態に巻き込まれないよう留意していこうと改めて誓っておりまして……、あの、せめて銃口を向けるのを止めていただけないでしょうか」
賛同の声は一切無い。確かに少女は善良ではなかったが、この一団も善良という言葉からはほど遠いいようだ。
「あ、あの、皆様方が小市民である自分に敵意を持つのはいかなる事情なのでしょうか? あ、もしかしたら、あの部屋の首なし死体の件でしょうか? あの死体につきましては、自分とはまったく関係なく、目覚めたらあそこにあっただけで、自分も被害者と申しますか、危うくヒロイン失格になるところでした」
「ヒロイン失格?」
平手打ち女は眼を細めながら言った。もちろん、笑うという意味ではなく、睨むという意味である。
「はい、危うく漏らしてしまうところで……、いえ、すみません、嘘つきました。ほんとはちょっぴりやってしまいました。そういった意味ではこの冷水も助かります。市民プールの子供用プール理論ですな、木を隠すなら森というやつです」
両親の葬式に出席しているような仏頂面の面々だったが、少女の身体を張った冗談に応えてくれる人物がひとりだけいた。
女は笑いながら、「確かに自分の子供時代を思い出すと子供用プールには近寄りたくないな」と敵意が無いことを示すためか、銃口を下げてくれた。
「みんなも分かったろう。この娘に人は殺せないよ。ボクが保証してもいい」
「――誰もあんたなんかに保証して欲しくはないわ」
間髪入れずに言ったのは、スパンク女だった。一同の中で一番お嬢様然としているのに、一番好戦的で一番呪詛に満ちた言葉を吐く少女だった。
あの死体となっていた人物と親交があったのかもしれない。そう思ったが、問いただす前に話しかけてきたのは別の少女だった。
「あたしは最初から疑い一辺倒ってわけじゃなかったけどね」
ショートカットが良く似合う少女で、闊達で明るそうな少女だった。
「わ、私もそう思ってました。こ、こんな閉鎖された空間では、疑心暗鬼になるのが一番怖いって、本にも書いてありましたし……」
思ったのなら口にして欲しかった、とは口にはしない。黒縁眼鏡と黒髪が印象的な少女だが、見た目通り気が弱そうに見える。
「いやあ、めでたいです。もちろん、一華もお姉さんの無実を最初から信じていた口ですよ。それを証拠に、こうしてタオルを取りにこの今にもゾンビが出てきそうな洋館を徘徊してまいりました」
一華というのが彼女の名前なのだろうか。おそらく一座の最年少で、一番しゃべりそうな印象を持った少女だった。
改めて一同を見やる。
共通点は年頃の少女、といったところか。無論、全員の股間をまさぐって性別チェックしたわけではないが。
「あ、あの、なぜ御自身の股間をまさぐっているのですか?」
「いやあ、どうも自分に自信が持てなくて」
どうやら少なくとも自分は女だったようである。
「疑いも晴れたところですし、自分としては懇談も兼ねて自己紹介したいところなのですが、それよりもまずしなくてはならないことがありまして、してもよろしいでしょうか?」
もちろん、一同は何をと問い返す。一名を除いて一応の信頼はしてくれているが、詳細を告げずに同意をしてくれるほどお人好しでもないらしい。
「まず第一に、そこにある暖炉でこの冷え切った身体と服を乾かす機会をいただきたい。そして第二に、誰かパンツを貸してください。そして第三に、これがもっとも切実で、切羽詰まった問題なのですが……」
「パンツよりも大切なのかい?」
ショットガン少女は茶化すように言う。
少女は真剣な面持ちで頷いた。
正直、服を乾かす間くらいノーパンでいるのもやぶさかではない。どうせ同性しかいないのだし、出し惜しみする必要などどこにもない。
しかし、今、少女が抱えている問題は、そんな次元の問題ではなかった。
ゆえに少女は本日目覚めてから一番の真顔で言った。
その言葉を聞いた一同の反応は、
口を大きく開けてぽかんとするもの、
腹を抱えて笑い出すもの、
怒りで身体を震わせるもの、
千差万別であったが、誰ひとり信じていないという点では共通していた。
「自分は記憶喪失であります」
なるほど、確かに日常はもちろん、このような非日常でも、あまり説得力のない言葉である。
少女は自分のことながらひどく納得した。