ゲームの敗者
ゲームを終了させる鐘の音が鳴り終えると、件の部屋に少女たちが集結し始めた。
眠い目をこするもの、目を赤く腫らすもの、それらの動作は良質な睡眠が取れたか否かを如実に区別していた。
幸いなことにほとんどの少女たちが健康的な眠りを得ることに成功したようだ。
おもしろいことに額の数値が高い人間ほどよく眠れたと見える。要はナナコと冬子が目を充血させていた。おそらく一睡もしていないのだろう。
(いい気味ね、まあ、このゲームに負ければ好きなだけ眠れるのだから別に構わないでしょう。どうせあなたの家にも天蓋付きのベットくらいあるんでしょうし)
由佳里はほくそ笑むと、改めて全員の数字を確認した。
まずは当然、高梨冬子。やはり彼女は額の数値がクイーンだと信じ込んでいるようだった。前髪で数字が見えにくいが、クラブのマークがくっきり見える。昨日と同じクラブの三のはずだ。
次はナナコ、彼女もまた昨日と変わっておらず、クラブの四だ、
いや、冬子やナナコだけではない、全員が昨日、最後に由佳里が見た数字と変わっていなかった。久留里一華はハートのクイーン、田島春はダイヤのジャック、何ひとつ変わっていない。
そして由佳里は当然、ジョーカー――
勝った……!!。
分かっていたが、由佳里は改めて喜ばずにはいられない。
そして今こそ、歓喜を爆発させずにはいられない。
もはや勝利を、確信を、あの女への悪意を、隠す必要など僅かばかりもない。
由佳里は今までひた隠しにしてきた牙を覗かせると、敗者へと振り返り、不安げにおののいている女を指さした――
「あはは、ざまあないわね、高梨冬子! あんたの負けよ。あんたは私のことを信頼してたようだけど、私は毛の先ほどもあんたに心を許していなかったわ。ううん、言葉を飾っても仕方ないわね、私はあんたを憎んでたの。私に持っていないものをすべて持っているあんたを、私の大好きな木村くんを苦しめてきたあんたを!」
周囲の耳目が由佳里に集まる。皆一様に驚いている。由佳里にこんな声量と度胸があったことに驚いているのだろうか。
由佳里は彼女たちを見回すと、改めて彼女たちを軽蔑し、彼女たちを憎んだ。
「あんた達もそうよ。みんな私を馬鹿にし、軽んじた。ただ気の弱いだけの何もできない女と侮った。でもどう? 私はあの高梨冬子を陥れた! 高梨冬子に膝を突かせたのよ? それでも私を軽んじるつもり? あんた達みたいな女の中に木村くんの思い人なんて絶対にいないわ! 私こそが彼の横に寄り添うのに相応しい――」
由佳里の格調高い演説を止めたのは、このゲームの主催者でもなければ、罵倒を受けていた少女たちでもなかった。
由佳里が計り、企て、陥れたと信じ込んでいた少女だった。
彼女は敗北に怯え、身体を震わせていたわけではなかった。
勝ち誇り、驕り、感情を爆発させる由佳里が滑稽でしかたなかっただけだった。
「――何が可笑しいのよ……、気でも触れたの? 高梨冬子さん、あなたは勝負に負けたのよ。あなたのカードはクイーンではなく、クラブの三なの。敗者なの。木村くんの思い人は永遠に分からないし、もうじき自宅に強制送還されるの。さ、早く木村くんのことなんて忘れて舞踏会で新しい男でも見付けてきなさい。どうせあなたにとって男なんて他の女に見せびらかせるアクセサリーにすぎないんでしょう」
冬子は由佳里の変心にも罵倒にも怒る様子はなかった。それどころかどこか哀れむような目で由佳里を見つめた。
「可哀想な娘、今のあなたを見たら、卓弥はどう思うでしょうね」
「……………」
「沈黙はイエスと教えたけど、人間、都合が悪いときも沈黙するものなのよね」
「…………わよ」
「聞こえなくてよ。もう少し大きい声で話していただけるかしら」
冬子は挑発するかのように言う。
「――なんとも思わないわよッ! どうせ私なんてただのクラスメイトで、いつも虐められてるお味噌でしかないんだからッ! 彼が私に優しくしてくれたのは、彼が人一倍正義感が強いから、私が憐れであまりにも可哀想だからよッ! それでいい? でも、あんたなんかよりもずっとマシよ。自分の立場を利用して木村くんを苦しめていたのに、今さら、木村くんが好きですって? 木村くんはあんたのことなんてなんとも思っていないわ。ううん、むしろ、あんたは憎まれてる! 木村くんに疎まれてるのよ!」
「………………」
冬子は由佳里の言葉を聞き終えると、「言いたいことはそれだけ」と言下に切り捨てた。怒りも悲しみも感情の類を一切見せなかったのは流石と言えるかもしれない。
「ふん、まあいいわ。私も大人げなかったわ。敗者に鞭打つような真似をしてしまって。さあて、もうじき敗者の正式発表よ、ぢたんだを踏んで悔しがれとは言わないけど、どうか潔く退場してくださいな、お嬢様」
由佳里はそう言い残すと、所定の席へ着いた。他の五人もそれに習い、席に着く。
それとほぼ同時に、見計らったかのように美月の声が室内に響き渡った。
まずは最後まで正々堂々、死力を尽くした六人のプレーヤーに賛辞の言葉を、それと敗者となるものへのねぎらいの言葉がそれに続く。
そして、このゲームに於ける敗者の名前が厳かに読み上げられた。
築地由佳里――
美月は僅かに逡巡することもなく、ただ事務的に彼女の名前を読み上げた。
由佳里は一瞬、何が起こったのか、知覚できなかった。
心臓が止まり、世界が止まったような感覚に襲われた。
実際、止まってしまうのだ。
美月から発せられた言葉が真実なのだとしたら、由佳里の時間はその場で止まってしまうのだ。
だから由佳里は声を張り上げた。必死で哀願した。
何かの間違いではないか、と――
しかし、美月は「間違いありません」と一言だけで切り捨てると、自室へ戻るよう由佳里に説明した。そこに置かれている薬さえ飲めばこの悪夢から解放される、と――
由佳里はそれに従わない。あらん限りの力を込めて「有り得ない!」 「何かの間違いだ!」と叫び続けた。
そして本来の敗者である高梨冬子を指さし言った。
「あの女はクラブの三よッ! 私はジョーカーッ! なぜ私が負けるの? ジョーカーが負けるのは二の数字だけでしょ? そうよ、壊れてるのよ、機械が壊れてるの! お願い、誰か人をやって人間の目で判定して、こんな理不尽判定、納得――」
由佳里の蒙を啓き、現実を突きつけたのは、美月ではなくナナコであった。
彼女は、
「機械は壊れていませんし、例えこの場に美月ちゃんが来たとしても、判定は覆りませんよ」
そう言うと徐ろに冬子の下まで赴き、彼女の額を掻き上げた。
その白い肌には、大きくクラブのスートと、二の数字が描かれていた。
「な、なんで、どうして……」
そのカードを目にした由佳里は膝から崩れ落ち、両目には涙が溢れていた。
「あ、あのときは確かにクラブの三だったわ……、見間違うわけがない……」
「ええ、確かにあのときは三のクラブでした。そのことは自分を含め、ここにいる全員が証言してくれるでしょう」
ナナコが見渡すと、冬子と由佳里以外、全員が首を縦に振った。
「じゃ、じゃあ、あのあと、私が眠ったあとにカードを換えたとでもいうの? 冬子は私のことを信じ切っていたんじゃ」
「その通りです。あ、いや、これは換えたの部分ですね。信じ切っていた、という部分はおそらく冬子嬢は否定されるのでは……」
ナナコがおそるおそる視線をやると冬子は溜息をつきながら同意した。
「別に種明かしをする義理もないし、必要もないのだけど、このままじゃ素直にお引き取り願えそうにないから、すべて話すことにするわ」
冬子はそう宣言すると説明を始めた。
「確かに私は築地由佳里のことをまったく信用していなかったわ。あなたが私を信頼してなかったように、私も信頼していなかった、というわけ」
「………………」
悔し紛れにも嘘とは言えなかった。由佳里が冬子を信じていなかったのは事実だったから。
「でもね、本当のことを話すと、最初は信用しようと思ったのよ。だって見てみなさい、あちらのお嬢さん方は三人でスクラムを組んで私たちを追い落とそうとしていたのだもの、どのみち私も信頼できる仲間を見付けて対抗するしかなかった」
「あちゃあ、やっぱりバレバレだったか」
かなえは可愛らしく舌を出す。
「でも、仲間を作るのは当然の戦略でしょ。後ろ指指されるような類のことじゃないけど」
「その通りです。第一、ルール上禁止されていませんし、チームを組むなら最大のライバルとなりそうなものや性格の悪そうなお嬢様をハブるのは必然でしょう」
「いや、ほんとは由佳里っちも加えようと思ったんだよ。でも自分の部屋に籠もっちゃうしさ。そしたらナナコと冬子が部屋出てっちゃうし。そっちはそっちでチームを組んだ、と邪推するのは当然でしょ。実際、組んだようだし」
かなえは悪びれずに白状する。
「だから私はあなた、つまり由佳里さんと徒党を組むしか選択肢が残されていなかった。仲間になるのだから、私はあなたを信頼しようと思っていた。ううん、これは前提条件なの。信頼できなければチームを組む意味がないの。でもすぐにあなたは信頼できない人物だと分かった」
「ふん、口は重宝ね。なんでも言いわけを考えてくれる。どうせあんたも最初から私を信じていなかったのでしょ、いいのよはっきり言って、あんたなんかこれっぽっちも信用してなかった、と」
冬子は由佳里の挑発を無視するかのように続ける。
「まず最初にあなたが信用置けないと思ったのは、私が提案した理不尽な作戦に反対するどころか進んで受け入れたところよ。あれで私はあなたの底にたゆたう叛意に気が付いた……。あなたは反対すべきだったのよ。そんな面倒な約定はせず互いに信用し合おうと。実際、あのときの私のカードはハートの一〇であの時点でもセーフティーゾーンだった。あなたが本当に私のことを考えてくれていたなら、少なくとも換えるだなんて提案をしなかったはず」
冬子は一呼吸置くと続ける。
「そして決定的だったのは、あなたが私とチームを組んだ後、二回もカードを換えたことよ。あれは私に害意があることを宣言しているようなものだった」
冬子の発する言葉の意味を掴みかねている由佳里に、ナナコが説明をする。
「確かあのとき、由佳里嬢が最初に引いたカードはジャック、つまり一一でしたよね。でも、由佳里嬢はそんな良いカードを引いたにも関わらず、もう一度カードを引いた。それが決定的だったんですよ」
「なるほど、確かに冬子さんを信じていたなら、一一で十分勝てましたもんね」
一華は大袈裟に頷き、納得する。
「屁理屈のように聞こえるけど、実際、由佳里ちゃんは冬子ちゃんを裏切ってたもんね。いやあ、クラブの二を引いた冬子ちゃんに臆面もなく一二って言い張れる由佳里ちゃんはある意味すごいよ。可愛い顔してやるときゃやるのね」
「……でもさ、裏切りは予想できたとしても、どうやって復讐できたの?」
田島春が当然抱く疑問を口にした。
それは由佳里はもちろん、他の面々も抱いた謎である。
冬子が由佳里を一刺しで復讐するには、二のカードを引き、それが二のカードであると確信する必要があるのだ。
まさか運だけで二のカードを引き当てたとでも言うのだろうか。
だが、それについて答えたのは冬子ではなく、かなえだった。
「いやあ、まさかあんな裏技があったとはねえ。冬子ちゃんも可愛い顔して勝負師だよね」
かなえは冬子が用いたコロンブス的卵の必勝法を全員に披瀝した。
その安易な方法に一同は絶句することになる。
「ポイントは、カードは何枚交換しても良い。引き分けの場合は引き分け同士で延長戦を行う。
ってルールかな。おそらく冬子ちゃんはこの下りであの裏技を思いついたんじゃないかな」
かなえはしたり顔で冬子に視線をやったが、冬子は丁重に無視する。
「え、なんだろ、お春さん、このルールから裏技って思いつきます?」
「う~ん、分からん」
一華と春には思い浮かばなかったようだが、ナナコは閃いたようだ。
「ああ、なるほど、つまり五二分の一の確率と無限ドローを利用したんですね」
「ご名答」
かなえは得意げに指を立てる。
「まあ、ボクが考えたわけじゃないんだけどね。いやあ、昨晩、冬子ちゃんが無心で機械に頭を突っ込んでる姿を見たときは、気でも狂ったのかと思ったよ」
それでも分からない一華と春にナナコは数学教師のように説明した。
「それでは一華嬢、お春さん、トランプが五二種類あるとして、二のカードが一番最初に出る確率はいくつかね?」
「もう、いくら数学が苦手だからといって馬鹿にしないでよ。五二分の四に決まってるじゃん。どこぞの手品師や超能力の持ち主なら別だろうけどさ」
「じゃあ、二のカードが一番最後に来る確率はいくつですか?」
「だから馬鹿に……、あ、そういうことか」
春はようやく得心がいったようだが、一華は相変わらず頭の上にクエスチョンマークを無数に浮かべていた。
「つまりこういうことですよ、一華嬢。自分の引いたカードは絶対に分からないと思っているようですが、とあることをすれば百発百中で知ることができるんです。何も他人なんてあやふやな存在に頼らなくても」
「ええ、そんなの絶対に不可能ですよ。冬子さんが超能力者でもない限り」
「いえいえ、超能力など不要です。ちょいとカードをカウンティングする記憶力と手間暇さえ掛ければ。あ、いや、今回は二のカード狙いですから、カウンティングも不要です。一華嬢でも再現できるくらいですよ」
「え、一華にもですか? う~ん、さらに謎が」
「では一華嬢、そこにあるポーカーマシンのコンソールを覗いて来てください。そこに答えが書いてありますから。流石にこれで分からなかったら一華嬢は自分の弟子破門であります」
一華はナナコに言われるがままに確認した。数秒ほどコンソールを見つめ唸ったが、とある異常な数値を見付けると一際大きな声を上げた。
「一七八二!!」
「ブラボーです。一華嬢、それが答えですよ」
一華は子犬のような駆け足で戻ってくると、冬子が用いた魔術の種明かしをした。
「わ、分かりました。つまり、カウンティングさえしてれば、このゲーム最後の一枚は自分にも分かる、ということですね」
冬子の用いた裏技とは至極単純なものだった。このゲーム、自分には絶対に札が分からないと思われていたが、実はそうではなかったのである。
このポーカーマシンはランダムにカードが配布されているように見えて法則があったのだ。いや、法則などと言った御大層なものではなく、単純に実物のトランプを再現していたのだ。
つまり五二枚を配り終えるまで、以前出たカードは決して出ないという法則があるのだ。
しかも、ルール上、カードは何枚引いても良いことになっている。最後に意中のカードを引く確率は五二分の一、いえ、二のカードは四枚もあるのだから、五二分の四、つまり数学上、無限にカードを引き続ければ、いつかは任意の数字を引き当てることが可能なのだ。冬子はそれを三三周目で引き当てたということになる。
「確かにルール上問題ないし、コロンブスの卵的発想かも」
この場にいるほぼ全員が冬子の発想に驚き、その手腕に敬意を払ったが、それでもやはり認めることができない人物がいた。
築地由佳里である。
「……納得……いかない……、絶対に納得……いかない……、私の勝ち……よ……、高梨……冬……子の負け……よ……」
彼女はある種の精神疾患者のように譫言を呟くと冬子の方へ歩みを進めた。
冬子もある程度の覚悟があったらしく、由佳里を厳しく射竦める。
周囲は冬子に飛びかかる由佳里の未来を想像したが、その未来図は思わぬ形で破壊されることになる。
由佳里が冬子に飛びかかろうとした瞬間、風を切り裂く音と共に一陣の影が少女の胸を穿ったからだ。
誰もが思わず息を呑む。
まるで微速度カメラを見るかのようにゆっくりと少女は倒れた。
胸部に深々と刺さる矢尻、医学の知識がない人間から見てもそれは致命傷だった。
心臓に矢が突き刺さって死を免れる人間がどこにいようか。
ナナコは慌てて彼女の元に駆け寄り、彼女の最後の言葉を耳に焼き付けたが、その言葉を少女たちに、あるいは御両親に伝えても良いものか悩んだ。
彼女が一七年の人生を掛けて残したその言葉は、
あまりにも禍々しく、悲しい囀りだった。




