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由佳里の裏切り

 高梨冬子が築地由佳里を自室へ連れ込むと、開口一番に現在状況を説明し始めた。


「今、このゲーム参加してるものは、ふたつのグループに分けることができるわ」


「ふたつ……ですか」


 由佳里は反芻する。


「そう、政治家風に言えば主流派と反主流派、女子高生風に言えば仲良しグループとハブグループね」


「……私たちがハブですか」


「その通り、私が嫌われているのは言わずもがな。あまり言いたくないけど、実はあなたも相当印象悪くてよ」


「心当たりは……あります……」


 あんな捨て台詞を吐いて部屋を飛び出したのだ、標的にされて当然である。


「それじゃあ、四対二ですか、かなり劣勢ですね」


 冬子は大きく首を振る。


「ハブは私たちだけじゃないわ。どうやらあの女もグループに入れなかったみたいね」


「あの女?」


「ナナコよ」


「なぜ?」という言葉よりも先に「なるほど」という言葉が口を出た。


「当然よね。あの女は怪しすぎるわ。記憶喪失? 今時、そんなの安物のドラマにも登場させないわよ。恐らくあの女は美月とぐるになっている。みんなそう思っているんじゃないかしら。仮に違ったとして、あるいは本当に記憶喪失だとしても、そんなあやふやな思いでこのゲームを勝ち抜く資格はないわ」


 その口ぶりから、ナナコを仲間に入れる気が毛頭無いことは明白だった。


「それにあの女……、これは私だけが思っていることで、勘違いかもしれないのだけど……」


 冬子は一瞬、口にして良いか迷ったようだが、結局、仲間に隠し事はしたくない、と前置きした上で話してくれた。


「あの女、切れすぎるのよ」


「そんなに短気でしたっけ?」


「違うわよ。そういう意味じゃなく、頭の回転が速すぎるのよ。機転が利くし、洞察力や決断力もあるわ。正直、六人の中で一番抜けてると思う」


「つまりライバルは早めに落した方がいい、ということですか」


「そうね、少なくとも私はそう思っているわ。あと、向こうのチームだとかなえとかいう女辺りも」


「心配しすぎような気もしますけどね」


「そうね、まずは自分たちが勝ち上がることだけ念頭に入れましょう」


 冬子はそう締めくくると、必勝の策を話し始めた。


 

 彼女の作戦は合理的かつ理知的なものだった。


 人間は弱い生き物だと前提に置きつつ、ゆえに信頼し合わねばならない、と、道徳的観念と合理的概念を組み合わせたかのような作戦だ。


 ――要は高梨冬子は築地由佳里を完全に信用したわけではなかったようだ。


 つい数刻前、自分を信頼しろ、互いに信用し合いこのゲームを勝ち抜こう、とその唇で宣言したのにも関わらずだ。


 だが、築地由佳里には怒りの感情など露程もない。

 なぜならば由佳里もまた冬子に信を置いていないからだ。


 否、彼女を信用していないどころか、いつ裏切り、冬子の端麗な顔を怒りと絶望に染まらせるかしか頭の中にないと言える。


 そう言った点では、彼女の提案した作戦はまさに福音だった。いくらでも冬子を陥れる余地のある作戦だったからだ。


 彼女の提案した作戦はこうだ。

 まず互いに額の数字とマークを教え合う。

 そしてその数字がどんなに良いものでも必ず換える。

 互いに言葉に嘘がないか、信を確かめるためだ。


 その後、己の好きな回数だけ、カードを換えるが、カードを換えた後、嘘偽りなくカードの数字とマークを報告し合うのである。


 要は何度かテストをし、相手が信用できるか試そう、という提案だ。相手のことを信じ切っていれば不要な行程である。


 だが、冬子を陥れるチャンスがあるかもしれないという点では、由佳里にとっては願ってもない作戦であった。要は冬子の信頼を得た後、嘘の数値を教えれば、そのまま地獄に突き落とせるというわけだ。


 由佳里は感情が表情に伝わるのを極力避けながら、冬子と共に機械が設置されている部屋に向かった。


 そこには六人全員が揃っている。


 姿を隠していた由佳里を見て多少驚いているが、それ以外、変わりはないようだ。

 いや、変化はあった。数人、数字とスートが変わっていた。

 由佳里の表情を察したのか、冬子が軽く耳打ちする。


「私が部屋を空けた間に何人かカードを交換したみたいね」


 冬子はそう言うと機械のコンソールを覗き、数を数え始める。


「どうやら、ナナコと春が一枚ずつ引いたみたい」


「え、コンソールにそんな情報が書かれているんですか?」


「まさか、そこまで親切じゃないわ。ただ、今まで引かれたカードの累計枚数を確認しただけ。私が部屋を出る前に確認した枚数から二枚増えていた。そしてナナコと春のカードが変わっていた。推理とも言えない簡単な推察よ」


「なるほど、そんな機能があったんですね」


 由佳里は得心すると、改めて全員を見渡し、数値を確認する。


 十全かなえは相変わらず六である。前髪で若干スートを確認し辛かったが、実は彼女が由佳里の知らぬ間に宣言を撤回し、カードを引き直していたとしても何の問題もない。六は六でスートがハートだろうがスペードだろうが、大した問題ではない。


 久留里一華は由佳里が最後に見たときと同じでハートのクイーンだった。当然であろう。彼女たちが団結しているのならばカードを引き直す必然性など一切無い。


 問題は次の田島春だった。彼女の数値次第では、彼女たちの団結が嘘、あるいは冬子の勘違いということになる。変わりものであるかなえはともかく、一華がチームメートである春を低い数値のまま放置するわけがない。


 田島春のカードは……


 ダイヤのジャックだった。一一である。かなり高数値で、現状では交換の必要はないと思われた。


「やっぱりあの三人は組んでいるのね」


 春のカードだけではなく、ナナコのカードもその説を補強する。


 実はナナコのカードは最初、ハートのキングだった。ほぼというか一〇〇パーセント勝てるカードだったのだ。それが今やクラブの四で、このままゲームが終われば彼女が敗者となる位置にいた。やはりナナコは向こうのグループに入れなかったようである

(つまり現状だと、冬子に三以下のカードを引かせればいいのね。そしてそのカードを高めだと信じ込ませればいい。それに仮に今回のゲームで冬子を落とせなかったとしても、負けるのはナナコとかいう素性の分からない女。今回は向こうのグループに入れなかったけど、ナナコがいなくなれば次のゲームで標的にされるのは絶対に冬子、どちらに転んだとしても……)


 由佳里は勝利を確信した。


 由佳里が気をつけることは、その確信が表情や言葉となって現れないよう腐心することだけだった。


 由佳里は打ち合わせ通り、機械に頭を入れ、カードを交換した。


 モニターには前回の数字が表示される。ダイヤの五である。冬子が教えてくれた通りの数値だった。


 そして冬子はさり気なく由佳里に近づくと、現在の数字とスートを教えてくれた。


「クラブのジャック」 


 由佳里はぴくりと身体を震わせた。


 想像したよりも遙かに高めだったからである。仮に由佳里の額に書かれた数字と本当に一一であれば、由佳里の勝ち抜けはほぼ決定的で、カードを交換する必要は一切ない。


 高梨冬子が嘘を付いていなければ――

 由佳里は逡巡に逡巡、思考に思考を重ねた。

 冬子の顔を見つめる。

 嘘を付いているようには見えなかった。

 そうだ、彼女の言うとおり、彼女が由佳里に嘘を付く必要などないのだ。


 高梨冬子は大財閥のお嬢様で名誉や体面を何よりも大切にする女、ひるがえって築地由佳里はどこにでもいるような女学生、高梨冬子にとって路傍の石も同じでその名誉を汚してまで陥れる必要など一切ないのだ。


 由佳里はそう思ったが、思考とは裏腹に、足は機械へと向かっていた。


(そうだ、そうよ、一回だけ、もう一回だけカードを換えて、あの女が裏切らないか確認しないと……)


 由佳里は夢遊病患者のような足取りで機械に頭を入れ、カードを書き換える。

 書き終わり、振り向くと冬子と視線が交錯する。


 先ほどまでの温和なまなざしが、冷酷な視線に変わっているのは気のせいだろうか、由佳里の被害妄想なのだろうか。だが、冬子は由佳里の動揺など余所に、先ほどのように耳打ちをした。


「ジョーカー」


 由佳里の身体に電撃が駆け巡る。

 歓喜の電流、随喜の稲妻。

 絶対に負けないカードが来たのだ。


 冬子の言葉には嘘偽りはないはずだ。実際、モニターに示された前回のカードは冬子が教えてくれたカードそのものだった。


それに冬子の言葉だけでなく、周囲の響めきが証明していた。


 由佳里が額の数字とマークを周囲に晒した瞬間、部屋の空気が変わったのである。かなえを覗く全員が僅かながらも動揺の色を示した。


(これは絶対にジョーカーよ、ジョーカー以外有り得ないわ、やった私の勝ちよ!!)


 由佳里は飛び上がり、歓喜を表現したい衝動に駆られたが、なんとかそれを自制する。

 由佳里の勝ち抜けは決定したが、あの女の負けが確定したわけではなかったからだ。


 そう、由佳里にはまだ冬子を陥れる愉しみが残されているのである。

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