第一話
R15とまではいきませんが、人によっては不快に思うかもしれない描写があるかもしれませんので、不安な方は読まない方がいいかもしれません。
※雨夢は、「あめゆめ」ではなく「あまゆめ」と読みます。
肌を流れる雨の感触。
耳につくスリップ音。
眩しいヘッドライト。
飛び散る私の鮮血。
忘れない。忘れるわけがない。
ーー私は死んだ。3年前に。
自分の死体も見たし、葬式も、遺骨も見た。…初めて、母が泣いてるのも見た。
なのに、私はまだこの世に留まっている。
…何故かって?
さぁ?何故だろう。私が聞きたいくらいだ。
何故私は成仏できないのだろう。
「ーーそれは貴女が成仏するタイミングを逃したからね」
ここ数ヶ月ずっと使い続けていて、なんだか愛着が湧いてきたベンチに座りながらいつものように思案をしていたら、突然頭上からそんな、鈴を転がすような可愛らしい声が降ってきた。
「ーー誰?」
当然の疑問を口にしながら上を見ると、真黒な長い髪を風になびかせている幼い少女が、その見た目に不釣り合いなほど大人びた笑みを浮かべながら雨の降る灰色な空をバックに私のことを見下ろしていた。
「…そうねぇ。答えてあげてもいいけど、その前にまず貴女が名乗るべきじゃないかしら?ほら。人に名乗らせる時はまず自分からって言うでしょ?」
…そんなこと言うだろうか?いやまぁ、別に渋るほどの名でもないから構わないのだが。
「…私は佳乃。で、貴女は?」
「梓咲よ。よろしくね佳乃」
呼び捨てか。会って早々呼び捨てか。私のがお姉さんなんだけどなぁ。別にいいけど。
「…よろしく」
「それで?なんで成仏出来ないか知りたいんだっけ?」
梓咲は私の隣にストンと座り、相変わらずの大人びた笑みをこちらに向けてそう訊いてきた。
「何故知っているの?もしかして、声に出してた?」
「いいえ。出して無いわよ。でもね、解ってしまうの。私は神様だから」
神様…?こんな小さな女の子が?
「あのね。確かに私はこんな見た目だけど、正真正銘神様よ」
「あ…。そうなの?」
「そうよ。まぁでも、小さな祠の、信仰も薄れてきてしまった、あまり力の無い弱小な神様なんだけどね」
そう言うと梓咲は弱々しく笑った。
…その笑顔は、何だかとても痛々しかった。
「…そう、なの」
「えぇ。でも、佳乃に助言?くらいは出来るわよ」
「それは助かる」
「…敬いなさい。崇めなさい」
「わー。神様素敵ー」
「酷い棒読みね」
「気のせいですよー」
「…あぁ、そう」
「…で。成仏するタイミングを逃したって、どういうこと?」
「…そのままの意味よ」
梓咲はチラリとこちらを見ると、すぐにふいっと顔を背けてしまった。
もしかして拗ねてる?汗
「…えっと。もう少しわかり易く教えていただけますか、神様?」
「…仕方ないわね。心して聞きなさいよ」
梓咲は「えへん」と胸を張ってこちらを向いた。……うわ。この神様単純だ。
まぁ、教えてもらえるならどうでもいいや、そんなこと。
「霊が成仏出来るのは、決められた期間内だけなのよ。それを越えてしまうと、暫く成仏出来ないの。で、その決められた期間っていうのは、約2週間くらい。だから、貴女は暫く成仏出来ないってわけね。おわかり?」
………はい?そんなの初耳ですが?
「言われなかったの?"成仏しないでいいんですか?"って」
「えぇ?えっと…。えぇっと……」
言われた…ような、言われなかった…ような?うぅーん。よく思い出せない。
なんてうんうん唸りながら首を右やら左やらに捻っていたら梓咲に呆れ顔で「覚えてないのね」と言われてしまった。
「…なんか、死んだってことで頭の中が一杯で」
「そう。…まぁ、過ぎてしまったことは仕方ないし。次にブリッジが架かるのを待ちなさい」
「ブリッジ?」
「そう。オモテとウラ、この世とあの世を繋ぐ橋のことよ」
「オモテとウラ…」
紙みたいな言い方するんだな…。あ。煎餅でもいいか。
って。そんなことはどうでもいいや。とりあえず、暫く待てば私は成仏出来るんだ。
「で、そのブリッジが架かるのはいつなんですか?」
「そうねぇ。前回架かったのが確か…12年前だから、あと88年くらいかしら?」
「…は?」
88年…?え?どういうこと?…まさか。
「……100年に1回しか、架からないんですか?」
「オモテとウラを繋ぐ橋がそんな頻繁に架かってたら危険でしょ?」
梓咲は当然のようにそう言った。
いやまぁね?そうだけどさ?
「でも、人が死んだら架かるものでしょ?もう既に頻繁に架かってるじゃないですか」
「人が死んだ時に架かるブリッジは、その人しか渡れないからいいのよ」
何それ狡い。
と、い、う、か。
もしかして私今ピンチ?
「どうにか出来ないんですか神様!?私今すぐ成仏したいんですけど…」
「なら、何ですぐに成仏しなかったのよ」
ごもっともです。
「なんとなく?」
「はぁ。自業自得ね」
ごもっともです。
「梓咲は神様なんですよね?何とか出来ないんですか?」
「…………」
あ…。また、痛い笑顔…。
「だから、言ったはずよ?私は小さな祠の弱小な神様だって。貴女を成仏させられる程の力は無いわ。ごめんなさいね」
「そ…、そっか」
気まずくてつい視線を逸らして下を向く。…そこには、私が死んだことをわざと視認できるようにしたかのように透けて向こう側の見えてしまっている自分の足がある。
何回見ても、変な感じ。
「……」
「あー。でも、貴女たち幽霊はもう歳はとらないし、病気をすることもないわ」
「あ。そうなんですか。…永遠の、16歳か」
少し悲しい。もう私は大人になることは叶わないんだ。ずっと、子供のままなんだ。まぁ、着ているものが制服だから、よかったと言えばよかったのかもしれないけど。
「…ところで、貴女は何故いつもこのベンチに座っているの?こんな交通量の多い道に沿って置いてあるベンチなんかに座っていちゃ、気なんか休まらなくないかしら?」
暗く沈んでしまった私の心を引き上げるかのように明るい声で梓咲が話題を変えた。
「そう…ですね。確かに気は休まりませんが、他に行く所も無いですし。ここは、私の死んだ場所、だからですかね。なんとなく此処にいます」
そう。私はこの道で、車に轢かれて死んだ。このベンチの隣にある、あまり品揃えの良くない自販機でミルクティーを買って、飲みながら帰ろうとしたところで……
「行く所が無い?家は?」
「………あそこに私の居場所はもうありませんよ」
「どういうこと?」
「………みんな、私のことを忘れようと必死ですから」
「………」
「当然なんですけどね。何年も、何年も死んだ人間のことを想っていても仕方ないですし。…だから家を出ました。それからは、宛もなくぶらぶらとあちこち行ったり来たりしてたんですが、飽きてしまって。結局、此処に戻ってきたんですよ。確かに此処は交通量が多くて気は休まりません。ですが、おかげで退屈もしません」
そこまで一気に言って黙ると、それまで静かに話を聞いていてくれた梓咲が口を開いた。
「………忘れようと、してるって、本当に?」
「はい」
「親、兄弟も?」
「えぇ」
「…薄情過ぎない?」
「そうでしょうか。私は別に、そうは思いませんが」
「何故」
「さっきも言いましたが、だって想っていても仕方ないじゃないですか。忘れずにいれば、毎日思い出を振り返っていれば、再び会うことが出来るのですか?………出来ないでしょう?なら、一刻も早く、私のことなんて忘れてしまった方がいい」
辛い記憶を、いつまでも背負っている必要なんてない。少しでも楽になって、前に進んでほしい。だから、それでいい。私のことは、もうーーー
「貴女は、それでいいの?」
「っえ」
「大切な人たちに忘れられて、それでいいの?」
「ーーーいい、ですよ」
心からそう思っているはずなのに、望んでいるはずなのに、答えた声は、何故か酷く震えて、掠れていた。
そんな私を睨むように、梓咲は続ける。
「死んだら忘れてそれで終わりなんて、そんなのおかしいでしょ!?そんな簡単に片付けられるようなものじゃないでしょ、人の死は!」
「ーーー簡単ですよ、忘却なんて」
「はぁ!?」
「私の父親、死んでるんです。中3の時に。…忘れた日なんて、無かった。毎日思い出してた。…ねぇ、梓咲。人は死んだ人の何から忘れるか知ってます?」
「……知らないわ」
「声、なんですって。……本当にその通りなんですね。ある日ふと、父親の声が思い出せなくなってたんです。焦りましたよ。だって、まだ1年も経っていないのにって。……ねぇ梓咲。それくらい、人の記憶なんて脆いものなんですよ」
隣に座っている梓咲を見ると、酷く悲しそうな顔をしてこちらを見ていて、その頬を、雨粒とは別のものが滑り落ちる。
「何故、泣くのですか」
「だって、貴女が嘘を吐くから」
「……嘘?何のことですか」
「家族が!自分を忘れようとしているなんて!そんな悲しい嘘を吐いたでしょ!?」
「……はぁ?」
「悲しかったくせに」
「……え」
「父親の声を忘れてしまって、悲しかったくせに!なのに、貴女のことを忘れてしまうことが、家族にとって悲しくないはずないでしょ!?」
やめて…。それ以上、言わないで…。
そんな私の願いは叶わず、梓咲は私の心を打ち砕いた。
「貴女は逃げている。現実から。そうでしょう?」
「……!」
……何も言えなかった。だって、全て事実だったから。そう。私は現実から逃げていた。ずっと、ずっと。
黙りこくった私を悲しげな、そして優しげな瞳で見ながら梓咲は静かなこえで言った。
「話して。何で、あんな嘘を吐いたのか」
「………嫌、だったから」
「何が」
「家族が私のことで悲しむのが」
家族が私のせいで悲しんでいるのが嫌だった。だから、家族が自分を忘れようとしていると思い込み、胸の痛みを軽減させていた。でも、そんな自分勝手な自分が嫌で。大嫌いで。どうすればいいのかわからなくて……。
「……」
「確かに、家族が私を忘れようとしているっていうのは嘘です。でもね、忘れてしまった方がいいっていうのは、本音ですよ」
「…それで、悲しくないの?」
「そりゃ、忘れられてしまったら悲しいし寂しいですよ。でもさ、みんなの足枷になるのは嫌じゃないですか。…だからーー」
「別に忘れる必要なんて無いと思うわよ、私は。ただ、いつまでも悲しんでいるのは無意味ね。悲しんでいたって、貴女たち幽霊が成仏出来るわけじゃないもの。だから、日常のちょっとした時に、"あぁ。あの時あんなこと話したな"とか、"そういえばあの本好きって言ってたな"とか、ふと思い出して懐かしむならくらいならいいんじゃないかって、私は思うけど?」
涙を拭って梓咲はにこりと笑いかけてきた。その笑顔が眩しくて、直視できなくて、私はふいと顔を背ける。その拍子に私の瞳からキラキラと光る滴が飛び散った。それに気づいていないはずかないのに、梓咲は何も言わなかった。
「……今日はいい天気ね」
「……土砂降りですけど」
特に意識したわけではないのに、私の声は拗ねたようなものになってしまった。情けないなぁ。
「晴れだけがいい天気って訳じゃないでしょ。私にとっては雨がいい天気なのよ」
「屁理屈ですよ」
「いーいーの!」
にしし!と笑い梓咲は軽くジャンプをしてベンチを下りた。そしてくるっと1回回って私の方を向いて心底嬉しそうな笑顔を向けて言った。
「だってこの雨のおかげで貴女とお話出来るんだもの。ね?雨の日の幽霊さん」
「……そりゃどうも」
そう。私は雨の日にしか他人に認識されないらしい。この他人は、幽霊も神様も人間も含まれる。まぁ、人間は"ある一部の人"に限るが。
因みに原因は不明である。…個人的には、雨の日に死んだことがそうなのかなって思うんだけど。
「明日も雨降るかしら」
「どうでしょうね」
「あら。興味無いの?」
「特には。降っても降らなくても、私に話しかけてくる人なんてそうそういませんし。それに、視認されなくても私は此処にいるので」
「ふーん。…なら、雨の日はできる限り来るわね」
「え?」
「だって、独りぼっちは寂しいでしょ」
舞い降りた静寂。何もかもが音を失った世界で、私は考える。
独りぼっちは、寂しい?
どうだったっけ。そうだったっけ。
わからなくなってしまった。長く独りでいすぎてしまったから。
いや。違う。そうじゃないでしょ。私はここでも逃げていたんだ。鈍いフリをして。寂しさから目を背けて。
本当は、ずっとーーー
「さみ、しい」
誰かに隣にいてほしかったくせに。
「でも、何で雨の日だけ?そこは、"いつも貴女の側にいてあげるわね"じゃないんですか」
「すぐ近くにいるのに見えないし話せないって方が、私は寂しいと思うけど?」
なるほど。それもそうだ。
「……わかりました。じゃあ、雨の日だけお願いします」
そう言って笑うと、梓咲も笑った。
その笑顔は、さっきも見せた心底嬉しそうな、年相応な笑顔でとても可愛らしかった。
「じゃあ、また雨が降ったら会いに来るよ」
「はい。ありがとうございます神様」
「別にもう敬語じゃなくていいわよ。タメ口で話せば?最初みたいに」
「ホント?やった〜」
「ちょっと!また棒読み!」
「気のせいだって〜」
「っもう!」
振り続ける雨はまるで、魔法のようで。
私を殺した張本人であるそいつを、この日私は少しだけ好きになれたきがした。
お久しぶりです。または、はじめまして。
天使テオと申します。あ。ペンネーム変えましたw
この物語は車に乗っている時にふと思い浮かんだアイデアから生まれました。まぁ、こんなに重めな物語になるとはあの時は思ってもみなかったんですがねw
さてさて。私、こんな"死"をテーマにした物語は書いたことがないので、上手く書けるか不安ですし、簡単に書いていいような軽い内容でも無いと思うので緊張しますが、少しでも多くの人に切なさや感動を届けられるように努力したいと思いますので、応援よろしくお願いいたします!