4.星が綺麗だった日の事
あれから日課に『外に出ること』が加わった。
朝の準備が済んだらすぐに出かけることもあれば、歩行訓練を行って夕方頃出かけることもあった。
ただ一つ確かなことはあの風景に、森林のざわめく様子に、満天の星空が瞬く様子に僕は心を奪われてしまったということだった。
しかしそれは当然だろうと思う。
俺の部屋は真っ白な壁と天井にヒビが模様のように入っているだけで、あとは隅に寝台がぽつりと置かれているだけで何もない部屋だ。他の物が必要でないというのもある。服は神崎が持ってきて着替えさせてくれたあとは洗濯のためだろうどこかに持っていくし、料理も同様だ。
時間を有することは歩行練習くらいで他に何もないのだ。
それに比べて外のなんと美しいことだろうか。
神崎から聞いた話では、一度は不毛の大地となったはずの世界なのに、この1000年で大地は蘇っていた。
圧倒的な命の息吹。人の力じゃ成しえない地球のもつ力、それに僕は感動するしかできなかった。
「主様、観測機器からの情報を統合すると今日の夜は冷えるようです。どうぞこちらを羽織りください。お風邪を召してしまいます」
「うん、ありがとう」
今日も夕方から星を眺めるために外に出る。
神崎さんとお揃いの色合いの青いコートを羽織り、神崎さんに抱き抱えられて廊下を進む。
最近は抱き上げられるのが当たり前になって羞恥心はほとんど感じない。むしろぴったりと彼女にくっつけることを嬉しいと思っている自分がちょっぴりいたりする。
そんな時間を楽しむこと一時間弱。通路もいつの間にか神崎さんが片づけたのか、がれきが少なく、進むペースがかなり早くなっている。
そうして最後の扉を神崎さんがクルクルとハンドルを回して開けると、草と木と大地の匂いが押し寄せてきた。
吹き抜ける風が少し涼しく顔を撫でる。
スっと背中に風を感じ、身震いした俺は一歩、外へと踏み出した。
陽の光は橙色。眩しいほどの黄色の光が差し込む。
今日はすでに黄昏に染まった空を見ることが出来た。
太陽は影山と浮遊大地の彼方に落ち込み姿は見えない、しかし空は赤色の彼方から雲の影色を経由して黄色と僅かな白に染められている。
そんな空とは対照的に大地は黒と橙色の二色だけだった。森の形にボコボコと盛り上がった黒色の影の合間を、空の橙色を溶かした様な川が幾本も流れている。
森の中を進むにはきっと恐怖を浮かべる逢魔な時間であろうけど、台地から見る今の時間は空の美しさを際立たせる添え物のようだった。
この色合いの変化は、時間が変わっただけの変化なのに飽きることない。自然が魅せる当たり前の姿なのに……。
風がまた森を駆け抜け、僕の髪を撫でた。
「冬が近いのかな……陽が落ちるのが早いし……風も冷たい」
そんな俺の後ろに立った神崎が口を開く。
「今は夏の終わり、秋に入るころです。もうすぐすれば紅葉が始まることでしょう」
「夏の終わりだったんだ、それにしては涼しいもんだ」
「季節外れの冷夜のようです、どうぞこちらに」
そう言うと神崎は後ろから腕を回して俺をお腹に抱えるように抱きしめた。
着物の袖がまるで上着のように俺を包み込む。
密着した背中も彼女の温かみが伝わるようでポカポカする。
柔らかな胸はまるで枕のように俺の頭に触れた。
「あ、ありがとう」
「礼は不要です、御傍に侍るのが侍女ですので」
妙に説得力のある言葉を聞いた俺は、こくりと頷いて答えた。
そうやって抱きしめられながら静かな、風に奏でられる森の音を聞きながら時間を過ごす。
橙色と黒を主とした世界から、より黒が広がっていく。
しかし、その時から、また別の時間が始まる。
それはまるで風景が切り替わるかのような変化。
真っ暗な大地とは対照的に空は輝きを見せる。
「星が……」
一瞬の変化のように星が力を持ち始めた。
空が明るく白くなる。
「ふふっ」
俺の口から笑みが零れた。
「どうかされましたか? 」
「昔見たアニメのセリフを思い出しただけだよ」
「それはどんな台詞ですか」
「悪い意味で使われた言葉だけど今はそれが逆の意味でぴったりだなって、コホン、『星が明るすぎて宇宙{ソラ}が黒く見えない! 星が七分で黒が三分だ、いいか、星が七分で黒が三分だ! 』ってね」
「確かに、的確な表現だと判断できます」
星が夜を駆逐する。
天の川、こちらでもそう呼ぶのかわからない星々の輝きは青とすら例えられそうだ。そんな夜空を埋めるのは満天の星空。
見上げ続けるそれは心が洗われるようだ。
もしくは悪い何かが吸い込まれていっているのかもしれない。
しかし……。
「いてて、」
俺は首を押さえる。
「首が痛むのですか?」
「見上げ続けるのはちょっとしんどいね」
苦笑いが込み上げる。
「でしたらこのように致しましょう」
そう言うと神崎は俺からするりと外れて地面に正座をして座った。
そうしてポンポンと膝を数度叩いて見せた。
「えっと……これって」
「横になって見上げる方がずっと見やすいかと、しかしこのまま横になると体に悪いので、せめて枕を用意しようかと、つまり私が枕になります」
「……凄い発想だね」
「当然の結果かと、さぁ、どうぞ」
ほんの僅かにためらう。夢にまで見た膝枕だがいいのだろうか。
しかし、それに誘われるように本能が動き出していた。
そんな彼女の横に立って膝に頭を落ちつけようとするのだが。
「そちらではありません、こちらに頭をどうぞ」
彼女が示したのは膝の合間だった。
「こちらの方がすわりがよろしいと判断します」
なるほど、俺は位置を変えて膝の合間に頭を落ち着けた。
人と変わらない柔らかさが頭を通じて伝わる。
そんな俺をまた毛布を掛けるように彼女は着物の袖で体を包んでくれた。
「如何でしょうか? 」
「とってもいいよ……」
暖かい。普段抱き上げられた時のように、もしくはそれ以上に彼女に包まれているようだった。
そうやって見上げる星空は輝き続ける。
白に染まりそうな宇宙。
まるで僕と神崎が浮かんでいるようで……。
だけどほんの少しの疑問がアニメのセリフと共に浮かぶ。
「『星の瞬きは人の思い……』これだけの輝きがあるこの世界、人は残っているのかな? 」
それは小さいけれど確かな疑問。1000年の時間が人を全て取り去ったとしたら……それは幸福か不幸か……。
世界を神崎と二人占めできるのは幸福か?
たった一人の人間でもはや終わった種族として孤独に生きるのは不幸か?
今の俺には判断できなかった。
しかし、あっさりと神崎は断言した。
「残っています。当時の全ての国家が種の保存方法を模索していました。この国ですら生き残っていたシェルターの数だけ様々な保存方法を実行したのです、それらすべてが潰えたとは考えられません」
「そっか、なら世界はまた荒々しい日々を迎えるのかな」
「その可能性もございます」
三人いれば人は争いを起こす、そんなどうしようもない種が人ならば、結論なんか出ているのかもしれない。
「『星の瞬きは人の思い……』願わくは……」
僕はその先を口にすることが出来なかった。
どれをとっても、人にとって不幸なそれに感じたから。
ただどうであれ流れ星じゃないただの輝く星に願った僕の思いはきっと届くことは無いのだから。
「神崎……星が綺麗だね」
「はい、そうであると判断します」
誤魔化す様に僕は囁き、眼を閉じたのだった。
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星が瞬き、大地を照らす中、神崎は自身の膝の上。
小さな主を見つめ続けていた。
小さな寝息を立てながら主が眠りについている。
星を見上げながら寝てしまったのだ。
そんな主のサラサラの髪は膝を滑るほど清らかで、星に照らされて美しく輝く。
膝の上の寝顔は絵画に掛かれた天使のように安らかだった。
腕に納まる小さな体は暖かくもか弱い。
自分が全力を出せば容易くつぶれてしまいそうな細い体。
だがそれを収めていると作られただけの自身の回路が満たされるのだ。
しかしそれが何か、未だに理解できなかった。
前の『主達』からは全く感じなかったそれを強く感じて、自分は壊れてしまったのだろうかと判断が及びそうになるが、そんなことはない、とすぐに否定する。
これが本来の魔法人形のあり方ではないだろうか? 。
そうであったらどんなに……。
そのためにも、自分は、この小さく主を守り続ける。
そう自分に記録を残した。
だから。
防音結界を発動。
主様の周辺のみ結界範囲に設定。
自分の三本の魔法簪が聴力の強化を行い周りの音を聞き届ける。
「グルルルルゥゥウウゥ!! 」
「ウゥゥウウゥウウウゥ! 」
「ワウウウゥゥゥゥウゥゥ!! 」
記録を検索。戦闘用の大型狼タイプ5匹確認。
前方3、後方2。
主を起こさないようにゆっくり右腕を引き抜き前方に手を向ける。
「主様の眠りを妨げるものは死をもって償いなさい」
魔力弾。
純粋魔力のみを込めた弾丸を放つ。
「キャイン!」
暗闇でも見通すことが可能な神崎の眼が1匹の腹に風穴を開け撃破をしたことを確認した。
残り二匹も通常の視界に映る前、近づいてくる前に連弾を放つ。
「ゴギャ!」
「ビギャン!」
頭から魔力弾を受けた前方の2匹はわけもわからず機能を停止したことだろう。
残り2匹。
後ろから荒い息を立てながら迫ってくる、その2匹に向けて威力を強めた魔力弾を放つ。
狼タイプと言えど避けることのできない速度で放たれたそれは寸分たがわず、命中。
ここから見えない木の陰までそれらを吹き飛ばした。
周辺域クリア……。
「静かな……良い夜ですね。主様」
毛布代わりの着物袖をそっと静かに戻して再度優しく主を抱きしめる。
これで朝、主様が朝起きても心配することはありません……。
神崎は無表情に、朝が来るのを待ち続けた。