2.初めてお世話された日の事
「我が主様は、記録装置で刻まれた魂、その主様ではないのですよね」
彼女の確認の問いかけに俺は若干の戸惑いを胸にしながら答えた。
「はい、えっと……ぼ……いや俺……の名前は星野裕也っていってその記録装置? の魂じゃないんだけど」
「はい、理解しています。主様、その可能性も検討されていました」
「検討されていた……どういうこと」
「いえ、1000年前の技術ではこの方法が失敗の可能性があることを導きだされていました」
「失敗前提だったってこと?」
「いいえ、確率論の問題に過ぎません。1000年後のこのタイミグに死んだ者がより深く死を拒絶した場合、この装置が魂を回収してしまうことは当初から検討されていました。ただし、時間誤差は1.12パーセント以内であることが前提でしたが。……ほぼ0パーセントです」
「へぇ……なるほどね、じゃぁ、俺はものすごく幸運だったわけだ」
「はい。そうなります」
俺の頭に理解の文字が広がった。
納得するにはもっと周りを知らなければならないが、小説や漫画のように転生してしまったことは素直に無理やりに納得していた。
もとより、死ぬことを、または記憶を失うこと、自分が自分でなくなることをこの事故以前の出来事により極度に怖がっていた俺にとって、そして漫画や小説のように転生して第二の人生を歩みたかった俺にとって今の状況は願ったりかなったりでしかなかったが。
しかもである、どうも今回の人生は最初からすばらしく美人な侍女ロボ付き、常に無表情なのが気になるがどうということは無いだろう。
この世界には不安を覚えるが……俺としては幸運と言わざるおえなかった。
だが、確認はしておかないと。
「でも、えっと君、神崎さんはいいの」
「神崎と呼び捨て下さい。なにがでしょうか」
「呼び捨てって慣れないんだけど……そういうなら神崎さ……神崎は、その魂の人、この体の本当の持ち主でなくていいの?さっきから俺の事、主様って呼んでるけど」
「はい、構いません。そのように申し付けられておりましたから」
「どういうこと?」
「口頭でしたが、『……傍にいてあげて……』と、主任研究員はおっしゃっていました」
「そっか、俺としてもそのほうが助かるよ、わけのわからない状況においてけぼりってさすがにありえないからね」
「お傍にいさせてもらえますか?」
「うん、是非ともお願い」
「はい、わかりました。お傍におります」
彼女はそう言うと、再度深々と頭をさげたのだった。
俺も一緒に頭を下げたかったが、体は動かなかった。
「そういえば今更だけど体が全くと言っていいほど動かないんだけど……」
「装置に不備があったのかもしれません……ですがリハビリをこなせば動くようになります」
「そっか、でも困ったな」
「何がでしょう?」
「色々と自分じゃできない? 、ご飯食べたりとか……トイレとか」
彼女は俺の心配を理解したのか小さく頷いた。
「何一つ問題ありません。全てお手伝い致します」
「全て? 」
「全てです」
「食事も? 」
「全てです」
「着替えも? 」
「全てです」
「……ト、トイレも? 」
「もちろん全てです」
無表情のはずだし、声の抑揚もすくないが、気のせいだろうかどことなく力強く彼女は答えた。
再度思うが、彼女は美人だ。そんな彼女に下の世話をされる……。
なんという羞恥プレイだろうか?
俺は俺の尊厳のためリハビリに全力を尽くすことを誓った。
「がんばってリハビリしよう。うん」
「はい、お手伝い致します」
そんなときだった。
『ぐうぅ』
と腹の虫が鳴る。
もちろんここには一人の人間と一体の魔法人形しかいない。となれば誰から鳴ったのかは一目瞭然だった。
俺は恥ずかしくなってお腹を押さえようとしたが体は動かないのだった。
彼女は笑うことなく当然のように頷いて告げた。
「時刻は18時を回っています。また、二日も眠っていたのです。夕食の時間にはちょうど良いかと」
「ごめん」
「いいえ、何一つ謝罪する必要性がございません。夕食の準備をしてきます」
彼女は一礼すると部屋を退出していった。
俺は軽く息を吐いた。
当然のように会話できたが……しかし、頭の片隅では今も僅かな混乱が頭をざわめいていた。
愛想笑い交じりだった表情を消し去り、回想する。
「転生、魔法人形、少年の俺……」
自分の舌を僅かに噛む。
痛みが……現実を知らせた。
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神崎は、新たな主の夕食を準備するため廊下を進む。
ただ歩むだけではなく、彼女は自身の思考を回転させ今後をシミュレーションし続ける。
新たな主の生誕。
『最悪の結果』をすり抜け、予想のされた結果の中から『良』の結果を引き当てている。
これが最良になるかはまだ情報が足りなかった。
しかし、新たな主と接した人柄は、その魂は十分に彼女を満足させるものだった。
さらに形作られたその体すら、彼女の侍女としての機能を万遍なく使用可能な肉体であり人で言うところの期待を持つに値する体であった。
このまま、常に傍に居続け、お世話し続けることができるならそれはなんと、『良い』未来であるのだろうか……。
彼女は初めて、ごくごく僅かに唇を歪めた。
それは人では見わけのつかないそれであったが、もし他の魔法人形が見たのなら特記事項として記されるほどであっただろう。
そんな彼女は新たな主のため僅かな時間すら惜しみ、楚々として食糧保存庫へと急いだ。
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寝台に備え付けられていたテーブルが引き出され、料理が並べられた。
真っ白な粒が立ったご飯。御出汁の香るワカメの味噌汁。綺麗に巻かれた黄色の輝く卵焼き。透き通るような鰹節とほうれん草の色合いが美しいおひたしに、じゃがいもとにんじんがほくほくと白い湯気を上げる肉じゃが。和の夕食はこれ! っといった品揃えに口の中は涎が溢れそうだった。
「美味しそう……」
「それはようございました」
「でもこれって1000年前の材料で作られたんだよね? 大丈夫? 」
「確認しましたところ各食糧庫のうち97パーセントに異常が発生。使用できませんでした」
「マジで? 」
「はい、しかし幸いなことに、残り3パーセントに問題はありませんでした。使用前に再度確認も致しましたが毒素等、主様に有害な物質は検出されていません、問題のなかった食糧庫の物資で30名が10年間生活できる物資が保存されています。御心配は不要かと」
「そうなんだ、ちょっとふあんだけど、よかった。それじゃいただきます」
そう言って手を伸ばそうとするが……ピクリとしか腕は反応しなかった。
そんな俺の様子に気が付いた神崎さんは俺が座っている寝台の横に腰を掛けて箸を取ると丁寧に料理を切り分け俺の口へと差し出してきた。
「どうぞ」
「う、うん」
分かっている。これしか方法が無いということを。
だが、美人の女性にこれをやられるとものすごく恥ずかしいというか、頬が暖かくなる。
「あーんでございます、主様」
「あ、あーん……」
恥ずかしくて震えながらも口をあける。
彼女は丁寧に箸を差し込んできた。
パクリと口を閉じる。そして広がる料理の味……。
もぐもぐと口を動かすとさらに広がって……。
「美味しい……」
自然と口にでた。料理の内容はただの和食なのにとても美味しかった。
「それは大変ようございました。お作りしたかいがあるというものです」
「これって神崎さ……神崎のお手製?」
「はい、お口にあったようでなによりです」
「うん、美味しいよ、もっとお願い」
「はい」
恥ずかしくあったがしかし、お腹が空いていたのか、自然に、料理を口にできた。
どれもこれも絶品といっていいほど美味しく……食べさせてもらっているせいかさらに美味しく感じられた。
二人でゆっくりと食べるそれらに時間はかかったが、食べ終わるのがもったいないと感じている自分がいた。
最期の一口を食べるのが惜しくなるほどだった。
「ごちそうさま」
手を合わせることができないが、心が自然とこもるほど当たり前にそれが出た。
「お粗末様でした」
彼女は軽く頭を下げる。
そんな彼女に俺は恥ずかしくて、ちょっと視線を逸らしていってみた。
「……その、また作ってくれる? 」
「当然でございますが、そのお許しいただけますか? 」
彼女はしっかりと頷いてくれたが同時にそんな質問をしてきた。
「うん、是非お願い! 」
「はい、これからもお世話させていただきます」
こうしてお腹が膨れると次に訪れたのは眠気だった。
急に眼がしぱしぱとしだし、首が重くなる。
「お休みになられますか? 」
すぐに気が付いた神崎さんが声をかけてくる。
「うん……ごめん、急に眠たくなった」
「謝る必要はどこにもありません。どうぞお休みください」
彼女はそう言うと、テキパキとお皿を片づけて寝台を開けると、俺の体を支えていたクッションをのけて、寝かしてくれた。
そして優しく髪をすくように頭を撫でていく。
本当に子供になったみたいだ。いい年をした精神年齢なのに、しかし嫌な気持ちはどこにもなかった。
「ありがとう……」
「どうぞ安らかにお眠りください、主様……」
「うん、神崎さんも……お休み」
「お休みなさいませ」
その声を最後に意識は急速に落ちていった。
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主のため明かりを落とし、暗くした室内。
神崎は、ただ穏やかな顔を向けて眠る主を観察し続けた。
答えることはできなかったが、魔法人形は眠らない。
だから傍に立って見守るしかやることはなかった。
さっきまで見せてくれていた様々に変わる顔を思い出しながら。
黒く短いが細くさらりとながれる髪、豊津皇国人でありながら、日が当たらず成長した肌は白くすべすべとしていた。
動いていたのは首と丸い瞳だけであったが、その瞳の変化は多彩であった。
短い時間になんども聞いた子供特有の澄んだ声。
なんと変化にとんだ時間だったことだろう。
どれほど動いたことだろう。
あの1000年はあれほど無機質だったというのに。
だからだろう。
彼女はここを離れるという選択肢を選ばなかった。
ずっと傍にあると判断していた。
また彼が目覚めるその時まで。