桜の夢
桜が舞い散るこの季節、僕はある夢を見る。
そう、あの日の君が僕の目の前に現れるのだ。君が見せてくれる一夜限りの夢。その日だけ僕は君に会える。
けれども僕は君に触れることができない。
どれだけ手を伸ばしてもその手は空をつかむ、僕の手は君には届かなかった。
追いかける僕から逃げる君、長い黒髪を揺らしながら走る。僕の方が走るのは早いはずなのに、追い付けない。
君は僕を拒んでいるのか、だから追い付けない、触れられない。
その日の夢も変わらず僕は君を追いかけていた。
「ねえ、待って」
聞く耳も持たずに君は走る。
「待っててば」
君の細い肩を掴む。すると今回は確かに触れた。
ゆっくりとこちらに顔を向けた君は僕の知っている君だった。
「やっと、見てくれたね……」
僕は嬉しくて涙をこぼした。みっともないけれど泣かずにはいられなかった、君の顔を見るのは久しぶりだった。
泣く僕に君は困ったような笑顔を浮かべた。
「泣かないでよ、相変わらず泣き虫だね」
「君の顔を見るために何年も追いかけ続けたんだ」
「うん、知ってる」
僕の涙を君は白く細い指で拭う。
「でも、もう追いかけちゃだめ」
少し俯いて君は言った。
「過去に囚われないで、あなたは前を向いて生きなくちゃだめだよ、だって……」
小さな子供に言い聞かせるように優しく言い聞かされる。
「私はもう死んだのだから」
君の瞳に映る僕はもう大人になっていた、対して君は幼い姿のまま存在している。
そう、死んだあの日の姿のままでーー
「私の分まで生きて、そして恋人を作って、結婚して、温かい家庭を築いてね、人生を楽しんで」
君の小さな手が僕の頬を包んだ。
「私からのお願い」
「……分かったよ、約束する」
それだけ言うと君は僕から手を離した。
君の足元から桜の花びらがひらひらと舞う。だんだんと消えていく。
「バイバイ」
それだけ言い残して君は桜の花びらになって消えてしまった。
「ありがとう」
ずっと言えなかった言葉を桜の花びらに向かって言った。
目が覚める、頬に伝う涙は枕に小さな染みを作っていた。
握りしめていた掌の中には桜の花びらが一枚あった。
「桜……」
桜と同じ名前の君。そうだ、今日は命日だった。
花束でも買って墓参りに行こう。
柄でもないって君は笑うかな。
小さな墓に花束をそっと置く、淡いピンクの桜に似た花を選んだ。
「君を忘れるのには時間がまだまだ要りそうだ」
お願いだ、もう少しだけ桜の夢を見させてくれ。
君の影をまだ追いかけ続けていたいんだ。