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王都アルザハ-2-

 これが夢だということを思い出したのはいつだったでしょうか。私はいつの日からか、空想の世界にふけるようになっていたのです。夢のなかで出会った少女とお友達になって過ごした冒険の日々。きらめくような、わくわくどきどきに彩られた懐かしい日。


「姫。王位継承の第一位たるあなたがそんなようでは、民草が動揺します」


 少女が言いました。私はほんの一メートルもない、川に浮かんだ石から石へ飛び移るのも、できないでいるのでした。少女のもとへ行くには、そんな石を飛び移らなければなりません。でも、いくら私が王位継承の一番目だって、ジャンプすることができないくらいで国が滅亡するのかしら。


「いずれ王国は滅亡するわ。誰でも不老不死でいられるわけじゃないもの。けれど、健全なまま過ごしたいなら、勇気を持たなくては」


 この女の子は時折、難しいことを言います。人は年老いて死んでいく、それはわかるのだけど。


「妹はこんなの、ほいほい進んでいたわよ。ま、失敗してびしょぬれになったりもしていたけれど」


 あの子らしいわ。あの子は私と違って闊達で朗らかで、新しいことに挑戦したりするのが好きだもの。負けず嫌いなのよね。勉強でも、私と同じことをするんだって言って、困らせているわ。


「さあ。どうするの」


 女の子は私を急かします。いえ、急かすというのは違う。私に、私がすることの決定権を与えて、それを促している。今で言うなら、この石を飛び移るか、どうするか。別に、ここを飛び移らなくても、回り道をすればあちらにたどり着ける。あなたも知っているでしょう?でも、あっちの道は確か大きな木が遮っていて通れないのよね。


「……」


 わかったわ。やってみる。

 深呼吸して、足で地面を蹴って、石を伝っていく。


 出来たわ!あなたに追いついたの!スカートをたくしあげて、少しはしたなかったけれど。


「よくやったわ。あなたはやっぱり妹とは違う。石を伝って、こちらに来ることができた」


 どうして?同じことをしたのだけど。


「結果はね。でも過程が違うのよ。それを説明するのは……今はまだ難しいかしら」


 そう言って、女の子は顎に手を当てて考え込んでいました。女の子は大きな、ハルバードのような武器のお尻を地面でたたいて、大きくうなずきました。


「あんたなら、いずれわかるわ。うん、だって私の――」


 黒い長い髪に、ピンク色の上着と幅広な紺色のスカート、白い短い靴下にサンダルという妙ないでたちの女の子は気持ちよく笑った。最後の言葉がなんであったのか、私にはついにわからなかった。


                 ◇◇◇


「どうしたの?明人」


 気付いたときには、見慣れた教室のなかだった。一人の女の子が、怪訝そうに自分を覗き込んでいる。ボリュームのある黒い髪を赤いリボンでまとめている、吸い込まれるような瞳を持つ少女。和服でも着ればさぞ美人だろう。これは、この少女には口が裂けても言えない。そうしたが最後、みんなに言いふらされてからかわれることだろう。


「いや、なんでもない」

「ふうん。ねえ、今度のお祭りって大きいの?」


 この子はつい先日転校してきたばかりで、東京から来たらしい。道理で、ちゃきちゃきしているというか、とにかくものごとをはっきりと言う子だ。このあたりは田舎だから、この子にとっては退屈きわまりないとも思うのだが、そうでもないみたいだ。積極的に地域の集まりには参加するし、友達もずいぶんできたようである。特に年配に人気が高く、すれ違う人に挨拶されるし、気持ちよく挨拶する。そういったコミュニケーションの機微というものがよくわかっているのだ。


 かく言う俺も、転校初日から馴れ馴れしくされたものだから、こっちもちょっかい出したくなるような、妙にウマが合う奴だ。好きか嫌いかと問われれば好きと答えるが、どうにも兄弟姉妹のような感覚だ。別に照れ隠しじゃないぞ。


「このあたり一帯を神輿を担いで練り歩くんだ。最後に神社に戻ってきて奉納する。出店もいっぱいあるぞ」

「へえ、楽しみだなぁ。明人、もちろんエスコートしてくれるでしょう?」


 都会人はハイカラな言葉を使う。


「案内はしてやるよ」

「照れなくてもいいのに。明人があたしをお祭りに連れてってくれるって!」


 声を張り上げると、広くもない教室の内外で茶化す声が返ってくる。リーダーシップというか、トラブルメーカーというべきか、こいつがなにか喋るとみんな聞き入るんだよな。妙なカリスマがあるみたいだ。


「浴衣、楽しみにしてるからね」


 俺が着るのかよ。こういうのは女の子が着てくるからいいんだろうが。まぁ、いつも着るんだけど。


「明人も楽しみにしてなさい。きっと綺麗って言わせてあげる」


 なんだかよくわからんがすごい自信だ。けど、想像はつく。黒い髪を束ねて下駄をカラコロと鳴らしながら歩く姿は、きっと目を奪われるものだろう。


「馬子にも衣装と言ってやるよ」


 憎まれ口の返礼は、脳天にチョップだった。


                 ◇◇◇


 目を覚ますと、知らない天井だった。ブラウンの木造建築は年季が入っており、蜘蛛の巣が張られている。左側から差し込む太陽の光だけが室内を照らしているが、日は高いのだろう、それなりに明るい。視線を右にずらすと木製の家具が置いてあって、小さなテーブルにはやはり木製の水差しとコップが置いてある。どこかの家で寝かされているのだ。


 久しぶりのベッドの感覚だ。柔らかい枕と清潔なシーツ。毛布に汗がはりついて不愉快だが、どうやら上半身裸らしい。


「あ。ジュゼッカ姉さま!起きたよ!姉さまったら!」


 元気のいい声が明人をまどろみの暗い淵から覚醒の日の光に晒した。薔薇を染料にでも使っているかのような赤毛の少女は、太陽の光に照らされてダイヤモンドダストのごとく輝いている金髪の女性を揺さぶっている。うつ伏せで居眠りをしているのはジュゼッカ・フィルブランドだ。


 ジュゼッカはびくり、と体を跳ね起こして彼女の現在の主を見据えた。まばたきがゆうに一〇回ほど繰り返されて、緑の眼がいっそう輝きを増した。


「アーキット殿!目を覚まされましたか」

「えっと……ジュゼッカ」

「はい。三日も目をお覚ましにならないので、医者に診せたところ、過労と魔力酔いだろうということで……もしこのまま目を覚まさなかったらたたっ斬らねばならないところでした」


 そういえば、石壁から王都の内部へ入ったところで倒れた記憶がある。そのまま三日も寝て過ごしてしまったのか。


「ジュゼッカ、君が看ていてくれたんだね」

「は、いいえ、あの」

「目の下のクマがすごいよ」


 言われて、白い頬に朱がさした。


「そうだよ姉さま。姉さまも少し休まないと。ご主人様ももうひと眠りさせてあげようよ」


 赤毛の少女は明人の視線に気付いて、溌剌とした笑顔を向けた。


「私はフィリーア。よろしくねアーキット」


 白い歯を見せて笑うフィリーアは、明人のよく知っている人物に似ていた。


 ファロン。それはアルザハ東部、東門に近い酒場で、大工や狩人、陶器職人、武器職人、ならず者やごろつきまで、さまざまな人間が足を運ぶ。二〇人ほどで満員となるほどの大して広くもない店内に気性の激しい男たちが酒を呑みに来るのだから、喧嘩は日常茶飯事だが、それはじゃれあいという範疇を出ない。驚くべきことに、本気の殴り合いをした数分後には肩を組んで呑み比べに興じるというのが見慣れた風景なのだ。三階建てになっていて、一階は酒場、二階と三階が居住空間になっている。


 さまざまな人間、というのは職業だけではない。このアルザラッハ大陸にもともと住んでいた人間はアール人といって、他の大陸から流れ込んできた移民との混血の末にできあがった種族である。それに加えてドヌーという種族がある。


 骨格はアール人とさほど変わらない。ただ、肌の色は赤みがかっていて、ところどころに鱗状の硬い皮膚があって、瞳の色は赤い。いわゆる亜人種と呼ばれるもので、竜の血を引いている、とのもっぱらの噂だが、ドヌーたちの古い文献を読んでも竜との関わりが感じられるような記述は一切なく、彼ら自身も語ろうとしないので、いまだに出自が不明のままだ。わかっていることは、アール人よりも古くからあって、大昔は対立していたものの、アルザラッハの建国に協力したことで和解、同盟関係を結んで市民権を得たということである。興味深いことに、ドヌーたちが住まうのはここ、アルザハにおいてのみで、他の領地には一切存在しない。


 明人とジュゼッカはさらにひと眠りして、日が落ちたところでのそのそと起きだした。酒場が営業を開始したことで、男どもの酒の入った大声が惰眠の優しげな愛撫から二人を追い出してしまったのである。

 明人はベッドから身を起こした。体中が油のさしていない歯車のように金切り声をあげている。三日も動かしていないために、そして病みあがりのために言うことを聞いていないのだ。寝覚めは悪くない。だが、あたりが真っ暗闇では頭の働かせようがない。


 ドアからかすかに漏れる光を道しるべに、手探りでドアノブを見つけて開ける。ちょうど、左奥の部屋からジュゼッカが出てきたところだった。


「ジュゼッカ、眠れたかい?」


 美しい女兵士のまぶたは、いつもの凛とした佇まいではなく、明らかに睡眠時間の不足を訴えている。それでも明人に問われると姿勢だけは正して、


「はい。気力は充実しています」


 などと虚勢を張る。


 明人は少しだけ目をそらした。ジュゼッカは、見慣れた甲冑姿ではなく、木綿のワンピース姿で胸元がはだけている。寝汗をかいたのだろう、頬に髪がはりついていて、なんとも色っぽいのだ。


「お腹が空いているでしょう。二階に食事が用意してあるはずですのでいただきましょう。それとも、食欲がありませんか?」


 腹は減っている。明人が目をそらしつつ首を横に振る様を首をかしげながら眺めてジュゼッカは歩きだす。奇妙な緊張から解放されて、明人は二階へと降りていった。


 二階へ降りると、シチューの匂いが明人の鼻腔を満たした。食卓にはホワイトシチューが入った大きな金属製の鍋と、木製の皿が三つある。フィリーアが皿に盛っているところだ。


「やあやあお二人さん、おはよう」


 鼻歌交じりにシチューを盛っているフィリーアは、明人の目にはいかにもヨーロッパ人という風に映っている。ちょっとお転婆なのが玉に瑕な、質素な家庭の普通の女の子。大家族の長女というのも似合っているかもしれない。容姿の造作はジュゼッカよりはいささか大らかだが、まず美人と言ってよいし、気立てもよいようだ。希少価値を主張することもないが、手放すのは実に惜しい、そんな女の子だった。


「店はいいのか?」

「今は休憩中。アーキットも目が覚めたんだね、気分はどう?」

「まあまあかな」

「ふむ、まあまあね。お腹いっぱいになればもっと元気になるかな?」


 そう言って、明人の分を皿のふちまでいっぱいにして、フィリーアは笑った。


「フィリーア、馴れ馴れしいぞ」


 ジュゼッカが咎めても、気にもしない。


「では、いただきます」


 フィリーアが手を合わせると、眉をしかめながらもジュゼッカも唱和した。正直なところ、腹では素寒貧を大合唱しているところだ。明人も二人にならってから、スプーンで一口すする。


 思わず皿の中身を確認してしまった。まずいという意味ではなく、あまり味わったことのないものだったからだ。それもそのはずで、ホワイトシチューはホワイトシチューでも山羊の乳を使ったものなのだ。牛とは違って、独特の臭みがあるのだが、それも煮込まれたことと野菜と魚介が一緒になっていることでだいぶやわらいでいる。これはこれで美味ではないか。


「うんうん。もっと食べてね。おかわりあるよ、あ、パンも食べられる?」

「フィリーア」

「だって興味津々だよ。姉さまが男を連れてくるなんて初めてなんだし」


 嚥下に失敗して咳き込む二人をフィリーアはにやにやと眺めている。明人はともかく、妙齢の美人が噴飯する様などは、赤毛の少女にとってもお目にかかる機会は滅多にない。


「お前、失礼だぞ!」


 それはどちらの意味だろう、と明人が思ったのは美人に対する劣等感のようなものが少なからずあったからだろうか。


「アーキットってそんなにお偉いさんなの?」

「当たり前だ」


 と、ジュゼッカなどはむきになって主張するが、当のアーキットのほうは閉口するしかない。「ツキミ様」にごく近しい人物という以外、あまり大した情報を与えているわけではないものの、少なくとも学生というだけで学術の徒というわけで、凡人と一線を画しているのは違いない。教育のレベルが中世のものであれば、字の読み書きだけでも称賛に値する識者ということになるのだ。


「へー、読み書きできるんだね。今度教えてよ」

「フィリーア、そんなことをしているときではない。一刻も早くツキミ様にお会いしなければ」


 問題はそこだ。


 明人とジュゼッカは追われる身であるということが変わらない以上、追手が到着している可能性はきわめて高い。なにしろ寝ずに走って稼いだ時間を、ふがいなくも倒れたことで無駄にしてしまっているのだ。すでに手配が王都中に及んでいるかもしれず、捕まらずにツキミと会うのは困難だろう。


 また、会う方法も考えなくてはならない。ジュゼッカは明人がツキミの元へ行けばそれで終わりと思っているようだが、現実はそう甘くない。明人はツキミと会ったことなどないし、どこにいるのかも知らないのだ。もし居所をつきとめても、会ってくれる保証はない。そして、そうも言っていられない理由が、アルマリー・フィルブランドである。


 ジュゼッカだけでなく、彼女の祖父まで巻き込んでしまったことは、明人の重荷になっている。彼の息子が警備隊の隊長ということで寛恕を期待しているが、それも時間の問題であろう。隊長の一存で手を出さなくても、部下や上司に当たるコールブランドからの圧力がかかって拷問が開始されるかもしれない。実はコールブランドについては考慮する必要がないのだが、それでも風当たりが強いことおびただしいのは間違いない。


 時間的猶予というものがまるでないのだ。そのようなときに三日もいたずらに時を費やすとは、我ながら情けなさすぎる、と明人は思う。いかに異世界に放り出された精神的疲労と初めての旅と魔道師との戦闘による肉体的疲労が重なったとはいえ、彼自身は言うまでもなく、彼の双肩には少なくとも二人の命がのしかかっているのだ。そしてそれを解放するためには情報が少なすぎる。


「(もしかしたらツキミ様とやらとの関係を疑われるかもしれない。でも俺にはツキミ様の情報がまったくないんだ。聞き出すしかない)」


 最も困難なことに、ツキミと自分との無関係を、悟られないようにしなければならないのだ。街へおいそれと出かけられない以上、ジュゼッカとフィリーア、そしてこの家の住人という少ない人数から聞きださねばならない。


「(スパイにでもなった気分だな)」


 無論、ツキミとの無関係が知られたら、彼女たちに烙印を押されることは疑いえない。そうなったとき、少なくともジュゼッカには明人を斬る理由が充分にあったのである。

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