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ケレンの森-1-

 騎馬で森を走るというのは、さまざまな危険性を孕んでいる。足もとは落ち葉や枯れ木で不安定であるし、木々の配置によってはある程度の指向性をもった行動を余儀なくされる。これは魔獣などに襲われた際に特に問題となり、戦うにしても逃げるにしても不自由きわまる。今までのように気持よく疾走するわけにはいかない。

 ぱっかぱっかとゆっくりとした蹄の音が木々のざわめきに溶け込んでいく。湿気をふくんだ土では鈍い音にしかならないが、このあたりには不自然に露出した岩なども多くなっている。ジュゼッカは、この森がケレンの森と呼ばれていて、様々な怪談の発生する温床となっていることを教えてくれた。


「実は、コールブランド領の荒れ地も、とある魔獣が悪さをした結果なのではないか、といわれているのです。誰も見たことなどありませんが」


 それは刃のような毛皮と雷を孕んだかのような鋭い眼、尻尾は炎に包まれていて馬より早く走るという。誰も見たことがないというのに、姿かたちが伝わっているところに人間の恐怖心というものが表れているようだ。得体のしれない恐怖を感じたとき、人間はとにかく形にしたがる。自分の思い描いている化物の形を闇に投影するのだ。

 コールブランド領の土地が栄養に乏しく草木の生えない荒涼の大地であるのは、ここ一〇〇年ほどのことではないので、誰も見たことがないのに姿かたちは伝わっている、というのはありえない話ではない。アルザラッハに伝わる神話においても、コールブランド領とされている土地は比較的肥沃といえる大地であったらしく、なんらかの原因があると考えても差し支えない。


 ジュゼッカが休憩を提案したのは、馬が走り疲れていたのもあるが、この森を抜けるために体力を回復させる目的があった。明人にとって初めて徹夜での旅だったので、疲労は限界点に達しつつある。途中、仮眠をしてはいるものの、三〇分ほどなので寝たという気にはならない。ジュゼッカにもその疲労はあるはずだが、むしろ口数が増えたようだ。なにか話をしていないと、まぶたがその仕事を放棄しそうになる。


「この森には、その、出ないのか?」

「魔獣ですか。出ますよ」


 聞きたい情報を簡潔に答えた美しい兵士を、明人は思わず見返した。


「出るのかよ」

「はい。ですがこちらから向かう分にはなんら問題ではありません。アルザハからはどうか知りませんが」

「さっき言ってた、怪談か」

「ええ。元親衛隊の腕ききの騎士も歯が立たず、逃げ回ったといいます」


 ジュゼッカに意地の悪さがなかったとはいえない。疲労を吹き飛ばすためにわざと饒舌になっている面があり、年少の男の子を怖がらせて楽しんでいる節がある。

 これまで魔獣にでくわしたことはない。これは幸運というよりはその確率がきわめて高かったからで、明人はともかくジュゼッカには不思議ではない。アルザラッハ大陸は他の大陸と比べて魔獣や幻獣の分布が少ないのだ。四、五〇〇年ほどさかのぼればその限りではないが、このことを知っているのはアルザラッハ王室と歴史家、生物学者くらいのもので、しばしば王室の威光を示す材料に使われた。アルザラッハに魔獣が少ないのは、王室が討伐と治安維持に努めた結果であって、国民は挙げて国家を称えよ、というのである。民主主義という体制がアルザラッハにない以上、言論や思想、出版物の規制を行うのは当然で、それはすべて国家のためであるべきだった。


 馬に揺られながら、一時間ほどが経過したとき、ジュゼッカが馬の異変に気付いた。ジュゼッカの思い通りに歩かなくなっていたのだ。


「どう、どう」


 ついに馬が立ち止まってしまって、落ち着かない様子で足踏みしている。怯えているのだ。


「どうしたんだ?」

「……なにかいるようですね」


 不吉なことをつぶやいて、ジュゼッカは馬から降りた。剣の柄に手をやって、手綱を引きながら周囲を警戒する。

 気配は一つではない。妙な吐き気を催すところから察するに、高い魔力反応である。魔力は大気中にも人体にも宿っているものだが、高位の魔法使い――魔導師という――にもなると体内の魔力が漏れ出て周囲に影響を及ぼすようになる。高すぎる魔力は人体に悪影響であり、魔力酔いという症状が出る。頭痛、嘔吐感、ひどくなると関節痛や高熱を発することもある。魔導師クラスの人間は魔力を漏らさないように特別な訓練をさせられ、そのうえで術に変換して一定量消費するように義務付けられている。

 これは人間に限った話ではなく、魔獣にもそういった個体が存在する。幻獣にもなると一〇〇パーセント、魔導師クラスなのだ。


 轟音をあげて、木々の間から炎の塊が発射された。それは馬の鼻っ面をかすめ、驚いて跳びあがった際に明人は振り落とされてしまった。なんとか受け身を取ったものの、衝撃は大きい。手綱を引くジュゼッカだが、古馬の全力疾走を引きとめるだけの力は到底ない。


「な、なんだ!」


 馬が走り去るのを追う間もなく、それらは姿を現した。全身を絹の衣服で身を包み、首からは豪奢な金の飾りを下げている。見るからに貴族であることがわかった。金の首飾りは魔導師であることを示してもいる。


「なんですかあなたたちは」


 明人を助け起こしながら、凛とした声でジュゼッカは問う。問われたほうは、うすら笑いを浮かべて悪びれる様子もない。


「なに、ちょっと狩りをしていてね。仕留め損なってしまった」

「まったく、そんなことだから縁談がまとまらないのだよ」


 魔導師二人は愉快そうに笑った。金髪の魔導師と黒髪の魔導師は、お互いに同列の貴族同士であるらしく、首飾りの装飾も同一だった。


「そうですか。それならけっこう、我々は先を急ぎます」


 慇懃に一礼して、ジュゼッカは立ち去ろうとした。貴族と平民では、平民のほうから貴族に対して罪を問うことは難しい。衆人環視のなか、よほど悪質と認められなければ罰せられるのはこちらのほうだ。たてついてわざわざ見えている虎バサミにかかりに行くこともあるまい。せいぜい低姿勢で不興を買わないようにやり過ごすのがよい。犬に噛まれたと思って諦めるしかないのだ。

 明人はなにごとか文句を言いたそうだったが、ジュゼッカが制してしまったので、タイミングを逸してしまった。


「彼らは魔法使いです。しかも高位の。やり過ごしましょう」


 魔獣や幻獣の話を聞いてまさかと思っていたが、今度は魔法ときた。いよいよおとぎ話の世界らしくなってきたものだ。あと必要なのは魔王か、竜か、聖剣か。


「待て待て、仕留め損なっただけで、逃がしてはいない」

「まぁ馬のほうは逃げたがな」


 ジュゼッカは肩をこわばらせた。次に言う言葉を予測することは彼女には容易すぎる。


「獲物はまだ二人もいるじゃないか。運動に付き合ってくれ」

「一人が一人だ。殺さないように努めるが、そうなったときは墓石くらい置いてやるさ」


 こいつらは犬以下だ。美しい女兵士の瞳に怒りの炎が上がった。この炎は侮蔑の氷と共存している。

 この犬どもに噛まれたことは屈辱であり、早く消毒しないと破傷風にまでなってしまうであろう。


「(アーキット殿は必ずお守りする。しかしできるか?魔導師二人を相手に……)」


 守りながら魔導師を二人相手することの困難さは想像に難くない。並の魔法ならジュゼッカにも扱えるが、彼らはそのさらに高みにいるのだ。精度、威力、弾数、多彩さ、効率性、すべてにおいて二段以上劣るジュゼッカは、魔法に対する耐性もそれほど高くない。魔法に対する攻撃力と防御力は魔力量の絶対値に比例するものなのだ。もちろん術の構築速度と精度によって高めることはできるものの、ジュゼッカにはその方面への才能はないようだった。

 明人はジュゼッカの考えていることを、このとき正確に理解していた。おそらく彼女は自分を守るために体を張るつもりだろう。しかし明人は剣など使ったことはなく、運動神経も中の中というところだ。明人自身が戦力にならない以上、実質二対一で高位の魔法使いにどう対処しうるというのか。

 一対一で戦うと魔導師どもは言っているが、それならそれで明人に勝ち目などまったくないし、ジュゼッカも苦戦を強いられること疑いない。それにいくつかの理由から、明人は死ぬわけにはいかないのだ。


「(だったら!)」


 明人はジュゼッカの背から離れ、横方向へ走って金髪の魔導師に対峙する形になった。。


「アーキット殿!?いけない、私から離れないで……!!」


 追おうとするジュゼッカの足もとに、黒髪の魔導師は炎の塊をぶつける。


「ふふん。決闘の邪魔をするな」


 ジュゼッカの眉間にみごとな皺ができた。決闘?決闘とは力量と装備が互角の場合のみに使える言葉だ。魔導師が決闘をするのならば、相手は魔導師でなければならず、あるいは魔法を制限、または完全に禁じるしかない。


「そういうこと!こらピーナッツ野郎!!畑はこっちだぜ」

「その口のきき方だけでも殺す理由になるぞ平民!!」


 背を向けて全力で走りだした明人を、金髪の魔導師が追う。ジュゼッカはすべての意味を理解した。明人は一対一に活路を見出している。ジュゼッカと共にいてはジュゼッカが魔導師どもに嬲り殺されると思って、対決の場を整えようとしているのだ。しかし相手は魔導師、明人は計算違いをしている。


「小僧のほうは意外に勇気があるな。だが浅薄。逃げ続ければいいと思っているようだが、なめてもらっては困る」


 この魔導師も馬鹿ではない。明人の狙いを正確に洞察し、かつ、それがもっとも愚策であることを知っている。陽動や罠を仕掛けていない限り、非戦闘員ならば、絶対に戦闘員と離れて孤立してはならないのだ。

 ジュゼッカもそう思っていた。しかし彼女には異なる解釈が存在する。


「馬鹿なやつだ。この世には不可能なことが存在するのを知らん」

「……犬には犬の理屈があろうが。私にも武人としての矜持がある」

「なに?」


 明人はジュゼッカを信じているのだ。一対一ならば負けることはないと。そのために自らがその環境を整えるのを厭わない。たとえ力が及ばなくとも、明人はジュゼッカを生かそうとしたのだ。


「私は今は彼の従者。無事に首都にお届けしなくてはならぬ。主にいただいた信頼は、必ずお返しする」


 すらり、と透き通った音を立てて剣が抜かれる。貴族に対して剣を抜くという行為が意味するものは、彼女も充分承知している。コールブランド領も、言ってみれば貴族が治める領地であって、時折来る見廻りにわずかばかりの心添えをしたりしている。これは貴族から目をつけられないためであるのが一番の理由で、下手に出て金品を贈ればだれも悪い気はしないというところだ。コールブランド領は貴族のなかでもそういったことに厳しく、各集落や村からの献上や賄賂の類を固く禁じているから、変わり種とされている。それでも完全に根絶できているわけではないのが、人間の階級社会における性なのかもしれなかった。

 貴族というものは誰もかれもが自分のことを神だとでも信じているものなのだ。ジュゼッカらの領主が変わっているだけで、他の貴族どもときたら、権力と地位を笠に着てやりたい放題だ。この魔導師どもからして、異論はあれど反論の余地などないではないか。


「抜いたな!平民が、貴族に対して抜くとは、殺されても恨むなよ」

「いちいち講釈を垂れんでよろしい。貴族とは貴いお方。あまり持ち合わせのない高貴さを、なにも口から吐き出さずともよろしいでしょう」


 ジュゼッカの舌鋒は炎の塊となって彼女自身に返ってきた。オレンジ色の火球はジュゼッカにまっすぐ向かう。剣の平に手を当てて、ジュゼッカはその方向をずらした。


「ふふ、苦しいな!」


 魔導師の周りにオレンジ色の火球が複数、漂っている。先ほどのものよりはだいぶ小さく、手のひらに収まるほどだ。威力よりも連射性を選択したのであろう。

 火の球が美しい射線を描いてジュゼッカに突撃していった。薄暗がりと木々の緑が照らされ、橙に染め上げられた。それに対峙しているジュゼッカは目の眩むような光と焼かれる熱さに耐えながら、ステップを踏みつつ巧みに弾いていく。剣の扱いを問題にするなら、彼女は間違いなく妙手というべきだった。火球の速度が彼女の処理能力を越えていないのが幸いである。


「まだまだ」


 今度は二倍はあるであろう数の火球が、黒髪の魔導師の周囲を漂っている。ジュゼッカはたじろいだ。扱いきれるのか、あの数を?

 その驚きに対する回答がオレンジ色の滝となってジュゼッカに流れていった。

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