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異世界の夜-2-

 闇夜に乗じて息を殺し、足を忍んで二人は集落のはずれの森に出ていた。


「これを着ろ。合うはずだ」


 あらかじめ用意していたのだろう、美貌の女兵士は茂みから麻袋を引きずり出して鉄の胸当てと剣を取りだした。見張りの兵士のそれとまったく同じもので、彼らの支給品である。支給品であるがゆえにサイズはフリーなので、留め金とベルト式で装着できるようになっていた。ワイシャツの上に着用しているので、学芸会を思わせる滑稽ぶりだ。剣は刃渡り五〇センチメートルほどの片手剣で、銀色の輝きはやや曇っており、細かな刃こぼれがある。倉庫から引っ張り出してきたか、そうでなければ誰かのものを持ちだしてきたのだろう。いずれにしても、新品が支給されるほど、この集落の兵士たちの立場が恵まれているわけではない。


「もっとも、ツキミさまの薫陶厚かろうお前には必要ないかもしれんが。その格好ならばどうにか見つかっても見回りだとごまかせるだろう」


 なるほど、確かに滑稽きわまる格好ではあるが、胸当てと剣さえ着用していれば夜の闇が学芸会らしさを隠してくれるだろう。しかし、問題はそこではない。


「ツキミさま?ツキミ、と言ったのか」

「そうだ。確かに私などがお名前を口にするなどはばかられるが、気を悪くしたのなら謝ろう」


 的外れのことを言って、女兵士は律義に頭を下げた。長い髪がしなだれて、美しく流れる。


「私はジュゼッカ・フィルブランド。コールブランド領エウザレ方面警備隊の兵士だ」


 胸の前で拳を握ってみせた。彼女たちのこれが敬礼なのだろう。

 ジュゼッカと名乗る金髪緑眼の女兵士は、明人に対して相応の礼をとっているらしかったが、明人にとっては鬱陶しいことこのうえない。要するに、この女性も自分のことを勘違いしているのだ。


「お前はツキミアーキットというらしいな」


 妙な発音をされて、明人は少し笑ってしまいそうになったがこらえた。


「明人な。明人」

「アーキッ……アー……ごほん、アキットゥ……」


 そんなに発音がしにくいものかな、と明人は思うが、彼女が西洋人と感覚を同じにしているのならば、日本人の名前は発音しにくいだろう、と諦めた。


「アーキットでいいよ」

「アーキ……む、失礼した。ところでお前は従卒なのか」

「従卒?なんだそりゃ」

「む?もしかしてもっと位が高いのか!?失礼しました、平にご容赦を……」

「待ってくれ、ちょっと待ってくれ」


 片膝をついて頭を垂れようとするジュゼッカを慌てて制止して、明人は気が遠くなる思いだった。牢から出してくれたことには感謝するが、プラス方向の思い違いをされても別ベクトルで困ってしまう。第一、この女性がいったいどのような目的で見知らぬ奇天烈な格好をした少年を助けるのか、わからない。もしかしたらこれも別の罠かもしれないのだ。


「とにかく、牢から出してくれたことには礼を言うよ」

「とんでもありません。アーキット、とは役職の名前なのですか?」


 まだ敬語表現が残っているうえに奇妙な質問をする。


「違うよ。俺の名前だ」

「……?ではあなたの名前にツキミさまの名をいただいているのですか」


 それは信頼というよりは寵愛に値しよう。ジュゼッカは明人を見直した。まだ年端もいかぬ少年を寵愛するというのは、ツキミさまも女であらせられる、と思った。その考えは本来なら不敬にあたるだろうが、いずれにしてもジュゼッカの勘違いは続いている。明人はため息をつきかけて、気付いた。


「(そうか、名前のあとに苗字だもんな。勘違いして当然なのか)」


 彼女たちの名前の響きからして、西洋人に多い名・姓の順なのだろう。月見明人、ではファーストネームがツキミにあたる以上、彼女たちが思い違うのも無理はない。そしてもうひとつ、ジュゼッカの言葉は大事なことを示している。


「(なるほど、月見だからか。ツキミさま、っていうのがあいつらの言う魔女の名前だとしたら、俺はそれに近しい存在なんだ)」


 それにしても彼らとジュゼッカとではずいぶんと見解の相違が甚だしい。一方は魔女と呼び、恐れ、さげすんでいる。もう一方はどう思っているのか詳しくはわからないが、敬愛に値する人物のようだ。同じコミュニティで二つの印象。面倒ごとに巻き込まれたに違いなかった。


「ところでそのツキミさまって……」

「アーキット殿、獣道を通って私の家に向かいましょう。こうなっては長居は無用です。集落を出て首都を目指します」


 問う前に、ジュゼッカはすたすたと歩きだしてしまっていた。まったく、この眉目秀麗な女性兵士は人の話を聞かない。美人と歩くのはやぶさかではないが、今少し相互理解が必要であろう。

 月明かりが照らしているとはいえ、ジュゼッカの歩く速度が速いので、明人はついていくのがやっとで、話など聞けそうにない。加えて人目をはばかる関係上、茂みに身を隠しては周囲の警戒をしながら獣道を進む。やがて集落に着き、一際立派な家屋の裏口から内部へと入る。


「ここが私の実家です。私は警備隊の詰所にいますが、ここには祖父がいます。事情を話して、首都へ向かう準備をしましょう」


 裏口はキッチンへ繋がっていて、ジュゼッカが空中をひと撫ですると、詰所の天井で見た楕円の器具が明かりを灯した。スイッチを押したわけでもないのに、なんらかのセンサーを有していたのだろうか、明人も原理がまったくわからない。それにしても高度な技術といえよう。


「なんだ、ジュゼ」


 急に灯りが点いたので不審に思ったのだろう。白髪の老人が剣を携えてやってきた。

 ジュゼッカの祖父で、アルマリー・フィルブランドといった。年齢は六五を数えるが、佇まいは凛々しく眼光は鋭い。現役時代よりはいささか衰えているものの、筋骨はいまだ鍛え上げられている。まさに武門の男、という印象だ。

 ジュゼッカは祖父に明人のことを話した。もちろん、ジュゼッカの思い込みと勘違いが絶妙にブレンドされて祖父の鼻腔を満たしていたが。それはアルマリーにとっても追い求めていた絶品料理だった。


「ツキミさまの御側におられる方とは、光栄至極。そうとわかればここからただちに出立され、ツキミさまの身辺を安んじられなければなりますまい」

「ちょっと待ってください。俺はそんなんじゃないんだ。ただの高校生で、ツキミさまってのとの関わりもない」


 アルマリーの表情が曇る。


「いや、ツキミさまの安否が大事なのはごもっとも。しかし我々を信用してくだされ」

「信用っていうか……」

「なにを隠そう、このフィルブランドは、もともとツキミさまを支持していたのですからな。ツキミさまからもよくしていただきました」


 明人は頭をかきむしりたい衝動に駆られる。言葉は通じるのに理解が得られないことのもどかしさは、言葉がまったく通じないことよりもつらいように思える。しかし先ほどのアルマリーの言葉は無視できない。脱獄し、それがジュゼッカの主導によるものと判明して兵士たちがこの実家へ殺到してくるのもさほど時間がかかるとは思えない。一刻も早くこの集落から離れるべきだった。

 ジュゼッカへの誤解は道中で解くとして、アルマリーの身はどうするのか。


「実は、警備隊の隊長は私の父なのです」


 明人を拷問しようとしていたのはジュゼッカの父、アルマリーの実の息子である。おそらく隊長は親子のよしみで手荒なことはするまいが、それでも老体にあの牢獄の環境は酷と言えるだろう。しかし親子でこれほど見解が違うのも妙な話だ。ツキミとは、いったいどのような人物なのか。

 手早く、簡単な着替えと食糧、水を用意して、ジュゼッカと明人は出発する。


「おじいさま、それでは」

「うむ、くれぐれも失礼のないように、かならず送り届けるのだ。おそらく我らがこの地に来たのは、この日を迎えるためだったのだ」


 少しだけ祖父と孫は見つめ合って、軽く抱擁した。明人にはわからないことだが、フィルブランドの家にとって、今回の件は最重要事なのだ。


「アキト殿」


 アルマリーは明人の名を綺麗に、とはいかないが違和感なく発音した。


「ツキミさまに無事会えるようお祈り申し上げます。もしよろしければ、フィルブランドはこの地で戦っています、とお伝えくだされ」


 明人は少しだけ複雑だった。勘違いは勘違いだが、それでも自分を助けてくれたことで、これからこの老人には過酷な生活を強いることになる。それに背を向けていくことが、少年の良心に痛みを覚えさせた。自分が助かるために、他人を代わりに犠牲の祭壇に捧げてよいのか。


「必ず」


 それでも、起こってしまったことは変えられない。明人は脱走し、追われる身で、ジュゼッカは脱走を手引きし、やはり追われる身なのである。捕えられたときにどういう目に遭うかは想像の翼をはばたかせるまでもない。そのときは三人まとめて、拷問の末に殺されるだろう。ならば、少しでも助かる人数が多いほどよいように思える。それに、ツキミとやらとこのフィルブランド家の間に親交があったのならば、アルマリーを助けるために協力してくれるかもしれない。

 明人は老兵士の沈み込むようなダークブラウンの瞳に短く答えた。

 アルマリーは軽く手を振っている。ジュゼッカは祖父のその姿を網膜に刻みこむように凝視していたが、すぐに背を向けた。明人もそれに倣ってついていこうとしたが、振り返って頭を垂れた。そうしなければならないと思ったからだ。アルマリーはそれに頷いて、わずかながら口元をほころばせた。幾多の戦場を駆け回った老兵士の目には、少年が信頼のおける人物に映っていた。


                  ◇◇◇


 コールブランド領はアルザラッハという大陸の東端にある。ジュゼッカらが警備しているエウザレというのは山の名前で、アルザラッハの建国神話において重要な土地である。重要なのは神話においてだけで、辺境といえばド辺境ともいうべき土地であり、領地は広大だがほぼ荒れ野が支配していて、人の住める地域は少ない。明人が囚われていた集落はコールブランド領、エウザレ山の麓で、緑多い場所ではあるが、首都からは遠すぎて物資の流通などが滞ること甚だしい。この散在している森やオアシスともいうべき河川沿いに人々は暮らし、ほぼ自給自足をしている。

 集落と首都とを繋ぐのはわずかに整備された街道がたったひとつだけ。それだけに迷うことなどは決してないのだが、追手としてはこの街道を封鎖するだけでよいのだから、明人らにとっては死刑台への一本道のようにも思えるのである。馬を使って早々に集落を脱け出した二人だが、早ければ、首都への伝令が走っていて、待ち構えているかもしれない。彼らが脱するときに発した蹄の音は、当然集落の住民にも聞かれているだろうし、夜の見回りをしている警備兵の耳にも達しているだろう。さらにこちらは馬が一頭に二人が乗っているのだから、進みは遅くなるというものだ。


「アルザラッハの首都、アルザハまでは並みの行程で五日かかります。しかし寝ずに走れば三日ほどに短縮できるでしょう」


 明人が馬に乗れない、というのもあって、ジュゼッカは明人を目の前に乗せながら馬を操っている。この馬も並の馬ではなく、品種改良と調練によって素晴らしい駿馬なのだが、連続して走ることができる時間には限界がある。途中の集落で馬を替えながら突っ走るしかないのだ。


「(アルザラッハの首都、アル……ややこしいな)」


 疾走する馬に乗った経験などない明人は、上下動の激しさに辟易していた。油断していると舌を噛みそうな躍動は、決して自動車や自転車などでは味わえない感覚だ。しかもこれを寝ずに、少なくとも三日間行うという。昔、時代劇で観た駕籠を駆使して江戸から地方に向かう侍の苦労が少しばかりわかったような気がする。

 上下動によって舌を噛まないように常に歯を食いしばり、さらに振り落とされないように馬の腹に足を固定させるための下半身の力。初めて馬に乗った人間が馬から降りた際に必ず太ももの筋肉痛を訴えるものである。そしておそらく、馬を操らなければならないジュゼッカの疲労は、明人の比ではあるまい。


「アーキット殿、しばしご不自由を強いますが、ご容赦ください」


 ジュゼッカは恭しい表情と言葉づかいで言ったが、明人が馬の振動に耐えながら必死に「任せろ」と返答すると、端正な口元をほころばせた。いくら地位の高い相手でも、年端もいかぬ少年が背伸びしようとしている姿は微笑ましい。

 ジュゼッカは声を張り上げて、速度をあげた。

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