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まずは立ち上がって-3-

 アルザラッハ王国には騎士団が存在する。これはいわゆる軍とは違い、独立した戦力である。一般的にはある種の特権階級で、儀礼に用いられることの多い騎士団であるが、アルザラッハでは戦における一番槍は必ず騎士団が担うことに決まっている。

 我等こそが王の剣であり、国を守る盾であり、民が傷つくのを防ぐ甲冑である。


「王国民」のスローガンのもと、彼らアルザラッハ騎士団は日々、鍛錬に明け暮れている。


 騎士団は一〇個の分隊によって構成されていて、各分隊には二二人から三〇人おり、総勢三〇〇人からなる。一時期、所属する騎士が一〇〇〇人を超え、権力が肥大化し、実戦力が空洞化した時代があり、時の国王、アドモスが改革して縮小され、現在の規模に落ち着いている。特権階級であるために、その維持にも莫大な金がかかるのである。


 装備にしても、騎士が使用する鎧や剣は鋼でできており、それぞれお抱えの鍛冶職人にオーダーメイドしている。当時、鎖帷子に簡易的な板金を施した鎧が主流であったが、プレートメイルが登場し始めた時代である。騎士の名にふさわしく、馬上で敵を突くことを目的としたロングソード、家紋が施された盾など、技術の粋を集めたきらびやかな時代であったともいえる。装飾が派手、という意味でいえば、騎士団が肥大化した時代に勝るものはないのだが。


「ちい、しつこい」


 金髪を振り乱しながら、緑色の目は追っ手を捉えている。ジュゼッカ・フィルブランドの足跡は正確に辿られているのだ。鎧こそつけていないが、二人組の男は確かにエウザレ方面警備隊の兵士である。つまり、元同僚であり、顔見知りだ。


 アルザハ中央部は一日にのべ三万人以上が行き来する。特に日の高いこの時間は密集率が高く、人ごみにまぎれることも容易であるはずだが、二人組の男は的確にこちらに迫ってきている。ジュゼッカの金髪が目立つ、ということも原因のひとつではある。


「(憲兵らしき人間は見当たらない。奴らさえ撒ければな)」


 アルザラッハ、特にアルザハでは軍、騎士団、憲兵の三つの組織があるが、このなかで司法警察としての機能を持つのは軍のみであり、憲兵は政治犯や他国のスパイ行為を取り締まる公安活動を、騎士団においては捜査権すら持たないが、しばしば無視されることがある。特に軍と憲兵の公安は互いに領域を主張して対立し、そこに騎士団が一般的な犯罪などで割り込んでくるものだから、管轄が非常に面倒なことになっている。


 ただ、騎士団は民衆に対しての人気が高く、一般的に頼られるのは彼らなのだ。軍は堅く、ともすれば民衆の暴動を抑える役目を担うことからあまり好かれず、憲兵はいわゆる王の威光を知らしめるために存在しているから、威丈高であり、尊大に見える。その点、騎士団は選ばれた人間で構成されていて、貴族とはまた違った階級を持ち、高潔なイメージを持たれている。過去に縮小、あるいは粛清されたということもイメージアップを手伝っている。


「お、いい女だ」


 ブラウンの髪は肩まで伸びているが、ひとまとめにしている。目鼻立ちがくっきりしていて、黙って歩いている分には若い女性の目を大いに引くことだろう。

 身長一九〇センチメートルにまで達する引き締まった体躯は機能性に優れていて、猫科のごとく俊敏である。


「げ、レニアじゃないか。見つかりませんように」


 つい先日、街で声をかけてしたたかにふられてしまった女性から顔をそむけたこの男は、ディック・ネドラフなどと名乗っている二五歳、精悍な顔つきに似合わず、楽観と軽薄と不真面目とが彼を構成する要素だと思われている。

 事実、彼に口説かれて関係を持った女は数知れず、しかも好色で長続きしないから、仮面でも被らなければアルザハを歩けないほどだ。


 とある騎士御用達の鍛冶屋の娘であるレニアは、まず街を歩いていれば大多数の男の目を引く美しさだが、気性が激しく、彼のような軟派な男では相手にもされなかったのである。赤毛は情熱の色というが、少し話をしただけで平手打ちが来るとは思いもしない。もっとも、ある名門の末弟であるディックといえば、武門の誉れ高い名門において、面魂はともかくとして剣技の冴えなく、人格に映えなく、実績に栄えなく、とにかく鷹が鳶を生んだなどと噂されているので有名ということもある。


 さりげなく空を見上げながら赤毛の美女をやり過ごしたディックは、多くの恋愛で培われた――と本人は思っている――審美眼を発揮して、人ごみをかき分ける長いブロンドを見出した。


 美人だ。しかも追われている。


 ほとんど直感的に思った彼は、懐から銀貨を取り出して露店の店主に渡すと、亜麻色のフェルトでできたベレー帽を引っ掴んでおもむろに近づいてブロンドの美人の腕をとった。


「な、なんだ!?」

「いやぁ、失礼。本当に失礼。ぶつかってしまったのは謝ります。どうですか、お茶でも」

「なにを言っている?離せ」

「これ、帽子落としましたよ」

「なんなんだお前は……」


 力任せに振り切ろうとしたが、以外にも軟派な優男風の力はジュゼッカを凌駕した。軟派な優男は耳に顔を近づけて、


「大人しく調子を合わせるんだ。捕まりたくないんだろ」


 と耳打ちした。ジュゼッカは背後に迫った追っ手の気配を感じ取り、観念して差し出されたベレー帽の、ついてもいない埃を払いながら長い金髪を押し込み、優男のあとに従った。


「待て」


 ややあって、どうにか追いついた二人の男は、息を切らしながら鋭い眼光を軟派な優男と、その後ろに隠れたベレー帽の女に向ける。


「おい、その女を渡せ」


 高圧的な態度が、ディックの気に入らなかった。


「その女とはどの女だ?」

「ふざけるな。大人しく渡せばよし、穏便に解決したいだろう」


「ははあ」と、ディックは得心したようにうなずいた。


「なら、そちらの姓名を伺おう」

「そんなことはどうでもよい」

「よくはない。大の男が二人がかりで渡せというのだ。さぞかし偉大なるご尊名があろう」


 挑発的な言葉に男たちは憤ったが、このときすでになにごとが生じたかと、周囲に野次馬が出来始めていた。あまり目立つのは得策ではないが、ここで逃がしてしまっては元も子もない。

 しめた、とディックはさらに声高に男たちを問い詰める。


「まさか名無しではあるまい。私はディック・ネドラフ。どうだ、こちらは名乗ったぞ。今度はそちらの番だ」


 周囲の人間はひそひそと低声で囁き合っている。その表情は含みのある笑顔で、彼らにはこの軟派な優男が何者なのか分かっているのだ。なにしろ彼は有名人で、しかも今は仮面を被っていないのだから。


 野次馬たちはディックに加勢して「名乗れ!」「何者なんだ」などと喚きたてる。これには男たちも辟易して、脂汗を流しながら顔を見合わせるしかなかった。


「なに、そんなにいい女なのか。なにしろ屈強な男二人が自分の名も忘れるほどだ。それに加えてもらって、振り子を三つにさせてもらおう。ところで、本当に女か」

「なにがだ」

「生憎と、私は先ほどぶつかってしまい、慌てて帽子を渡したために顔をよくよく見ておらぬ。本当にいい女か」

「異なことを。ならばなぜかばうのだ」

「名も名乗らぬ男どもにくれてやるものなど、ひとつもないな」


 そのとおりだ、と声があがると、口々に同意の声に沸いた。


「どれ、見てみればはっきりとする。このおかしな男たちが惚れた者の麗しい顔をな。おい、そんなに目深に被っては顔が見えぬ。帽子を取って挨拶してみせろ」


 ディックの胸元ほどしかない小柄な、亜麻色のベレー帽を被った「少女」は、おずおずと帽子を取った。


 男たちは驚いたのなんの、あっ、と声をあげて、腰を抜かしそうになった。


 現れた顔は、男たちが追っていた人間とは似ても似つかない「少年」だった。髪は金色だが短く、瞳は蒼い。そばかすの印象的な、屈託のない少年だったのだ!


 実はディックはあらかじめ亜麻色のベレー帽を二つ購入し、ジュゼッカに一つを渡して変装させ、うまく人ごみに紛れたところを見計らって彼女を離脱させて、近くを歩いていたこの少年にもう一つのベレー帽を渡して身代わりとしたのだった。


「これは驚いた。男だ。しかもまだ少年ではないか。お前たちはこの少年を追いかけていたのか。ははあ、なるほど。こんなむさい男たちだ、年端もいかぬ少年を女と見立てて猛るものを慰めようとしたのだな」


 どっと笑声があがると、男たちは顔を真っ赤に染め上げながら背中合わせにたじろいだ。追っていた人間に逃げられただけでなく、少年を手籠めにしようとしたと言われては、不名誉どころの話ではない。


「き、貴様……!!」

「おや、未練がましいな。少年、けつはまだ綺麗か?」

「けつは汚いもんだろ」

「そういう意味ではない」

「それ以外に使い道があるの?」


 二人の絶妙な茶番に、野次馬は腹を抱えている。怒りやら羞恥心やら、逃げられた焦燥やらで、男たちの名誉は大いに傷つけられ、いかに鍛え上げられた肉体を持つ勇者でも、この場に留まっていることは困難であった。


 群衆をかき分けかき分け、退散していく二人に、ディックは付け加えた。


「おっと、逃げるか。けつを見せてもお前たちなど誰も掘らないから安心して逃げるがいいぞ」


 追い打ちをかけられて、追っ手たちは何処へか消えて行ったが、周囲の笑いは収まらない。ディックと協力者の少年も一緒になって笑い、さも一大喜劇が大成功を収めたかに見える。


「ディック、いい見世物だったよ」

「最近、興行を怠っていたんじゃないか」

「一杯、いくか」


 などと声をかけられたが、ディック・ネドラフは笑って謝絶した。ディックのほうはどうか知らないが、野次馬たちは彼のことを知っているし、またディックも人見知りしない豪胆さがあるから、ついさっき会った人間と肩を組んで泥酔することなどしばしばある。


 ディックは「小姓」役をやらされた、ある意味で不名誉を押し付けられた少年に金貨を一枚渡した。これは、一般市民が一ヶ月は暮らしに困らないほどのものであり、少年がお目にかかったことはない。


「いいか、誰にも見せずに大切に取っておけよ。いつかお前さんが世に立つときのために役立てろ」


 少年は大喜びでディックに手を振って、去って行った。

 万が一、金貨を両親にでも見せたら、盗んできたのではないかと疑われるだろう。彼なりの配慮がそこにはあったのである。


 さて、とディックは歩き出した。あの男どもはしばらく往来を歩けまい。そのうちに金髪緑眼の美人も逃げられるだろう。アルザハを脱出するならよし、そうでなくても身を隠すことはできるはずである。ものにできなかったのは惜しいが、美人を助けたことは、彼の自尊心を大いに満足させたのである。

 どんな理由があれ、男が二人がかりで女をどうにかしようなどと、面白くもない。あの男どもを手玉に取ったことが、彼には痛快きわまりないのだ。


「あの」


 中央部から北部よりの、立派な噴水のある公園にさしかかると、ディックは背後から話しかけられた。気配は感じ取っていた。驚くふうでもなく、ゆっくりと振り返ると、今度こそ彼は驚いた。

 亜麻色のベレー帽を手に持った、金髪に白皙の美貌は忘れもしない、あの女性だ。


「なぜここにいる?なぜ話しかけた?とっとと逃げればいいものを」


 このときばかりはいかに好色なディック・ネドラフといえども、再び出逢えた幸運に喜色を浮かべることもない。


「いえ、捲ければそれでよいのです。それより、恩人に礼も言わないのは人道にもとる」

「人道も時によりけりだ。その時だろうに」

「あなたのおかげで助かりました。どうもありがとう。それだけです、では」


 律儀に頭を垂れ、礼を言うと、帽子を押しつけながら足早に去って行った。帽子のなかには銀貨が入っている。それはベレー帽の代金としては多すぎた。


「(なんて奴だ)」


 ディックはしばらく後ろ姿を眺めやって、急いで後を追った。追った理由は、彼女が美人だからではなく、むしろ呆れてしまったからである。一本気や生真面目も行き過ぎれば融通の利かない性格となる。そしてそれは、追われる身としては致命的だ。


「待て待て、せめて帽子は持っていけ」

「困ります。そこまでしていただく理由がない」


 無理やり被らされたベレー帽を押しつけながら、ジュゼッカは拒絶した。が、それに負けるわけにはいかない。ディックもまた、ジュゼッカに帽子を押しやった。


「理由がなくては駄目なのか」

「お分かりでしょうに。私は面倒ごとを抱えている」

「ああ、まったく面倒な奴だ。強情を張るな」

「強情など張っていません」


 そう反論したとき、ディックの背後で彼を呼ぶ声がした。ジュゼッカの目には、声をかけた若い男が騎士であることが瞭然だ。

 この隙にディックから逃げることもできるが、騎士然とした若い男の前だ、不審な行動として見咎められるかもしれない。ジュゼッカはそっぽを向いて、ベレー帽は持ち主の頭に収まった。


「エルドリック、困ります。教育係のあなたがサボタージュを決め込むとは、私は誰につけばよいのですか」

「私はディック・ネドラフだ、そうだろうお若いの」

「はあ?」


 若い騎士は首を傾げたが、ディックの背後にいる若い女性が目に入り、肩をすくめた。


「なるほど。ではディック、兄君がお探しですよ」

「……どっちの兄だ?」

「どちらもです。日暮れまでに戻らなければ厳罰に処すと仰っておいでです。では」


 若い騎士は踵を返して去って行った。軟派な優男は目頭を押さえながら天を仰ぎ、ぶつぶつと文句を垂れている様子である。

 ジュゼッカは始終を黙って聞いていたが、この優男の正体がわかった気がした。


「……騎士だったのですか」


 若い騎士に礼を取られているし、優男を教育係と言っていた。これは新米の騎士に、騎士のなんたるかを教授するという相応の立場にある人間を指す。この男も充分に若いが、軟派な印象とは裏腹に相当の手練れであろう。

 軟派な優男はばつが悪そうに頭を掻いた。


「そうだが」

「私を憲兵に突き出す魂胆ですか」

「そうしたければするが、若い身空で女を捨てることもあるまい」


 憲兵に取り調べを受けるということは政治犯、思想犯であり、自白を引き出すためには拷問も厭われない。しかも若い女性に対する拷問とは、性的暴行を指すこともあるのだ。ジュゼッカが身を硬直させるのも無理はない。

 かつてフランスの英雄ジャンヌ・ダルクは異端審問の際に公衆での処女性の証明と、獄中での性的暴行を訴えたことがあった。記録によると未遂であったようだが、危険性は常につきまとっているのである。


「それより、これからどうする気だ。あてはあるのか」

「ご心配には及びません。では」

「俺はディック・ネドラフだ。なにかあれば頼れ」


 ジュゼッカは一礼すると、踵を返して歩き出した。ディックにはその様子が流麗であり、颯爽としていて、とても気に入った。おそらく、なんらかの罪を犯して追われているのだろうが、そのような後ろめたさなど微塵も感じさせず、背筋を伸ばして堂々としているのが面白い。


「俺としたことが名前を聞きそびれたな」


 今度こそ彼は、金髪緑眼の女性と再会することを願った。


             ◇◇◇


 フィルブランドの縁故の者は、アルザラッハには多い。元々、コールブランドの親戚にあたるフィルブランドはほぼ、コールブランドの私兵であり、その私兵の私兵が多いのである。その内容は民間人であったり、盗賊くずれであったり、没落貴族であったりとバリエーション様々だが、コールブランドとフィルブランドの人徳によって手駒となっているのがほとんどだ。


 ただの手駒であったことが幸いして、彼らの凋落の煽りを受けなかった者たちは、半分ほどが縁を断ち切ったものだが、四分の一がエウザレ方面につき従い、残る四分の一がアルザハに残ってコールブランドとフィルブランドの復活を信じている。

 その四分の一のうちの一つがセルニス一家であり、ジュゼッカやアルマリーとも親しかったものだが、エウザレ方面警備隊長、ジュゼッカの父親であるアルタールの手の者によって居場所が露呈してしまい、ジュゼッカはファロンを離れなくてはならなくなった。


 アルタールにはジュゼッカがファロンを頼ることが分かっていたが、早急に捕えなかったのはツキミアキトなる人物が何者か判明しなかったからだ。ツキミの手の者だとして、集落に現れた目的はなにか、なぜこのタイミングなのかわからない。


 結局のところ、二人は離れ離れになり、ツキミアキトはツキミの幽閉されている屋敷へ入って行った様子である。屋敷へ入れること自体、彼が尋常ならざる存在であることを示していて、警備隊長であるアルタールとしては、これ以上ジュゼッカがなんらかの災禍に巻き込まれることを看過するわけにはいかなくなったのだ。ジュゼッカはフィルブランドであり、フィルブランドはツキミの警護にあたっていた家門だ。ツキミアキトにそそのかされたなどと言い訳が通るわけがない。必ず、共謀したとして処断されてしまうだろう。


 ハッシュの街に駐屯しているアルザラッハ軍は、まだアルマリーが投獄されていることを知らない。軍に明らかにならないように釈放するのもひとつの手だが、エウザレ方面警備隊も一枚岩ではないことが事態を複雑にしている。


 アルマリーのようにツキミに未だ心酔している者も多いが、そうではない者もまた多いのである。殊に、一般に出回っている「魔女ツキミ」という噂を信じている人間が多く、なんらかの呪いや祟りがあるものと思っているのだ。これは、一般的にはツキミは「若年ながら王位簒奪を企んだ魔性」として認識されているのに起因している。ツキミの魔法の素養を最大限に利用したプロパガンダといったところであろう。父であるアルザラッハ王ルドウィンの意向で、第一王女の魔法の素養は広く国民に知れ渡っていたのだ。


 ジュゼッカ・フィルブランドは逃亡者となることを余儀なくされている。明人を送り届けた時点で集落に帰ってもよかったが、それでは連絡役を欠き、いざツキミが行動しようというときに差し障りがあるだろう。また明人を集落に向かわせることになるかもしれない。そうなったらなったで、警護の任は誰になるのか。


 ジュゼッカはあの明人という少年を気に入っている様子だ。どこがどう、というわけではないが、素朴で純粋で誠実である。外連味がなく、気取らず、常に等身大でいることは多くの場面で美徳だ。そういうある種の人徳が、ジュゼッカを突き動かしたもののひとつであるのだろう。


 ザイドリアム、といえば、アルザハでも知る人ぞ知る刀剣類の名店である。実用的、というよりは趣味的な、骨董品としての価値を見出す名剣やらいわくつきの鎧やらが並んでいるのだ。


 標準暦一〇〇〇年代の、騎士階級の権力が肥大化した、豪奢で煌びやかな装飾がされた宝剣だの、プレートメイルの元祖であるかに思える超重武装の鎧だの、とある有名な魔導師が実際に使用した「フィロスルム」という金属でできた鎖帷子だの、歴史的価値や骨董品としては一流だが現代において機能性はほとんど皆無の代物ばかりだ。


 あたかも博物館の様相を呈している店内は清潔にされており、柔らかい光を放っている照明に照らされて、幻想的な演出がされているようである。大理石の床は磨き抜かれていて、店主のこだわりが感じられる空間だ。


 店主であるコノート・ザイドリアムは五六歳、灰色の癖毛はやや禿げ上がっていて、面長の顔に微笑をたたえている。人のよさそうな風貌だが、元は盗み、詐欺、横領などをしでかした人物だ。だがそんな人間こそアルザハの隅まで知り尽くしているだろうと、縛り首になるところを助けてやって密偵に仕立てた。アルマリーの右腕といってよい存在だ。


 一〇年前は行商を装っていたが、破局以降はアルザハに留まり、この店を開いたらしい。なんでも、フィロトの大槌とかいう代物を見つけて、そこから商売が始まったのだという。


「お嬢さまがいらっしゃると、セルニスさまから聞いておりましたよ。今か今かと首を長くしておりました」


 この店は破局後にできたから、アルタールやアルマリーにすら存在を知られていない。だがネットワークというものは生きているもので、アルザハに残った人間同士で繋がっているのだ。いずれ、そのネットワークを伝って、ここにも手の者が訪れるかもしれないが、しばらくは安心してよいはずである。


「すみません。しばらく厄介になります」

「しかし、一体どうしたというのです?セルニスさまはなにも言わなかったのです」


 ジュゼッカは説明しようかと一瞬だけためらったが、彼のような有用な男の助力が得られれば心強い。今までの経緯を話し始めた。


「……なるほど。そのアーキットというお方は、ツキミ様にお会いになられたのですね」

「はい。おそらくなにがしかの連絡が来るものと思われます」

「疑うわけではありませんが、確かに、ツキミ様の知己なのですね?」

「はい」

「証明を?」


 ジュゼッカはザイドリアムを見返した。


「よもや、関係者でなければツキミ様の名を口にすることはありますまい」

「それはそうですが、フィルブランドを陥れんとする奸計かもしれませんぞ」

「このタイミングで?それは不可解だ。どうして一〇年も経ってから我々を陥れる必要がありましょうか」

「私がお聞きしたいのは、確かにアーキットという少年が信用に値するのかどうかです。間者ということも考えられましょうに」


 ジュゼッカの眉間に見事な皺が刻み込まれた。普通にしているぶんには秀麗な美女だが、ひとたび怒ると雷神のごとく烈しく、険しくなるのだ。


「コノート、彼はそんな人間ではない。おじいさまも私も、彼を信じている」

「私が言えた義理ではありませんが、人とは分からぬもの。どんなに信用できるように思えても、人が好さそうでも、牙を隠し持っていないとは限らない。それこそ、私をご覧なさい。しがない盗賊風情を、アルマリーさまは救ってくださった。そのおかげでこうして真っ当に生きていられます。その逆もありうるということです」

「人間性には太鼓判を押す」


 ああ、とザイドリアムは天を仰ぎたい気分だった。昔から、この祖父と孫娘は思い込みの激しいところがあったから、これ以上はなにを言っても無駄だ。

 彼らは信じているわけではあるまい。信じたいだけなのだ。それも無理からぬことだ。あのような辺境に追いやられて一〇年、名誉回復の機会を窺ってきたのだ。そこへ不思議な格好をした、素晴らしい魔法を扱うツキミを名乗る少年が現れた。飛びつきたくもなるであろう。


 アルマリーももう六五歳を数える。老い先短い身で、この絶好の機会を逃したくはないであろう。耄碌したとは思わない。飢えているときに、掴み取れば確実に食べられる果実が目の前にあるのに、どうして手に取らないものか。この際、それが毒入りでも腐っていても関係はない。まず、腹に入れなければ死んでしまうのだ。


「わかりました。もうなにも申し上げません。お嬢さまはしばらくここでお休みください。アルマリーさまのことも、それとなく探りを入れてみましょう」

「申し訳ない。頼む」


 慇懃に礼をして、案内された部屋のベッドに倒れ込むと、若い美貌の剣士は半日あまりも寝続けた。集落を脱して以後、強行軍に決闘に逃亡に、心身疲れ果てていたのだろう。


 その姿にザイドリアムは騎士道精神を刺激されたか、すぐに行動を開始した。


 盗賊時代の人脈と密偵時代の仲間との連絡をフルに活用して、現在のツキミの状況、屋敷への出入りの記録、王室衛理庁の処遇に変化はないか、アルマリーの様子、そしてアーキットなる少年の正体はなにか、調べ始めた。


 ツキミの状況、出入りの記録、衛理庁の処遇の変化については、ザイドリアムに王室衛理庁のコネクションがあった。元々親衛隊にいた男がトラブルを抱えていたのを、エルウィン・ノアール・コールブランドに命じられて助けてやったことがあった。その男が衛理庁の査閲部長となって王族の警護から生活まで、怠慢や滞りがないか監督する立場にある。大逆人とはいえ王族であるツキミのこともかなりの確度でわかるであろう。


「なんの問題もないはずだ。警備の兵士からもなんの報告も来ていない」


 査閲部長は人目を憚って直接相対することはしない。アルザハに流れている川の橋の上に彼が、その下にザイドリアムが釣り糸を垂れていて、はた目からはなんの関係性もないかに見える。


「処遇も変化なしだ。あのお方に対しては、もう忘却の彼方に追いやっておきたいのだろう」


 彼もまた、ツキミへの処遇に対して思うところがある人物の一人だ。決して口外できないが。

 彼は親衛隊にいたこともあって、事件の全容をおぼろげながら掴んでいる。だが、やはり物的証拠がなにひとつないのと、ツキミの自白、そして彼の立場によってある程度以上の捜査ができないのだ。


「そうですか。お手数をおかけしました」

「急にどうしたのだ。コールブランド様がお命じになったのか」

「いえいえ、この歳になると昔のことが妙に懐かしく思えるもの。あなたにも会えて嬉しゅうございました」

「ふむ。もう一〇年にもなるものな……では、今度は酒でも酌み交わしながら」


 査閲部長は手をひらひらとさせながら去って行った。昔から気安いところがあって、人当たりのよさが取り柄のような男だ。だからこそ悪い女に騙されて親衛隊をクビにさせられそうになっていたのだが、王室衛理庁の査閲部長とは出世したものだ。もっとも、査閲部長自体はそれほど権限のある役職ではないが、無位無官よりは大出世といって差し支えなかろう。


 ザイドリアムは釣り糸を垂れながら考え込んだ。ツキミの身辺には目立った動きはないようだ。それもそのはずで、目立った動きを見せようものなら憲兵が黙っていない。もっといえば、その後ろで手を引いている王妃もまた蠢動を始めるだろう。


 さすがに王妃の身辺にまで手は回らない。ザイドリアムはアルザハに残っているネットワークのなかから身軽な者を選んでアルマリーの捕えられている集落へ走らせようとしたが、幸運なことに、ジュゼッカを追ってきた警備隊の男どもを見咎めた者がすでに調査をしていたのだった。


「あれはツキミ様に反発する連中だ。アルタールさまも手を焼いていたとみえるな」


 態よく追い払ったということか。ザイドリアムは低く笑った。


「ただ、アルタールさまも奥方を亡くされた。複雑なところだろう」

「彼らが来たということは、おそらく軍にはばれていまい。ばれていたのなら行動があまりにも遅すぎる。お前は軍の幹部に探りを入れてみてくれないか」

「コノート、お前はどうする」

「いま一人、確かめておかなければならん人物がいる」

「誰だ?」


 結局、アーキット・シーイングなる人物にたどり着くことはできなかったザイドリアムであった。ツキミ、少なくともエルウィン・ノアールやアルマリーの知り合いにそのような人間がいた記憶はない。


 そうすると、破局以後にツキミに接触した人物となる。だが周知のとおり、屋敷は結界で守られていて、あれを突破することのできる人間は大魔導師でも皆無という噂だ。というのは、まだ結界が城の宝物庫を守っていたときに盗みに入ろうとして色々と調べ上げたのだ。


 アーキット・シーイングなる少年の正体は大魔導師?


 ジュゼッカの話によると、結界を破ったわけでも魔導器を破壊したわけでもなく、入り込んだという。解除したというのともニュアンスが少し違うのだ。そうなると、本当に人間か、という疑問さえ浮かんでくるが、ひとまずその問答は置いておこう。


 問題は彼がフィルブランドになにをさせようというのか、ということだ。ツキミに関係する人間であると仮定して、なぜフィルブランドに近づいたのか。目的と理由、そして時期も不明なのだ。


「本当にストーチカあたりの間者かもしれない」


 ツキミにとってもコールブランド、フィルブランドにとっても大したメリットがないと思われるなら、やはり他国の工作員ではないかという結論に至るのは無理からぬことであろう。こちらにとってはそうでなくとも、向こうにはそうするだけの理由があるのだ。バロルやスターシャと同じ疑惑に、ザイドリアムもまた到達したというわけだ。


 こうして元密偵たちが「元」の字を外しつつあるとき、事態は思わぬ方向へ進んでいった。


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