●違ってるよね。~そうだよね?
店に通じる階段の前で、二人は立ち止まった。
「えーっと、……前回も言った気がするんですが」
階段を見上げたティラミスが、強張った顔で言う。
「なんだかこう、ね。お店の形が。違ってませんか」
具体的には、大きさとかが。
「違ってますよね。明らかに、違ってますよね?」
「そんな事もあるだろう」
同じく見上げるウィルフレッドが、無表情に言う。
「いや、そんな事もって。あるんですか、普通?」
「ないと思うのならないのだろう」
「そんな投げやりに言われても!」
「どう言って欲しいんだ、おまえは」
「だからですね、これって、」
ティラミスは階段の上にある、『ただの茶屋』であったはずの建物を見上げると、叫んだ。
「絶対、おかしいでしょお~~~~っっっ!?」
夕暮れの空を背景にして建つ店は、淡い薔薇色の煉瓦の壁に、緑や黄色、黄緑の瓦屋根。
ふわふわとした光の灯るランタンをあちこちにぶら下げ、窓辺にも、店に通じる階段にも、花やハーブの鉢植えが飾られ、良い香りを大気に漂わせている。
手前の芝生には、涼やかな音を立てて流れる銀の川。そこには白くきらめく華奢な橋がかかり、建物は……どう見ても二階建て以上の大きさになって、そこにあった。
「あのお店って、確か平屋だったよね?」
「そうかもしれんな」
「階段も、こんな長くなかったよね?」
「そうかもしれんな」
「壁の色も、屋根の色も、あんな風じゃなかったよね?」
「そうかもしれんな」
「こんな川とか橋とか、絶対、この辺りにはなかったよね~~~?」
涙目になって叫ぶティラミスに、ウィルフレッドはため息をついた。
「あきらめろ。ここはそういう所だ」
「なんでそんなに落ち着いてるのよ、サー・ウィル!?」
「世の中には、そういうものだと受け入れた方が良いものもあるのだと、ここへ来てから思い至った。ここは、そういう所だ。あの店は、そういう場所だ。そう思っておけ。どういうからくりかなんぞは、考えるだけ無駄だぞ。
第一、説明されても俺にはわからんからな」
泰然自若。
そのような態度で、ミストレイクの騎士は腕を組んだ。何かを悟ったかのような表情をしている。
ちなみに妙に枯れた発言をしているが、実は彼は、まだ二十代である。
「うわ。重みを感じる発言。さすがです、人生の先輩」
この人の人生には、一体何があったのだろうとティラミスは思った。何かよっぽど、苦労してきたのだろうか。
なお、ヨーロッパ系の人種を見慣れていない彼女は、ウィルフレッドを三十代以上の、かなりのおっさんだと思っている。
「おまえより長く生きているからな。まあ、落ち着け」
「あー、はい。先輩の態度を見習いマス……」
どうかすると失礼な発言だが、ウィルフレッドは、とがめたりはしなかった。彼は彼で、ティラミスの年齢を、十五歳ぐらいだろうと思っていたからである。自分の方が年上だと思っているので、このような発言になるし、相手の態度も大目に見ている。そういう訳で、なごやかに会話が成立していた。
実際には微妙に噛み合っていないのだが、本人たちが気がついていないので、問題になることも、揉め事に発展することもなかった。平和である。
* * *
橋を渡って川を横切り、階段を昇る。ぽわぽわとした光がランタンの中で揺れ、さわやかなハーブの香りが二人を包んだ。腰に巻いたマントが、どうかするとばさばさと翻り、ティラミスは苛立った。
「ああもう、歩きにくい~」
「そんな大股に歩くからだ。歩幅を狭めて、ゆっくり歩けば良いだろう」
「そんなかったるい真似していたら、遅刻するし、仕事にならないわよ」
言い合いながら、二人は店の扉の前に立った。
『CLOSED』
チョコレート色をした木造の扉には、閉店の札がかかっている。
「まだ準備中なのね……でも、中に入らないと」
手にしたカードをいじくりながら、ティラミスが言う。ウィルフレッドも同じようなカードを取り出していた。文面と、扉の文字を代わる代わるに見ている。
「招待されたのなら、待った方が良くはないか?」
「ううん、招待状は念の為にもらっただけなの。迷わないお守りにって。今夜はあたし、お客じゃなくて、お手伝いなのよ」
そう言いながらティラミスがカードに視線を落とすと、そこにはこう書かれていた。
『秋分の集い 招待状 『一夜の魔法亭』店主 紅』
「やっぱりこれも、変わってるのね……」
お店の名前とか。名前とか。
気を取り直し、ティラミスはドアノブをにぎり、回してみた。鍵がかかっているかと思ったが、すんなりと回る。ドアを押すと、からん、からん、とドアベルが鳴り、古びた木の扉は、中に向かって開いた。
店の中は、人気がなく、薄暗かった。
良い感じに古びた木の床。すすけた煉瓦の壁。飾り戸棚に置かれた紅茶の缶。角が丸くなったテーブルと椅子。床や椅子に置かれたプランターや、鉢植えのハーブ。
壁に取り付けられているアンティークな感じのランタンには、今は灯はともっていない。商品見本を並べるための小さなテーブルの上には、空のバスケットが置いてあるだけ。
奥のカウンターには、放り出されたエプロンが無造作に置いてある。
いつも通りだった。ただ灯が消えていて、人がいないだけで。
外観はあれだけ変わっていたのに、入ってみれば変わりのない店内の様子に、ティラミスはほっとしたような、肩すかしを喰らったような、妙な気分になった。
それでもなぜか、緊張する。どうしてだろうと考えて、紅さんがいないからだと思い当たる。いつもいる人がそこにいない。それだけで、店の中はどこか、よそよそしい。
あの人、ホントに、このお店の一部なんだ。なんとなく、そう思った。
一歩踏み出すと、木の床は、ぎし、と微かな音を立てた。
「中は、いつも通りなのね……」
「そうか?」
どうにも落ち着かなくてそう言うと、ウィルフレッドの声がした。ちょっといぶかしげな響きがあった。そう言えば、サーが後ろにいたんだっけ。思い出してちょっと安心し、振り向いたティラミスの前で、騎士を自称する男は店内を見回していた。
「暖炉がないぞ」
「暖炉って……」
そんなの、最初からないじゃない。と言いかけ、夏至の夜の店内を思い起こす。あの時は確か、あった。
「あー、……たまに、出てくるみたいね。暖炉?」
「いつも、あるではないか」
「いつも?」
あれ?
「え? いつも?」
「あるだろう」
「ええ? だっていつもは」
「あの辺りに暖炉があるぞ」
ウィルフレッドが示したのは、カウンターのある辺りだった。
「え? だってあれは、いつもあそこに」
「いつもはあそこに、暖炉があって火が炊かれている」
「え?」
「ん?」
二人は互いに、首をかしげて見つめ合った。どういうこと?