●朝ごはんは、にぎやかに。~それって常識? 1
「常識ってさあ。十八歳までにせっせと溜め込んだ、がっちがちで狭っ苦しい考え方の、集大成みたいなもんだよね。
めっちゃ迷惑。
どんな新しい考えに出会っても、こいつが邪魔して、そりゃダメだ~、そんなんアホだ~って、頭の中で言い続けるんだからさ。うるさいのなんの。黙らせるのがマジ大変。」
アルバート・アインシュタイン
金の飴 ころん
銀の風 しゃらん
昼と夜が手をつなぐ
時と時が輪を描く
金の風 ひらん
銀の飴 かろん
花の香り 歌の響き
光と闇が おだやかに
歌い続ける このひととき
ころん かろん しゃらしゃらん
かろん ころん ひらひらん
* * *
「おはようございま~す……あれ、紅さん、これって何を煮ているの?」
朝早く、開店前の『ただの茶屋』にティラミスが入ると、店内に甘い香りが漂っていた。どことなく懐かしい、この香り。
「おはようございます、ティラミスさん。小豆を煮て、餡を作っています。そろそろ中秋の名月でしょう。おはぎを作っています」
「おお、風流」
「秋分の日にこられるお客さまにも、好評なんですよ。ジャパニーズスイーツ」
「煮ても煮ても終わらない~!」
厨房から、悲鳴のような声が聞こえた。
「今の声って、じんさん?」
「はい、応援を頼みました」
店主にうながされ、ティラミスは隅の方にある席についた。
「今日は、どうされます? まだ開店前ですので、ちゃんとした商品がありませんが」
「あはは、また朝ごはん抜いちゃったの。まかないで良いから何か食べさせて~!」
「朝食を食べないと、体に悪いんですよ。まあ、朝早くに来られたから、そうじゃないかとは思っていましたが……」
ティラミスは、照れたような顔で苦笑いをした。
「だって、このお店、見つかる時と見つからない時があるんだもん。今日は絶対、見つけようって思って、電車を二つ早くしたの。そしたら食べ損ねた。
あ~、なんでこんなに迷いやすいんだろ。あたし、そんなに方向音痴だったかなあ?」
店主は何もコメントせず、おだやかに微笑んだ。
「オートミールなら用意できますよ」
「えっと?」
「麦のおかゆです。今朝は和風にしてみましたので、食べやすいと思います」
「あ、じゃあ、それお願いしま~す!」
ぱっ、と笑顔になったティラミスが言う。店主は、はい、と答えてから、厨房に引っ込んだ。
漂ってくる、甘い香り。静かな店の中には、窓から光が差し込んでくる。改めて見回した店内は、心が穏やかになるような、雰囲気をたたえていた。
古びてすすけた感じの煉瓦の壁。日に焼けてセピア色になった写真や絵。
あちこちがすり減った木の床は、良い感じに飴色になっている。
角が丸くなった古びたテーブルや、木の椅子がいくつか、店の片隅に寄せられている。掃除の途中だったらしい。
まだ開店前なので、自分のいるテーブルにも花は飾られてはいない。テーブルクロスもなく、あらゆるものが、とりあえず、という感じである。
けれど、そこにいるだけで、ほっとする。なぜか贅沢な時間を過ごしているような気分になれる。
(やっぱり、このお店、好きだなあ)
ふふっと笑って、ティラミスは、まかない食がやって来るのを待った。
* * *
「どうぞ」
出された食事は、シラスと梅干しを入れたオートミール。和風だしで煮込んだものらしい。刻んだねぎが散らされていて、その緑色がなんだか鮮烈だった。
大根の漬け物、緑色の柑橘類の皮を刻んだものを添えた豆腐。くるみとちりめんじゃこの佃煮の小皿もついていた。
出されたお茶は、熱い番茶。
「おお、和風~!」
思わず目をキラキラさせてしまったティラミスである。なににこだわったのか、持ってこられた食事はすべて、朱と黒の盆に乗せられていた。器は、シンプルな白い磁器。やはり白い磁器でできた、醤油の小瓶が一つ。れんげとお箸も添えられている。
箸置きは、萩の花をかたどったものだった。れんげを置く小皿にも、萩の模様がある。なんだか可愛らしい。
いただきます、と手を合わせてから、どれから食べようかと、手をうろうろさせる。まずは、大根の漬け物を口にしてみた。
「あ、美味しい」
ほど良い酸味と甘みが口の中に広がる。浅漬けかと思ったら、なますだった。甘酢漬けにされた大根は、ぱりぽり食べられる。うん、歯ごたえもあって美味しい。
「紅さんは? 朝ごはん、食べたの?」
たずねると、「ちゃんとしたものは、まだです」という返事がかえってきた。
「熱いお茶をいただきましたが。掃除が終わってから、食べようと思っていましたから……」
「あ、じゃあ、一緒に食べてもらえません? 一人だと、ちょっとさびしいし」
ティラミスの言葉に、そうしましょうか、と店主が笑った。自分の分の食事を持ってきて、ティラミスの前に座る。
いただきます、と店主が手を合わせ、箸を手にしたのを見てから、ティラミスは尋ねた。
「ね、紅さん。この大根のなますに入ってる、赤いの、なに?」
「干し柿を刻んだものです」
「へえ~……それでこんな風に甘みがあるんだ」
ぱりぽりと食べきってしまってから、ティラミスは豆腐に醤油をかけて、口に運んでみた。ふわ、と柑橘の香りがした。
「ん~、柑橘類の香り……」
果汁もかけてあるようだ。醤油と合わさり、ほんのり、ぽん酢な味わい。
「青ゆずの皮を刻みました。かけてあるのも、ゆずの果汁です。オレンジの皮で代用しようかな、と思ったのですが、旬のものが手に入りましたので」
やはり豆腐を食べていた店主が微笑んだ。
「ゆずなんだ。黄色いのがふつうだと思ってた」
「今の時期だと、まだ青いんですよ」
「香りがフレッシュでサワヤカ……すだちみたい」
ぱくぱく食べてしまう。
ちりめんじゃこの佃煮をちょっとつつく。甘辛い味付けがなんとなく、ほっとする。ほんの少し、七味の気配がした。くるみがこりこりしていて、これも美味しい。
そうして、湯気をたてているオートミール。
「おお~……こういう味なんだ」
塩味だが、米のおかゆより甘みがある感じだった。舌触りもちょっとちがう。けれど、和風だしのそれに、違和感はほとんどなかった。シラスと梅干しが良い感じだ。
しょうがも入っていた。一さじ、一さじ、口にして、食べ終わった時には体がほかほかしていた。
「んふふー、満足。おいしかったあ!」
食べ終えたティラミスは、満面の笑みを浮かべて、湯飲みに注がれていた番茶をすすった。