2
木々の隙間からのそりと飛び出してきたのは、理香の世界ではお目にかかることの出来ない灰色の大きな狼だった。
真っ青の目をした狼に、理香は息を呑む。
まさか出発早々、こんな狼に出会うとは予想外だ。
理香の装備といえば、よれよれぶかぶかのジャケットに皮のバッグだけで、狼を追い払えるようなものは何も持っていない。
今にも狼は襲い掛かってくるのではと焦っていい案は浮かんでこない。
そのとき、がさりと音がした。
木の葉と枝を踏む音がしたと思ったら、狼の後ろから小さな人影が現れたのだ。
「おや、森が騒ぐと思ったらこんな子供がここで何しているんだい?」
現れたのは腰の曲がった老婆だった。
手にはねじれた木の杖を持っていて、はめ込まれた赤い宝石が木漏れ日にきらりと光る。
老婆は狼を怖がる様子も無く狼の横に並ぶと、その背を撫で始めた。
狼は気持ちよさそうに老婆に擦りより、尻尾を千切れんばかりに振っている。
その光景に、理香は何から言えばいいのか分からず黙り込んでしまった。
なにも答えない理香に老婆は理香を上から下まで眺めた。
その視線に理香は固まってしまう。
不思議な格好をした少女に老婆は何を思ったのか知らないが、深く頷いた。
「ついておいで。もうすぐ日が暮れるよ。」
そう言って老婆は踵を反した。
彼女は狼を連れて、迷い無く樹海を進んでいく。
老婆の言うとおり、木々の間から覗く陽の光はやや傾いている。
夜になってもここにいるのはさすがに命の危険があるので理香は老婆の後についていくことにした。
慌てすぎて木の枝に足を引っ掛けて転がりそうになりながらも、そのあとを追いかけた。
しばらく老婆のあとについていくと、少し森が開けた。
その先には森の木を使って作られたと思われる小さな家が立っていた。
その家の煙突からは細く煙が出ている。
老婆はその家に入ってしまった。
狼はその扉の横で伏せて、理香の事をじっと見ている。
まるでさっさと来いと言っている様だ。
このまま立っている訳にもいかず、理香はその家に足を踏み入れた。
家の中に入ってみると、中は雑然としていた。
なかでも気になったのは本の多さだ。
そこらへんの棚やテーブルの上、置ききれないのか床の上にも塔を作っている始末だ。
その本の塔たちの隙間をぬって進んでいくと、ダイニングらしき空間があった。
そこで老婆は二つマグカップを持って理香に目をやった。
「さあ、あたたかい飲み物でも飲むといいよ。」
そう言って理香の目の前に置いたのは、湯気の出るココアのような飲み物だった。
理香は大きな椅子を四苦八苦しながらよじ登り、椅子に腰掛けるとその飲み物を頂いた。
一口飲むとそれはホットチョコレートに良く似た飲み物だった。
しかし後からぴりっとした味がくる理香が今まで飲んだことのない飲み物だった。
「おいしい!」
思わず声に出すと、老婆は嬉しげに目を細めた。
「喋れないワケじゃなさそうだねぇ。お前さん名前はなんて言うんだい?」
「理香と申します。助けていただいてありがとうございました。」
「おやおや、ご丁寧に。アタシはマリエッタ。この森で隠居生活をしている魔女さ。」
魔女!
マリエッタのその言葉に理香は目を丸くした。
たしかに持っている杖といい、狼を従えていることといい、魔女っぽい。
しかし、いくらなんでも魔女はないだろう。
まさかちょっと危ない世界のひとなのかしら。
そんな理香の考えなどお見通しと言わんばかりに、マリエッタは微笑んだ。
マリエッタはおもむろに右手を上げると、すいと理香の近くにあったランプを指差す。
すると突然そのランプに火が灯った。
「!」
「はは、どうだい。アタシが魔女だって分かってくれたかい?」
びっくりして椅子から転げ落ちそうになる私に笑いながらマリエッタは部屋中のランプに火を灯していく。
全てのランプに火が灯され、部屋はずいぶん明るくなっていた。