第六話
人間界に行くことが決まって数日後、私は魔宮殿の地下にある転移陣の前にいた。
石造りの床に複雑に描かれたこの転移陣から人間界へと一気に飛ぶのだ。
私の人間界旅行について行くことになったのはアモンとサタナキア、それに侍女のフルーレティとベレッタだった。
将軍職についているサタナキアを私の旅行に連れて行くのは気が引けたし、身の回りの世話ぐらい自分で出来ると侍女も断ったのだが、旅行の準備を全て手配してくれたベルゼブブとアスタロトは護衛と侍女は絶対必要と言って聞いてくれなかった。
「サタナキア。ごめんね、私のわがままに付き合わせちゃって」
片膝をついて臣下の礼をとっていた女性が顔をあげた。
褐色の肌と結い上げた白い髪が特徴的なこれまた滅多にお目にかかれない凛々しい美女である。
背は高いし、羨ましいぐらい出るとこは出てて、本当に優美な女の人なんだけど中身は武士である。漢である。
「もったいなきお言葉、恐悦至極にございます。陛下を御守りするのが私の役目。むしろお側近くにお仕えする栄誉を賜りましたこと、嬉しく思っております」
なんか、やたら「お」が多くて逆にこっちが恐縮しちゃうんだけど。
堅苦しいんだよなぁ、サタナキアは。
「向こうに着いたら陛下って言うのはナシだよ、サーナ。レティもベレッタも私の事はカナって呼んでね」
カナって名前は人間界にもあるらしいので、それを名乗ることに決めた。
「コ」をつけると一気に日本人ぽくなっちゃうもんね。
こっちの人には分からないだろうけどさ。
「迷惑かけちゃうけど、よろしくね。サーナ、レティ、ベレッタ」
一人一人の名前を呼んで頭を下げると、三人とも飛び上がるように驚いてすぐに私よりも深々と頭を下げた。
まぁいいからみんな頭上げて上げて、と言っていると。
「カナちゃまー?カナちゃまー?ボクの事無視してなーい?」
「あ、いたの。アモン」
「最初からいました!全くもう、放置プレイが得意なんだからカナちゃまは!でもそこも好きっ」
どうしよう。
早くも置いて行きたくなっちゃったんだけど、このアホを。
「アモンっ、陛下にそのような軽々しい言動をとるのはやめろ!無礼であるぞ!」
「えー?サーナちゃんったらお堅い。むしろカナちゃまは気取らないボクを気に入ってくれてるんだよ?アモン、お前はいつも私を楽しませてくれるねーって」
言ってない。
私そんなこと一言も言ってない。
「くっ、確かに私は面白味のない女だが、一臣下としての礼儀をわきまえて」
「だからー、それがお堅いだってー。これからはボクのように柔軟にいかなきゃ、柔軟に」
「貴様のようにグニャグニャになるぐらいならっ、堅いままでよいわっ」
あーあ、サタナキアってばすっかりアモンのペースにのせられちゃって。
言い争う二人に呆れた視線を送っていると、不意にふわっと暖かいものが首を包んだ。
見ると何の毛皮かは分からないけど、肌触りがとても良い白いファーが巻かれていた。
「ベルゼ」
「これから人間界は寒い季節にはいる。暖かくしていくが良い」
そう言って手袋まではめようとするので慌てて遠慮した。
すると、残念そうに手袋をしまったベルゼブブは、次に別のものを取り出して私の首にかけた。
「これは?」
「我の魔力が注がれている。アモンとサタナキアがいれば滅多な事も起こらぬと思うが、念の為にな」
ベルゼブブがかけてくれたネックレスには贈り主の瞳の色と同じ石がついていて、角度を変えるたびに赤と紫が混じった輝きを見せてくれた。
「綺麗・・・」
「カナコ、私からはこれを」
ネックレスに見惚れていると、今度はアスタロトが私の手をとって人差し指に指輪をはめてくれた。
繊細な金細工の中央にはこれまた贈り主の瞳の色と同じ綺麗な翡翠色の石がついていた。
その石からもアスタロトの魔力が感じられた。
「二人とも、過保護すぎ」
上位悪魔を二人もつけてくれたり、不自由のないように気心の知れた侍女をつけてくれたり。
それだけでも十分なのにこんなものまで用意してくれたのだ。
「カナコの安全が第一だからな」
「そうだよ。気をつけて行っておいで」
「うん。二人とも、ありがとう。何かお土産買って帰ってくるからね」
二人と交互に抱擁し合った後、私は転移陣の中央に進み出た。
いつの間に喧嘩を終わらせたのかアモンとサタナキア、それにフルーレティとベレッタも私の側へ寄り添うように立った。
私は居残り組の二人を振り返って、魔王らしく精一杯胸を張って言った。
「アスタロト、ベルゼブブ。後のことは頼んだぞ」
「御意」
笑いを堪えるように二人が頭を下げるので、「魔王らしく」っていうのは失敗したみたい。
にわか魔王様だからな・・・と反省していると、足下の転移陣が光りだした。 術が作動したのだ。
まばゆい光に視界を奪われた後、私達の姿はその場から消えた。