最終話 あなたとあたしと
「……、……あ、れ……?」
重いまぶたに光がのしかかり、あたしの意識は浮かび上がる。と、同時に、その事実が信じがたくてあたしはがばっと飛び起きた。
「い、きてる? あたし、確かに死んだはずじゃ……」
ぐー、ぱーと手を閉じて開く。感覚もある。たしかに、生きている。それと同時に、あたしの胸に空の破片が突き刺さった時の、あの熱いとも寒いともわからない嫌な感覚と、息を吸って吐くという簡単なことすらできなくなっていくあのぼーっとした体の重さ。それでもやけに鮮やかな、口の中に満ちる血と涙の味。……そうだ、何よりも……。
「ユウ……? あ、ユウ、ユウ……どこ……?」
思ったより掠れた声が出てしまった。見渡すと、あたしがいるこの場所は図書館……としか言えないところであった。あたしは床に倒れていたらしい。本が並んだ棚に、誰もいない作業机と椅子。……ユウはいない。そして目を引いたのは、窓の外の景色だ。真っ暗で、星のようなきらきらした粒が散っている。夜のようだけれど、けれどおかしなところがひとつ。
「地面が無い……」
そう、本当にどこまでも真っ暗、いや、真っ黒なのだ。光の粒が散っているからてっきり外は夜道なのかと思ったけれど、道も街灯も無い。この図書館だけがぽっかりと浮いているようだった。
「どういうこと……?」
「気がついたか」
「……!」
背後から声がして振り返る。そこには──ユウがいた。銀の髪はきらきらと、ずっと前ネットで見たことがある宝石……そう、オパールのように輝いていて、瞳はどこまでも透き通っている。服だって見慣れた学生服だ。でも……何かが違うことはすぐにわかった。
「あ、あんた誰? あんた、ユウじゃないでしょ……」
逃げ場も無いのに一歩後ずさりをするあたしを見て、ユウによく似たそいつは「ほう」と呟いた。
「よく気づいたな」
「そりゃ……! ……ここはどこ? いやそれよりも……ユウはどこ? 何なの、ここ……」
「ここは……そうだな。お前には全てを知る権利がある、お前が全てのはじまりなのだから」
「は、はじまり?」
ユウもどきは、表情の抜け落ちた顔をしていた。ぞっとするようなその顔は、あの夏ずっとあたしといてくれたユウと、全然違う。あたしの問いかけに、そいつは一歩ずつあたしに歩み寄りながら、本棚に指をすべらせ、語り出した。
「ここは"図書館"、アカシックレコード。世界の全てが記録されている場所」
「アカ……は?」
「そして、ここにあるおよそ全ての本が、喜多見優が書いたひと夏の物語だ」
「ユウが……? ちょっとそれ、どういうこと」
ユウもどきは続ける。あたしの困惑など、お構いなしに。
「喜多見優は、銀の子、門の子、時空の子である。全なる者、一なる者の子であった。ゆえにその資格があった。……この破滅が決まった世界で、君嶋澪音……お前だけは救い守る物語を書く資格が」
「あ……っ」
あたしはその言葉で、思い出す。あの夢のことを。やっぱり、あれはユウだったんだ。
「だがいつしか喜多見優は壊れてしまった。世界終焉のシナリオを書かなければ、自分は君嶋澪音に出会えないことに気づいてしまったのだ。自ら君嶋澪音との未来を壊さなければ、出会うことすらできない。だから喜多見優はそれをした。何度も何度も、世界が壊れるたびにここに戻り、次の物語を書いてお前と出会う。その繰り返しをしてきた。まあ、物語は書くたびに少しずつ違ってきたが」
「……なにそれ、ユウが壊れたって。世界が終わらないとあたしとユウが出会えないって。そんなのおかしいじゃん!」
どうしようもないことをわかっていながら、あたしはユウもどきに叫ぶ。彼は相変わらず表情の無い顔で言う。
「道ばたの石ころを蹴っただけで、運命が変わるときもある」
「は……?」
「それだけだ。さあ、喜多見優と共に物語へ戻れ、全て忘れて夏を享受せよ、君嶋澪音」
「や、やだ……! あたし、ユウと話してない……!」
すると、糸が切れたようにユウもどきはばたりと崩れ落ちた。急に床に倒れる彼を、あたしはとっさに受け止められずに、慌てて駆け寄ることしかできなかった。
「ち、ちょっと! しっかりして!」
「ん……あ、え……? ミー……?」
「……! ユウ……! ユウだよね!?」
うっすらと目を開けた彼は、はっとそこを見開き、起き上がる。そしてあたしを見て、外を見て、図書館を見て──再び、あたしを見た。
「どうして、ミーがここにいるの」
「……わからない」
「……。変なやつに会わなかった? ヴェールを被った……」
「ううん、会わなかったけど……ユウのことを銀とか門とか言って……ていうか、なんかユウに乗り移ってるっぽいやつに会ったよ。急に倒れて、そしてユウが目覚めたって感じ」
「そう……」
「ねえユウ、ずっと物語を書いてるって、どういうこと?」
「……聞いたんだ。そいつから」
「……うん」
ユウは、どこかばつが悪そうに。ばれてはいけない秘密が見つかってしまった子どものように、あたしから目をそむけた。
「こっち見て、ユウ」
「……むり」
「ちょっと!」
「……」
仕方が無いからあたしはユウを問いただすことにした。
「世界が終わることにならないと、あたしとユウは出会えないんだよね?」
それを聞いたユウは、ぐっと唇を噛みしめ、頷いた。
「世界の終わりを書き続けて、ユウは……それでいいの?」
「……良いんだ。ミーと出会えるなら」
「あたしは、よくない」
「え……」
あたしはちょうどそこにあった椅子に座る。そうだ、良くないのだ。ユウが壊れるようなシナリオをユウが書き続けるなんて。そんなことをするくらいなら、世界は壊れなくていいし、あたしとユウは出会わなくて良い。
──そのことをユウに言うと、彼はひどく取り乱した。
「なんで、そんなこと言うの……! 僕は、君に出会えてよかった。夏が楽しかった、勉強もお祭りも学校も楽しかった。……世界が終わるからダメなの? なら、もっとがんばるから! ミーが僕と出会って、世界も壊れない物語を作る。何万回繰り返しても……! だから……」
「……ユウだけが、背負わなくていいんだよ」
あたしは、椅子から立ち上がり……俯くユウの頬に手で触れる。その頬は濡れていた。ああ、泣かせたくはなかったんだけどなあ。
「道ばたの石ころを蹴っただけで、運命は変わるかもしれない」
「何……?」
「さっき聞いた言葉。あたしに、こんなところで物語を書く力はないけれど、でも……きっかけなら何個だって作れる気がするの。……だからお願い、ユウ。一度物語をはじめからやり直そう。空のひび割れも世界の終わりも何も無い、ふつうの世界を作って、それであたしたちがまた出会えることを願おうよ」
「……出会えなかったら?」
ユウって本来、結構後ろ向きな性格なのかもしれない。
そこがなんだか可愛くて、こんな状況なのに──あたしは、ユウにキスをした。
「……っ! ミー!」
「まかせて! あたしたちの運命力を信じよう!」
「運命力……」
「……ねえユウ、あたし、ユウのことが好きだよ。ユウも、あたしのことが好きでしょ」
「……うん。すき、大好きだ」
「なら、大丈夫!」
「大丈夫……」
ユウは自身の唇に指で触れた後に、あたしのことをふわりと抱きしめる。石けんと制汗剤の清潔感あふれるにおいに、あたしはにこにこしてしまう。にこにこしながら、抱きしめ返す。しばらく、そうしていた。時間が止まったみたいだった。……ここでの時間は、止まっているのかもしれないけれど。
やがてユウはあたしから離れ、本棚から一冊の本を取り出す。……いや違う、それは本というより、宿題を書くようなノートであった。ユウはあたしに言葉を紡ぐ。
「宿題の読書感想文でさ、愛と呪いの話をしたよね」
「……うん。した」
「僕は、ミーにはいつだって愛をあげたいよ」
「……そんなこと言ってー!」
「本当だって! だから、僕を信じて」
「ふふ、わかってるよ。だから、あたしを信じて」
また、会おう。必ず。そう、誓い合う。
ユウがノートにペンを走らせる。すると、どこか薄暗かった視界が徐々に光に包まれて、あたしの意識は薄れていく。次に会う世界は、空のひび割れも何も無い世界。あたしたちの出会うきっかけの無い世界。こういうの何て言うんだっけ? ああ、そう、フラグ。
──けれど、そんなこと関係ない。だって運命って、自分で切り拓くものだから。
あたしたちは必ず会える。
そうでしょ? ユウ……。
◇
あたし、君嶋澪音。十五歳の高校一年生。
中学生の頃は彼氏のひとりやふたりできると思っていたけれど、別にそんなことはなかった。まあでも、中学生にとっての恋人って、ゲームにおけるトロフィーのようなものだから、今のあたしはそんなに気にしていない。
さて、今あたしは本屋に来ていた。SNSで話題になっていた本を買いに来たのだ。なんでも、作者はあたしと同い年らしい。それって、すごいことだと思う。何かを成し遂げられるってすごいことだと思うから。……あたしも、そういう人になれたらいいなって、思うのだけれど。
特集コーナーを探して──ああ、あった。
タイトルは『ゆーえんみー』
中学生の少年少女の恋模様を描いたファンタジー小説、らしい。シンプルだけど可愛らしい表紙に、思わず顔がほころぶ。──いや、それだけじゃない。どこかが、本当に、嬉しいのだ。この本を手に取っていると嬉しくなる。けれど、何なのか思い出せない。ぽっかりと穴が空いたみたいな気分だ。その穴は存外大きな気がして、同時にあたしはほんの少しさみしくなる。
「……あの」
後ろから話しかけられた。振り向くと……うわ、かっこいい。きらきらときらめく銀色の髪に、透明な淡い青色の瞳の、制服姿の男の子。……って、ああ、ああ……!
あたしは全てを、思い出す。
「……ユウ?」
「……! ミー!」
彼は、ユウは、ここが本屋であるにもかかわらずあたしを抱きしめた。強く強く。それがなんだか可愛らしくて、でもやっぱり恥ずかしくて、あたしはユウの背中を軽く叩く。
「ユウ、ユウ。くるし」
「あ、ご、ごめん」
「……ね? 運命力、あったでしょ? あたし、毎年の夏を大切にしてたんだ。物語を書くのは難しいからさ」
「僕は……なんか、プロデビューしてた」
「あはは! すごいって! ねえ、ユウ。このあと暇? 一緒に、図書館にでも行かない?」
「うん、行こう。そのあとは喫茶店でクリームソーダでも」
「良いじゃん!」
あたしたちはきゅっと手を繋いだ。もう二度と、世界は終わらないしあたしたちは離れない。ああ、この本もしっかり買っておかないと。あたしがユウの本をレジに持って行くのを見て、ユウは恥ずかしそうに目をそらした。
やっぱりユウって、あたしが思ってるより可愛いひとなのかも。あたし、まだまだユウのこと、何も知らない。
だから、これから知っていく。あなたのことを、あたしは。
そういう運命も、良いじゃない?




