第6話『皇帝陛下の視察という名の牽制』
何もわかっていませんでしたー
東部特別区のインフラ整備という大事業から数日後。
私、エルゼ・フォン・ブラウベルトに与えられた帝国財務卿の広大な執務室は、かつてないほどの活気(と少しの騒がしさ)に満ちていた。
「エルゼ! 頼まれていた西区の商業通りと、南区の上下水道の魔導回路補修、午前中のうちに全部終わらせてきたぞ! ほら、これが作業完了のサインだ!」
バタンッ! と勢いよく執務室の扉が開き、作業着姿の第二皇子ルカ殿下が飛び込んできた。彼は私のデスクの前に立つと、誇らしげな顔で数枚の羊皮紙を突き出してきた。
その額にはうっすらと汗が光り、黄金の瞳は「褒めてくれ」と言わんばかりにキラキラと輝いている。かつての「引きこもりの破壊皇子」の面影は、もはや一ミリも残っていない。
「確認します。……素晴らしい。予定工期を三日も前倒しする圧倒的なスピード。しかも補修箇所の魔力定着率は九十九パーセント以上。完璧な仕事処理能力です」
私が承認印を押し、心からの感嘆と共に告げると、ルカ殿下はパァァッと顔を輝かせた。
「へへっ、当然だろ! お前が引いた設計図が分かりやすいからな。……で? 予定より早く終わったんだから、午後は僕の相手をしてくれるんだろ? 前に言ってた魔導重機の改良案、お前の意見も聞きたいし……その、一緒に昼飯でも……」
ルカ殿下は頬をほんのりと赤く染め、チラチラと私の顔を盗み見ながら、デスクに身を乗り出してきた。
完全に懐いている。
あの運河工事の日以来、彼は私を「自分の真の価値(利益)を見出してくれたマスター」として異常なほど慕うようになったのだ。
(ふむ。超優秀な現場作業員のモチベーション維持は上司の重要な務め。ここは共にランチを取り、親睦を深めることで午後からの業務効率をさらに引き上げるべきですね)
「ええ、構いませんよ。ちょうど私の昼休憩の時間でもありますし。午後のロードマップを引きながら、有意義な食事会に——」
「——それは困るな。我が愛しの財務卿の貴重な昼休みを、現場の土木作業員が独占するというのは、いささか越権行為ではないか?」
その時。
執務室の空気が、急激に氷点下まで冷え込んだ。
振り返るまでもない。この圧倒的で、逃げ場のないほどの重圧。
開け放たれた扉の枠に寄りかかるようにして立っていたのは、漆黒の軍服に身を包み、優雅な笑みを浮かべた帝国皇帝・レオンハルト陛下だった。
「あ、兄上……!」
ルカ殿下が弾かれたように振り返り、バッと私を庇うように立ち塞がった。
レオンハルト陛下は静かな足取りで執務室に入ってくると、ルカ殿下を一瞥し、そして私に向かって甘く、しかしどこか底冷えのする黄金の瞳を向けた。
「エルゼ。君の有能さには毎日驚かされるばかりだよ。あの『巨大な不良債権』だった愚弟を、たった数日で帝国のインフラを支える大黒柱に変えてしまうとはね。兄として、そして皇帝として、君の功績には最大限の賛辞を贈ろう」
「もったいないお言葉です、陛下。すべては帝国の利益のためですから」
私が席を立って一礼すると、陛下は満足げに頷いた。しかし、その視線が再びルカ殿下へと向いた瞬間、声の温度がスッと下がった。
「だが、ルカ。お前は少しばかり勘違いをしていないか? 彼女は『帝国財務卿』であって、お前個人の専属マネージャーではない。彼女の頭脳と時間は、この私(帝国)のものだ」
「……っ! 勘違いなんかしてません! エルゼは僕の価値を一番最初に認めてくれた人だ! 僕の魔法はエルゼのために使うって、あの日約束したんだ! だから、昼休みくらい僕と一緒にいたっていいだろ!」
ルカ殿下が、皇帝という絶対的な権力者に向かって真っ向から牙を剥く。
バチバチッ! と、文字通り二人の間で視線と魔力が交錯し、空間に火花が散ったような気がした。
黄金の瞳と、黄金の瞳。
似た者同士の最高権力者兄弟が、私を挟んで猛烈な睨み合いを始めている。近衛騎士たちであれば泡を吹いて倒れそうなほどの威圧感だ。
しかし、私はこの状況を極めて冷静に分析していた。
(なるほど。これは由々しき事態です。CEO(皇帝)と、現場のトップエース(第二皇子)による『優秀な人材(私)の奪い合い』……つまり、社内における深刻な【派閥争い】と【リソースの競合】ですね!)
急速な業績アップを果たした企業において、部署間の連携不足や人材の取り合いはよくあることだ。ここで私がどちらか一方に肩入れすれば、社内のパワーバランスが崩れ、業務に重大な支障をきたす。
有能な経営者たるもの、ここは論理的かつ公平な仲裁に入らねばならない。
「お二人とも、そこまでになさってください」
私はパンッ、と手を叩き、緊迫した空気を強制的にリセットした。
レオンハルト陛下とルカ殿下が、同時に私を見る。
「ルカ殿下。陛下の仰る通り、私は帝国の財務全般を統括する立場にあります。一人の現場担当者にのみ時間を割くことは、リソースの配分として不適切です」
「エルゼ……! そんな……」
ルカ殿下が、捨てられた子犬のような悲痛な声を上げる。
「ですが、陛下」
私はすかさず、余裕の笑みを浮かべていたレオンハルト陛下の方へと向き直った。
「ルカ殿下は現在、帝国のインフラ事業において最も利益を生み出している『最重要部門』のトップです。彼との綿密なミーティングを疎かにすることは、将来的な帝国の不利益に直結します。社長のワンマン経営で現場の意見を切り捨てるのは、三流企業のやることですよ」
「……痛いところを突くね、私の可愛い財務卿は」
レオンハルト陛下が目を細め、楽しげに唇を歪めた。
私はデスクから一枚の真新しい羊皮紙を取り出し、二人の前に提示した。
「ですので、極めて合理的かつ公平な解決策をご提案します。『タイムシェアリング(時間分割)制』の導入です」
「タイム、シェア?」
兄弟が声を揃えて首を傾げる。
「はい。本日の昼休憩は六十分。これを厳密に二分割し、前半の三十分をルカ殿下との魔導重機に関する実務ランチミーティングに。後半の三十分を、レオンハルト陛下との来期の予算編成に関する意見交換の場といたします。これなら双方の要望を満たし、かつ無駄がありません。いかがでしょうか?」
私は完璧な折衷案を提示し、自信満々に胸を張った。
これで社内の派閥争いも円満解決、利益も最大化できる。我ながら完璧なマネジメントだ。
しかし。
私の提案を聞いた二人は、なぜかひどく微妙な顔を見合わせた。
「……三十分で飯を食いながら、あの複雑な重機の話をするのか? 全然落ち着かないし、それじゃエルゼとゆっくり話せないじゃないか……」
ルカ殿下が不満げに口を尖らせる。
「同感だな。愛しい君との甘いランチタイムを、ストップウォッチで計られながら過ごす趣味は私にはない。それに、私は君と『来期の予算』の話などするつもりは毛頭なかったのだがね」
レオンハルト陛下も、やれやれと肩をすくめた。
(はて? 実務ミーティング以外に、昼休みに社長と話すことなどあるでしょうか?)
私が首を傾げていると、レオンハルト陛下がふわりと甘い香りを漂わせて距離を詰めてきた。
彼はルカ殿下の牽制など意に介さず、私の腰にスッと腕を回し、その引き締まった胸板に私を抱き寄せた。
「へ、陛下?」
「……兄上! 何触ってんだよ! 離れろ!」
「うるさいぞ、ルカ。少し黙っていなさい」
レオンハルト陛下は冷たい声で弟を制止すると、私を見下ろして極上の笑みを浮かべた。その手は私の銀色の髪を優しく梳き、まるで宝物を扱うかのように指先で愛撫している。
「いいかい、エルゼ。私は帝国の最高権力者だ。君の時間を『三十分』などというケチな単位で分割されるのは我慢ならない。私は君のすべてを、私だけのものにしたいと望んでいるんだ。……分かるね?」
耳元で囁かれる、低く甘い声。
執務室にいるはずなのに、まるで夜の甘い密室にいるかのような錯覚に陥りそうになる。ルカ殿下が「狡いぞ! 権力の乱用だ!」と叫んでいるが、陛下の威圧感に気圧されて手が出せないようだ。
だが、私は氷の令嬢であり、有能な経営者である。
陛下のこの熱烈な「囁き」の真意を、私は瞬時にビジネスの文脈で読み解いた。
(なるほど! つまり、私の労力をルカ殿下の現場(土木事業)にばかり割くのではなく、皇帝直轄のプロジェクト(国政全体)にフルコミットしろ、という強いプレッシャー(引き留め)ですね! さすがは皇帝陛下、自社の中核人材に対する執着心が桁違いです!)
「……承知いたしました、陛下」
私は真顔で頷き、彼の腕の中からスルリと抜け出した。
「そこまで私という『人材』を必要としてくださるのであれば、財務卿としての責務を全ういたします。まずは手始めに、陛下のポケットマネーで賄われている『宮廷費』の無駄遣いから、徹底的に監査させていただきますので、午後は覚悟しておいてくださいね!」
「…………え?」
甘い雰囲気を物理(論理)で粉砕されたレオンハルト陛下が、今日一番の呆けた顔を晒した。
その後ろで、ルカ殿下が「ぶっ……あははははっ! さすがエルゼ! 兄上、ドンマイ!」と腹を抱えて笑い転げている。
「ルカ殿下も笑っている場合ではありませんよ。前半の三十分はあなたとのミーティングです。さあ、食堂へ移動して午後のロードマップを作成しますよ!」
「あ、おい、引っ張るなよ! 分かった、分かったから!」
私は文句を言うルカ殿下の襟首を掴み、呆然と立ち尽くす皇帝陛下を執務室に残して、颯爽と廊下へと歩み出した。
まったく、優秀なトップたちは主張が強くて困る。
だが、これほど熱烈に『必要』とされているのだ。転職先としては文句のつけようがない超優良ホワイト企業である。
私は有能な経営者として、この過剰な期待(福利厚生)に全力の仕事で応えてみせると、密かに決意を新たにするのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。
次回お楽しみに。




