第4話『飴と鞭の投資効果』
「ふふっ……いいぞ、エルゼ。まさかあのルカを土方仕事で使い潰すとはな」
薄暗い地下給湯施設に、楽しげな低い声が響き渡った。
振り返ると、入り口の影から姿を現したのは、黒の軍服をラフに着崩した皇帝レオンハルト陛下だった。背後には青ざめた顔の近衛騎士たちが数名控えている。どうやら、本当に執務を抜け出して視察(という名の見物)に来たらしい。
「あ、兄上……! なんでこんな所に……っ!」
レオンハルト陛下の姿を見た瞬間、ルカ殿下の空気が一変した。
先ほどまでの、自分の成果に戸惑いながらも誇らしげだった表情は消え失せ、ハリネズミのように全身を強張らせている。その黄金の瞳には、圧倒的な力を持つ兄への強いコンプレックスと、怯えを隠すための反発心が色濃く浮かんでいた。
「僕を笑いに来たのかよ! ええ、そうですよ! どうせ僕は兄上みたいに国を治めることも、魔法を綺麗に使うこともできない! だからこんな地下室で、ボイラーの火焚き役なんかをやらされてるんだ!」
ルカ殿下は自嘲するように叫び、ギリッと唇を噛んだ。
これまで彼は、天才すぎる兄と比較され続け、自身の規格外の魔力を制御できずに「破壊の皇子」として恐れられてきた。彼にとって今の状況は、「ついに自分は労働力として地下に追放された」という敗北の証明のように感じられたのかもしれない。
レオンハルト陛下は、そんな弟の痛々しいほどの反発を、余裕の笑みを浮かべて見下ろしている。
「いや、笑ってはいないさ。お前がようやく自分の居場所(地下)を見つけたようだから、兄として労いに来ただけだ。だが、くれぐれもエルゼの足を引っ張るなよ? 彼女の時間は帝国にとって何よりも高価な——」
「レオンハルト陛下」
私はバインダーをパタンと閉じ、ピンと通る冷たい声で、最高権力者の言葉を遮った。
「言葉を慎んでください。ルカ殿下への侮辱は、直属の上司である私への侮辱と受け取りますよ」
「……おや?」
皇帝の言葉を正面から叩き斬った私に、近衛騎士たちがヒッと息を呑む音が聞こえた。ルカ殿下も、信じられないものを見るように私を見つめている。
だが、私は怯まない。相手が皇帝だろうと元婚約者だろうと、不当な評価を下す者には容赦しないのが私のビジネススタイルだ。
「陛下は先ほど『土方仕事』『火焚き役』と仰いましたが、認識が根本から間違っています。ルカ殿下がたった今完遂されたのは、帝都十万人の生活基盤を支える『魔導給湯システムの超高効率化プロセス』です」
私はバインダーから先ほど書き込んだ計算用紙を抜き出し、レオンハルト陛下の胸元に突きつけた。
「ご覧ください。このたった三分間の魔力供給により、本施設における今月の魔石消費量はゼロになりました。削減されたランニングコストは、なんと金貨十五万枚! 陛下が昨日三時間かけて決済した北部鉱山の予算削減案の、実に五倍の利益を、殿下はたった三分で叩き出したのです!」
「……ほう」
数字を突きつけられたレオンハルト陛下が、興味深そうに目を細めた。
私はさらに言葉を続ける。
「それだけではありません。殿下の魔力は非常に純度が高く、熱変換時のロスが極めて少ない。これは天性の才能としか言いようがありません。暴走させていたのは、単に『適切な出力先(受け皿)』が用意されていなかったことと、誰も彼に正しいベクトルを教えなかった経営陣(教育係)の怠慢です!」
地下空間に、私の熱のこもったプレゼンテーションが響き渡る。
「ルカ殿下は落ちこぼれでも、破壊兵器でもありません。帝国が誇るべき、最高の『優良銘柄』です! これほどの逸材を三年も離宮で埃を被らせていたなんて、帝国の監査体制を疑うレベルの機会損失ですよ!」
一気にまくし立てた後、私は小さく息を吐き、姿勢を正した。
沈黙が落ちる。
皇帝に正面から説教をするという、普通なら不敬罪で首が飛ぶ状況。しかし、数字と事実に基づいた私の論理には、反論の余地など一ミリもないはずだ。
「はは……ははははっ!」
静寂を破ったのは、レオンハルト陛下の愉快そうな高笑いだった。
彼は怒るどころか、たまらないといった様子で肩を揺らし、私を熱っぽい黄金の瞳で見つめてきた。
「素晴らしい! 痛快だ! 私の弟をそこまで評価し、あまつさえ皇帝であるこの私を論破してみせるとは! ああ、やはり君を帝国に迎え入れた私の眼に狂いはなかった」
「事実と数字を報告したまでです。経営者として当然の責務ですから」
「ああ、分かっている。ルカ、聞いたか? 君の直属の上司は、君のことをこれ以上ないほど高く評価しているらしい。……兄として鼻が高いよ。これからも彼女の指示に忠実に従い、しっかりと『利益』を出してくれ」
レオンハルト陛下はそう言い残し、上機嫌な様子で背を向け、地下室を出て行った。わざわざこれを言うために来たのだろうか。相変わらず行動原理の読めない皇帝だ。
ため息をつきながら振り返ると、ルカ殿下がその場にへたり込んでいた。
「ルカ殿下? 大丈夫ですか? 魔力枯渇の症状なら、すぐに回復ポーションを——」
「お前……」
俯いていたルカ殿下が、ゆっくりと顔を上げた。
その顔は、耳の先まで茹でダコのように真っ赤に染まっていた。黄金の瞳には涙目のような潤みが浮かび、私を食い入るように見つめている。
「お前……あんな、兄上の前で……あんなに大声で、僕のこと……っ」
「事実を述べただけです。私は嘘の報告はしません。あなたの生み出した利益は、間違いなく帝国トップクラスです」
「ゆ、優良銘柄ってなんだよ! 逸材とか……僕のこと、そんな風に言う奴、今まで誰もいなかったのに……っ!」
ルカ殿下は両手で顔を覆い、しゃがみ込んだままプルプルと震え始めた。
これまで「恐ろしい」か「出来損ない」としか言われてこなかった彼にとって、私の純粋な(ビジネス的)称賛は、あまりにも刺激が強すぎたらしい。
(ふむ。少し鞭を打ちすぎた後のフォローが必要ですね。優秀な社員のモチベーション管理には、適切な『飴』が不可欠です)
私は空間収納魔法を展開し、一つの小さな包みを取り出した。
そして、顔を隠してうずくまっているルカ殿下の目の前にしゃがみ込み、その包みを差し出した。
「ルカ殿下。顔を上げてください」
「……なんだよ」
「本日の初業務完遂に対する、特別インセンティブ(報酬)です。受け取ってください」
彼が恐る恐る包みを開けると、中には宝石のように艶やかな、最高級のトリュフチョコレートが三粒入っていた。
「チョコ……?」
「ただのチョコレートではありません。帝都で最も予約が取れないパティスリーの特注品で、中に疲労回復と魔力安定化を促す高価な霊薬が練り込まれています。一粒で金貨十枚は下らない代物です」
「き、金貨十枚のチョコ!? そんなの、もったいなくて食えないだろ!」
「いいえ、食べてください。高度な魔力操作の後は、脳の糖分が極端に不足します。今のあなたに必要なのは、休息と適切な栄養補給です。……それに」
私は彼の手を両手で優しく包み込み、真っ直ぐに目を見つめた。
「これは、私からの『期待』の証です。明日もあなたの素晴らしい力を、私に見せてくれますね?」
これは、労働効率を最大化するための完璧な福利厚生であり、次回のタスクに向けたモチベーションアップの施策だ。私の計算上、このタイミングでの糖分提供は、明日の彼の作業効率を最低でも十五パーセントは向上させるはずである。
しかし、私の手で包まれたルカ殿下の手は、尋常ではないほど熱くなっていた。
彼はチョコレートと私の顔を交互に見比べ、口をパクパクと金魚のように動かした後、ついに限界を迎えたように頭から湯気を噴き出した。
「〜〜〜〜っ!! わ、わかった! わかったよ! 明日もやってやる! 土方でも何でも、お前が言うならやってやるから、そんな顔で僕を見るな!!」
ルカ殿下はチョコレートの包みをひったくるように奪うと、脱兎のごとく地下室から駆け出していってしまった。背中から「僕に期待してるって……なんだよそれ……っ」という独り言が聞こえた気がしたが、おそらく魔力酔いのせいだろう。
「……ふう。とりあえず、第一段階はクリアですね」
私は手元のバインダーに『第二皇子・モチベーション管理:極めて良好』と書き込み、満足げに頷いた。
不良債権は見事に黒字化への第一歩を踏み出した。
明日の外壁工事では、彼の物理魔法で一気に基礎工事を終わらせてしまおう。有能な経営者の仕事は、まだまだこれからだ。
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次回お楽しみに。




