第22話『元婚約者の勘違い』
しばらくざまぁが続くよどこまでも
アウグスト帝国の帝城、大広間。
豪奢なシャンデリアの下で、空間そのものが凍りつくような、極限の緊張感が張り詰めていた。
「レオンハルト陛下、ルカ殿下。お二人はどうかお下がりください。これは私個人の『不良債権処理』の範疇です。帝国のトップが自ら手を下すような案件ではありません」
私は、圧倒的な殺意を放つレオンハルト陛下と、今にも業火を放とうとしているルカ殿下を手で制した。
ここで彼らにアルフォンスを消し炭にされてしまえば、グランゼール王国が負っている『金貨一億五千八百万枚』の債権回収が面倒なことになる。それに、私有地(帝国)に不法侵入してきた輩の処理は、財務卿たる私の責任において完遂すべき業務だ。
「……君がそう言うなら、一応は引いてやろう。だがエルゼ、そこの汚物が君の視界をこれ以上穢すというなら、私の理性がいつまで保つかは保証できないぞ」
レオンハルト陛下は不機嫌そうに目を細め、私の背後にピタリと寄り添うように立った。その手は私の腰に回され、まるで「これは私のものだ」と誇示するような強い独占欲を感じさせる。
「僕だって我慢してるんだからな! そいつがエルゼに一歩でも近づいたら、足から順番に炭にしてやる……!」
ルカ殿下もまた、私の反対側に立ち、アルフォンスを射殺すような黄金の瞳で睨みつけている。
帝国の最高権力者二人に両脇をガッチリとホールドされ、私は一つため息をついてから、床にへたり込んでいる元婚約者——アルフォンスを見下ろした。
「さて、アルフォンス元殿下。このような身なりで帝城へ押し入り、何のご用件でしょうか。先ほど『私を救い出しに来た』という、意味不明な音声が聞こえましたが」
私が冷徹に問いかけると、アルフォンスは弾かれたように顔を上げた。
彼はレオンハルト陛下とルカ殿下の圧倒的な威圧感に青ざめながらも、なぜかその目に「悲劇のヒロインを救出する英雄」のような、痛々しい光を宿して立ち上がった。
「そ、そうか……! 事情は察したぞ、エルゼ!」
「事情、ですか?」
「ああ! なぜお前がそんな作り物のような冷たい顔をしているのか。なぜ、その野蛮な皇帝や皇子に無理やり抱き寄せられているのか! すべて理解した!」
アルフォンスはビシッと私を指差し、大広間に響き渡る大声で叫んだ。
「お前は、この帝国の連中に弱みを握られ、無理やり酷使されているのだろう! 我が国から莫大な慰謝料をふんだくった挙句、お前を人質として幽閉し、夜も寝かせずに帳簿の計算をさせているに違いない!」
「…………は?」
「本当は私を愛しているのに! 私に構ってほしくて、国中の魔導灯を消すという可愛い悪戯をしただけなのに! 帝国の連中に捕まり、こんな薄暗い部屋で、皇帝の慰み者にされながら奴隷のように働かされているのだな! 哀れなエルゼよ!」
しーーーん、と。
大広間にいた数十名の帝国貴族たちが、完璧な沈黙に陥った。
誰一人として、彼が何を言っているのか理解できなかったからだ。
薄暗い部屋?(ここには数百個の高級魔導灯が輝いているが)
夜も寝かせずに酷使?(皇帝自らが徹夜の残業を手伝う超ホワイト待遇だが)
皇帝の慰み者?(むしろ皇帝と皇子が彼女のご機嫌取りに必死なのだが)
「ぷっ……くくっ、あはははははっ!!」
最初に沈黙を破ったのは、ルカ殿下だった。彼は腹を抱えて笑い出し、肩を震わせている。
レオンハルト陛下も、あまりの滑稽さに怒りすら通り越したのか、信じられないものを見る目でアルフォンスを見下ろしていた。
しかし、当のアルフォンスは周囲の反応を「図星を突かれて動揺している」と解釈したらしい。彼はさらに胸を張り、尊大な態度で言葉を続けた。
「だが、もう安心しろ、エルゼ! この私が、寛大な心でお前を許し、迎えに来てやったのだ! お前がいなくなってから、ミリアも『エルゼ様がいなくて寂しい』と泣いていてな!」
アルフォンスの背後に隠れていたミリアが、ひょっこりと顔を出した。
「そ、そうですぅ! エルゼ様、私がアルフォンス殿下に愛されちゃったからって、嫉妬して逃げ出しちゃうなんて子供みたいですよぉ! でも、私、聖女だから許してあげます! 一緒に国に帰って、また私たちのお世話をしてくださぁい!」
泥だらけの自称聖女が、上から目線で私に微笑みかけてくる。
どうやらこの二人の脳内では、自分たちは「心優しき王族と聖女」であり、私は「嫉妬で暴走した挙句、敵国に捕まった哀れなピエロ」という設定になっているらしい。
「さあ、エルゼ! 今すぐこっちへ来い! そして帝国に対し、『借金はすべて無効にする』と宣言するのだ! そうすれば、お前を我が国の王妃として迎え入れてやってもいいぞ! 光栄に思え!」
アルフォンスは両手を広げ、私が泣いて飛び込んでくるのを待つ態勢に入った。
大広間の貴族たちは、もはや怒りを通り越して「この生き物は脳の代わりに腐ったカボチャでも詰まっているのではないか」という哀れみの目を向けている。
私は、一切の感情を動かされることなく、ただ冷ややかに彼らを見つめ返した。
そして、有能な経営者として、彼の提示した『オファー(再雇用条件)』を脳内で瞬時に分析・査定した。
(……なるほど。現在、破産寸前でキャッシュフローが完全に停止している泥舟(グランゼール王国)へ戻れというヘッドハントですね。しかも、私の現在の資産(帝国の国庫権限)を使って自国の負債をゼロにしろという、あからさまな背任行為の強要。その見返りが『王妃という名ばかりの無給ポスト』と『無能なトップの世話係』……)
カチャリ、と。
私は手元の計算機(魔導具)を一度だけ鳴らし、完璧な無表情のまま口を開いた。
「アルフォンス元殿下。貴方のその『狂気に満ちた条件提示』は、お笑いの演目としては三流以下ですね」
「な……狂気だと!? お前、何を言っている! 私はお前を助けてやると——」
「助ける? 何からですか? 私は現在、アウグスト帝国の財務卿という最高位の役員待遇を受けています。年俸は貴方の国の国家予算の三倍。加えて、先日レオンハルト陛下からは金貨八十万枚の特注ドレス(ボーナス)を支給され、ルカ殿下からは超高額な手作りスイーツの差し入れと、無料のメンタルケア(膝枕)まで提供されています」
私が帝国での『圧倒的な福利厚生』の事実を淡々と読み上げると、大広間の貴族たちが「そうだそうだ!」とばかりに大きく頷いた。
「これほどまでに有能な社長(陛下)と現場トップ(殿下)に恵まれ、正当な評価と報酬を与えられている優良企業(帝国)を辞めて……なぜ私が、電気も水道も止まり、暴動が起きているような『倒産確実のブラック企業(祖国)』に戻らなければならないのですか? 私の頭が貴方と同じように腐っているとでも?」
ピシャリと。
一ミクロンの情も交えない、冷酷な論理の刃がアルフォンスを切り裂いた。
「な……っ! お、お前、正気か!? この野蛮な帝国の連中に洗脳されているのではないのか!」
アルフォンスが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「洗脳されているのは貴方の方です。真実の愛だの、聖女だのという『利益を一切生み出さない無価値な幻想』にね。……私が国を出る時、言いましたよね? 不採算部門を切り捨て、優良な投資先へ乗り換えるのは経営者の基本だと」
私はゆっくりと階段を下り、アルフォンスの目の前まで歩み寄った。
レオンハルト陛下とルカ殿下も、無言で私の背後についてくる。
「貴方がたは、私という『最大の支援者』を失った。だから国が崩壊した。ただそれだけの、極めて単純な因果関係です。私が貴方を愛していた? 嫉妬した?……自惚れるのも大概にしてください。私は貴方のような『無駄なコスト』に割く感情など、一秒たりとも持ち合わせていません」
「エ、エルゼ……貴様……っ!」
アルフォンスの顔が、屈辱と絶望で醜く歪む。
ようやく彼は理解し始めたのだ。目の前にいる女が、自分に助けを求める哀れな令嬢などではなく、自分たちを完全に「無価値なゴミ」として見下している、冷徹な帝国の権力者なのだということを。
「殿下ぁ……エルゼ様、怖いよぉ……っ」
ミリアがアルフォンスの腕にすがりついて泣き言を言う。
「うるさい、離れろ!」
アルフォンスは八つ当たりのようにミリアを突き飛ばすと、血走った目で私を睨みつけた。
「き、貴様がその気なら……いいだろう! 私はグランゼール王国の正当な王太子だ! 今すぐ国に戻り、周辺諸国と同盟を結んで、この横暴な帝国を叩き潰してやる! その時になって泣いて謝っても、もう遅いからな!!」
自分の非を認められない愚者が、最後に吐く典型的な負け惜しみ。
それ聞いた瞬間、私の背後にいたレオンハルト陛下が、低く、腹の底に響くような声で笑った。
「くっ……ふはははっ。帝国を叩き潰す? 周辺諸国と同盟? ……いやはや、ここまで頭の空っぽな男を見たのは初めてだよ。エルゼ、よくこんな知能の低い生き物と十年間も婚約を維持できたな。君の忍耐力には感服する」
「仕事でしたから。ですが、すでに損切りは完了しております」
「そうか。ならば……もう彼らに配慮する必要は一切ないな」
レオンハルト陛下が指をパチンと鳴らすと、大広間の扉が開き、セバスを先頭に数十名の監査局の役人たちが、山のような書類と魔導プロジェクターを運び込んできた。
「さあ、お遊戯(妄想)の時間は終わりです、アルフォンス元殿下」
私はセバスから真新しいバインダーを受け取り、それを開いた。
氷のような青い瞳で、床に這いつくばる愚者たちを見下ろす。
「貴方がたが現実(数字)から逃げようとも、私が絶対に逃がしません。これから、貴方の国が抱える『金貨一億五千八百万枚』の債務に対する、法的な取り立て(公開処刑)のフェーズへと移行します」
無能な元婚約者の勘違いは粉砕された。
ここからは、有能な経営者による、一切の容赦のない「徹底的な経済的蹂躙」が始まる。
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次回お楽しみに。




