第18話『皇帝の宣戦布告』
俺たちの戦いはこれからだ!
建国祭の夜。
帝城の奥深くにある皇帝専用の豪奢な控室は、凍りつくような、それでいて火花が散るような極限の緊張感に包まれていた。
「……ルカ。お前の今日の働きは見事だった。昼のパレードの馬車の設計変更、そして群衆を魅了した完璧な魔法の制御。帝国の第二皇子として、立派に役目を果たしてくれた」
漆黒の夜会服を完璧に着こなし、胸元に皇帝の証である大粒のルビーを輝かせたレオンハルト陛下が、クリスタルグラスを傾けながら静かに口を開いた。
その声は、いつもの「余裕のある兄」のものではない。どこまでも冷徹で、絶対的な支配者としての重圧を孕んでいた。
「だが、お前の妥協はここまでだ。今宵の夜会、エルゼのエスコートは私一人で行う。お前は皇族の席でおとなしく来賓の相手をしていろ」
「……断るよ、兄上」
対するルカ殿下は、純白の夜会服の襟元を少しだけ乱し、黄金の瞳に猛烈な反抗心を燃やして兄を睨み返した。
かつて引きこもっていた頃の、ただ怯えて暴走するだけの魔力ではない。彼が今放っているのは、エルゼという『明確な目的』を与えられたことによる、鋭く研ぎ澄まされた強大な意志の力だった。
「昼のパレードは百歩譲って三人で歩いてやった。でも、夜会のファーストダンスまで兄上に独占させる気はない。エルゼのあの『金貨八十万枚のドレス』、確かに金を出したのは兄上かもしれないけど、彼女の心を動かしてるのは僕だ」
「……ほう?」
「エルゼは僕の価値を一番最初に認めてくれた。僕の魔法を『利益になる』って言って、一緒に土にまみれてインフラを造り上げたんだ。ただ権力と金で上から目線で囲い込もうとしてる兄上なんかより、僕の方がずっと彼女の役に立ってる。彼女にとっての『最高の投資先』は、僕だ」
ルカ殿下の真っ直ぐな、そして一歩も引かない宣言。
それを聞いたレオンハルト陛下は、グラスをテーブルにコトリと置き、ゆっくりと立ち上がった。
「買い被るなよ、愚弟。彼女がお前を構うのは、お前が『手のかかる出来の悪い現場作業員』だったからに過ぎない。優秀な経営者(彼女)が、不良債権の処理に手間をかけるのは当然の業務だ。それを『愛』だと勘違いするとは、やはりお前はまだ子供だな」
「なっ……!」
「いいか、ルカ」
レオンハルト陛下は、弟の目の前まで歩み寄り、その長身から見下ろすようにして、絶対的な宣告を下した。
「昼間、市場で彼女が見せたあの笑顔……。あれを見た瞬間に、私の残っていた僅かな理性が完全に消し飛んだ。私は彼女の頭脳(才能)を帝国に迎え入れたつもりだったが、今は違う。彼女のすべて……あの冷ややかな声も、計算に夢中になる横顔も、そしてあの無防備に咲き零れる微笑みも、一ミクロンたりとも他国には、いや、他の誰にも渡さない」
皇帝の口から紡がれる、あまりにも重く、ドロドロに煮詰まった執着。
「私はエルゼ・フォン・ブラウベルトを、アウグスト帝国の『皇后』にする。これは決定事項だ。……もしこれ以上、彼女の視界をチラチラと横切って私の邪魔をするというのなら、たとえ血の繋がった弟であろうと容赦はしないぞ」
明確な宣戦布告。
皇帝の逆鱗であり、本気の求婚宣言。
並の人間であれば、その威圧感だけで泡を吹いて気絶していただろう。
しかし、ルカ殿下は額に汗を浮かべながらも、決して目を逸らさなかった。
「……上等だ」
ルカ殿下はギリッと奥歯を噛み締め、不敵な笑みを浮かべた。
「兄上がその気なら、僕だって容赦しない。皇帝の権力だろうがなんだろうが、全部僕の魔法でひっくり返してやる。彼女の隣に立つのは、未来の皇后の玉座なんかじゃなくて……僕が創り上げる、完璧な世界の真ん中だ!」
バチバチバチッ!
皇帝の漆黒の覇気と、皇子の黄金の魔力が、控室の中で激しく激突する。
壁の絵画が揺れ、窓ガラスが嫌な音を立てて軋み始めた。帝国の最高権力者二人が、たった一人の「数字の鬼(ポンコツ令嬢)」を巡って、ついに国を真っ二つに割る本気の殺し合い(兄弟喧嘩)を始めようとした、まさにその瞬間だった。
「——お二人とも。夜会前の控室で、魔力を無駄に消費するのはおやめください。会場のシャンデリアの出力が不安定になります」
ガチャリ、と。
控室の重厚な扉が開かれ、氷のように冷たく、そして凛と澄んだ声が響き渡った。
殺気を放っていた兄弟が、同時に扉の方へと振り返る。
そして、次の瞬間——二人は完全に言葉を失い、文字通り石像のように固まった。
「……お待たせいたしました。公式ユニフォーム(ドレス)の着用、およびメイクアップの工程が完了いたしました」
そこに立っていたのは、深い夜空をそのまま切り取ったような『ミッドナイトブルーの特注ドレス』に身を包んだ、私だった。
動くたびに、生地に織り込まれた『月光蜘蛛の糸』が星屑のようにチラチラと瞬く。
胸元から裾にかけて散りばめられた『海神の涙』は、会場の光を反射して、まるで私自身が発光しているかのような錯覚を起こさせる。
銀色の髪は複雑に編み込まれてアップにされ、細い首筋のラインを強調していた。氷のように青い瞳は、アイシャドウによってさらに鋭く、そして妖艶な光を帯びている。
「……エ、エルゼ……?」
ルカ殿下が、ポカンと口を開けたまま、信じられないものを見るように一歩後ずさった。その顔は、一瞬にして耳の先まで茹で上がったように真っ赤になっている。
「…………」
レオンハルト陛下に至っては、完全に無言だった。
ただ、その黄金の瞳が、私の頭の先から爪先までを舐め回すように動き、ゴクリ、と喉仏が大きく上下する音が控室に響いた。
(ふむ。お二人のこの反応……。どうやら、金貨八十万枚の制服のプロモーション効果は絶大のようですね。社長と現場トップの厳しい査定をクリアできたと見て間違いありません!)
私は彼らの『完全に理性が吹き飛んだ熱視線』を、当然のごとく『自社ブランドの広告塔としての出来栄えチェック』だと脳内変換し、誇らしげに胸を張った。
「陛下、いかがでしょうか? この装いであれば、他国の使節団に対しても、アウグスト帝国の圧倒的な資本力と権威を存分に見せつけることができると確信しております。原価回収のパフォーマンスとしては百二十分です!」
「……ああ、そうだな。まったくもって、その通りだ」
レオンハルト陛下が、片手で自分の顔を覆い、天を仰いで深いため息をついた。
そして、重々しい足取りで私の前まで歩み寄ると、私の手を取り、その甲に——いや、手袋の隙間から覗く手首の素肌に、直接熱い唇を落とした。
「ひゃっ……? へ、陛下? それは契約外のスキンシップでは……」
「君が悪いんだぞ、エルゼ。こんなにも美しく、そして残酷なほど私を惹きつける姿で現れるなんて。……他国の使節団に見せつける? 冗談じゃない。今すぐ君をこの部屋に閉じ込めて、私以外の誰の目にも触れさせたくないという衝動を抑えるのに、どれだけ苦労しているか」
低い、火傷しそうなほど甘く重い声。
陛下の親指が、私の手首の脈打つ部分をゆっくりと撫でる。
心臓が、自分でも驚くほどドクリと跳ねた。
「あ、兄上! 抜け駆けは許さないって言っただろ!」
我に返ったルカ殿下が、慌てて私のもう片方の手を取り、自分の方へグイッと引き寄せた。
「エルゼ、お前、本当に綺麗だ……。綺麗すぎて、なんか腹が立ってくる。こんな姿、他の男に見せるなよ。夜会の間中、僕がずっと隣で威嚇してやるからな……!」
ルカ殿下も、必死に私の手を握りしめ、獲物を守る仔狼のように唸り声を上げている。
(……はて? なぜ広告塔である私を『他の男に見せるな』と仰るのでしょうか。それでは何のために金貨八十万枚を投資したのか分かりません。トップ層のプロモーション戦略の意図がブレてきている気がしますね)
私は少し首を傾げながらも、有能な経営者として、この場をキッチリと収めるための号令をかけた。
「お二人とも、時間です。夜会の会場(戦場)へ向かいましょう。お約束通り、ファーストダンスはレオンハルト陛下と。その後はルカ殿下との歓談の時間を設けます。……さあ、帝国の繁栄と圧倒的な利益を見せつける、完璧な決算報告の始まりですよ!」
私が完璧な営業スマイルで宣言すると、兄弟は互いに強烈な火花を散らす視線を交わし合った後、同時に私の左右に立ち、エスコートの形をとった。
宣戦布告は終わった。
ここから先は、氷の令嬢(無自覚)を巡る、最高権力者たちによる容赦のない本気の『囲い込み(溺愛)』が、数千の貴族たちの前で堂々と繰り広げられることになる。
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次回お楽しみに。




