第17話『氷の令嬢の微笑み』
ノックアウト(
抜けるような青空の下、アウグスト帝国の首都ガルデアは、かつてないほどの熱狂と歓声に包まれていた。
帝国全土を挙げての最大の行事、『建国祭』の幕開けである。
「うおおおおっ! 皇帝陛下、万歳!」
「ルカ殿下! 東部の運河、本当にありがとうございます!」
「財務卿閣下! 美しい! まるで女神のようだ!」
帝都を貫く大通りを、一台の巨大な特別製オープン馬車がゆっくりと進んでいく。
沿道には身動きが取れないほどの民衆が押し寄せ、色とりどりの紙吹雪が空を舞っていた。
私が提案し、強行採決した『帝国トップ3による相乗りパレード』は、私の事前のシミュレーション(計算)を遥かに超える大成功を収めていた。
「……素晴らしい。沿道の観客動員数は昨年の百五十パーセント増。屋台の売上予測も最高数値を叩き出しています。他国の使節団も、我々のこの『強固な一枚岩の陣形』を見て、完全に圧倒されているようですね」
私は馬車の中央の席で、完璧な姿勢と営業スマイルを保ちながら、手元の小型魔導計算機を弾いていた。
この馬車の座席は、ルカ殿下が徹夜で設計変更した特別製の『三人掛けベンチシート』である。
「……エルゼ。君は、何十万という民衆の熱狂を浴びているこの馬車の上で、まだ計算機を叩いているのか?」
私の右側に座るレオンハルト陛下が、引きつった笑みを浮かべながら小声で囁いた。
漆黒と金の正装に身を包んだ皇帝が手を振るたびに、沿道の女性たちから黄色い悲鳴が上がる。
「当然です、陛下。この熱狂は『プロモーションの成功』というデータに過ぎません。この熱をいかにして来期の税収と経済成長に繋げるかが、経営者の腕の見せ所なのですから」
「お前のそういうブレないところ、本当にスゲェよ……。でもさ、エルゼ。ちょっと狭くないか? 兄上がわざと僕の方に幅寄せしてきてるんだけど」
私の左側に座るルカ殿下が、不満げに唇を尖らせた。
純白の皇子服を着崩した彼は、先日のインフラ大工事の噂が広まっていることもあり、平民たちから熱烈な声援を浴びている。
「気のせいだろう、ルカ。私の肩幅が広いだけだ。それより、お前こそエルゼの肩に触れすぎではないか? 少し左へ寄れ」
「兄上が寄ればいいだろ! これは僕が設計した馬車なんだぞ!」
「お二人とも、笑顔です。使節団の視察用魔導カメラがこちらを向いていますよ」
私が小声でピシャリと嗜めると、最高権力者兄弟は「「……っ」」と同時に息を呑み、瞬時に完璧な『皇帝の微笑み』と『皇子の爽やかな笑顔』を作り上げた。
文句を言いながらも、即座に会社のブランドイメージを優先できる。やはりこの二人は最高のビジネスパートナーだ。
両脇から巨大な体躯の成人男性二人に挟まれ、私のパーソナルスペースは物理的にゼロになっていたが、私はこれを「馬車の乗車スペースの最大効率化」と解釈し、全く気にしていなかった。
◇◇◇
昼のパレードが滞りなく終了し、夜会の準備に入るまでの約二時間。
私は「現場の消費動向の視察」という名目で、お忍びのローブを羽織り、帝都の商業区画へと足を踏み入れていた。
もちろん、私の左右には同じく認識阻害の魔法をかけたローブ姿の皇帝陛下と皇子殿下が、両脇をガッチリと固めるように同行している。
「……すさまじい活気ですね」
私は広場を行き交う人々を見て、感嘆の息を漏らした。
広場には、帝国各地から集まった珍しい食材や魔導具の屋台が所狭しと並び、飛ぶように売れている。
「エルゼ! 見ろよ、あそこの串焼き屋! 僕が火の魔石の供給コストを下げたおかげで、あんなに安く肉が提供できてるんだぜ!」
ルカ殿下が、得意げに私の袖を引く。
「ええ。殿下のインフラ革命による『物流・燃料コストの低下』が、末端の物価にダイレクトに反映されています。素晴らしい経済波及効果です。これはボーナス査定を大幅にプラスしなければなりませんね」
「ボーナスとかじゃなくてさ……その、お前が『すごい』って言ってくれれば、それで……」
ルカ殿下がローブのフードの下で耳を赤くしていると、レオンハルト陛下がスッと私の前に立ち塞がった。
「ルカの土木作業も立派だが、市場全体を活性化させているのは、私が君の『再分配計画』に即日サインをしたからだぞ? ほら、エルゼ。あそこを見てごらん」
陛下が指差した先には、真新しい服を着た子供たちが、色とりどりの飴細工を手に笑い合って走り回る姿があった。
その後ろを、笑顔の親たちが追いかけていく。
「腐敗貴族たちから没収した資産を、君の計算通りに孤児院の支援と減税に回した。その結果、平民たちの財布の紐が緩み、こうして祭りを心から楽しめるだけの『余裕』が生まれたんだ。すべては、有能な財務卿である君のおかげだよ」
レオンハルト陛下が、ひどく優しげな声で囁く。
私は、その光景から目が離せなくなっていた。
温かい肉の焼ける匂い。
行き交う人々の、明るい笑い声。
空を彩る、ルカ殿下が調整した無数の美しい魔導花火。
祖国では、決して見ることのできなかった光景だ。
祖国の民はいつも重税に苦しみ、無能な王太子の浪費のせいで、祭りの日ですらどこか暗い顔をしていた。私はそれを数字(帳簿)の上でしか処理できず、根本的な解決策を打てないまま、ただ赤字を埋めることしかできなかったのだ。
だが、ここでは違う。
私の計算式と、それを信じて完璧に実行してくれる強力な社長(皇帝)と、圧倒的な実力を持つ現場のトップ(皇子)がいる。
私たちが夜を徹して処理した書類の山が。数字の羅列が。
こうして、目の前の「人々の幸せな生活」という、確かな『実体』となって息づいている。
「……経営者にとって」
ポツリと、私の口から声が漏れた。
レオンハルト陛下とルカ殿下が、同時に私を見る。
「数字は嘘をつきません。利益は絶対に裏切らない。……でも、私たちが生み出した数字の終着点が、こんなにも温かく、美しい光景なのだとしたら」
胸の奥で、今まで感じたことのないような、熱くて、柔らかい感情が満ちていくのを感じた。
それは「決算が合った時のカタルシス」とは違う、もっと純粋で、根源的な喜び。
自分の仕事が、誰かの幸せに直結しているという、経営者としての最大の報酬。
「……最高の、リターン(成果)ですね。アウグスト帝国に転職して、本当に、良かった」
私は振り返り、二人を見た。
そして、自分でも驚くほど自然に——『氷の令嬢』の仮面(営業スマイル)を完全に脱ぎ捨てて、ふわりと、心からの微笑みを浮かべた。
計算も、打算も、一切ない。
ただ、目の前の二人の「最高のビジネスパートナー」に対する、純粋な感謝と喜びから咲き零れた、無防備な笑顔。
万年雪に覆われた高山で、一輪だけ咲いた幻の花のような、柔らかく、温かい微笑みだった。
「「…………っ!!」」
時が、止まった。
喧騒に包まれた祭りの広場のど真ん中で。
レオンハルト陛下とルカ殿下の二人は、文字通り雷に打たれたように完全に硬直し、息をするのも忘れたように私を見つめていた。
「……へ、陛下? ルカ殿下? どうされましたか? 顔が真っ赤ですが、人混みで魔力酔いを……」
私が不思議に思って首を傾げると、二人は同時にハッと我に返った。
しかし、その様子は明らかにおかしい。
「……あ、ああ。いや、違う。そうじゃない……っ。エルゼ、君、今……っ」
常に完璧な大人の余裕を崩さないレオンハルト陛下が、言葉を詰まらせ、口元を片手で覆って激しく動揺している。その黄金の瞳は、まるで見てはいけない神聖なものを見てしまったかのように、強烈な熱と焦燥に揺れていた。
「え、エルゼ……お前、笑うと、そんな……っ。反則だろ、それ……! 駄目だ、心臓が爆発しそう……っ!」
ルカ殿下に至っては、両手で真っ赤になった自分の顔を覆い隠し、その場にしゃがみ込んでしまった。ローブの隙間から見える耳までが、ゆでダコのように赤い。
(なるほど! 私が普段、業務中は無表情を貫いているため、急に感情を表に出したことで『自社ブランドのイメージ崩壊』を危惧させてしまったのですね! いけません、役員たるもの、常に冷静沈着であらねば!)
私は慌てて表情を引き締め、いつもの「氷の令嬢」の冷徹な顔に戻った。
「失礼いたしました。視察の成果が想定を上回っていたため、少々気が緩んでしまいました。以後、気を引き締めて業務に当たります。……さあ、視察は十分です。夜会(本番)に向けて、一度城へ戻りましょう」
私が踵を返して歩き出すと、背後で二人の最高権力者が、深い深いため息をつく気配がした。
「……兄上。僕、もう我慢の限界かもしれない。あんな顔見せられたら、もう、絶対に誰にも渡したくない……っ」
ルカ殿下の、絞り出すような低く熱い声。
「奇遇だな、ルカ。私も今、全く同じことを考えていたところだ。……昼のパレードの妥協は、ここまでだ。これ以上、あの笑顔を他の男に見せるなど、私の独占欲(理性)が許さない」
レオンハルト陛下の、絶対的な支配者の冷酷で、甘い宣言。
視察という名のデートの終わり。
氷の令嬢の「無自覚な一撃」によって、最高権力者兄弟のストッパーは完全に破壊されていた。
今宵の夜会で、彼女を巡る兄弟の「本気の包囲網」が、ついに牙を剥くことなど、先を歩くエルゼはまだ一ミリも計算できていなかったのである。
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次回お楽しみに。




