第10話『一方その頃、祖国では(1)』
ざまぁまでカウントダウン!!
その夜、グランゼール王国の王城は、文字通り「暗黒」に包まれていた。
建国記念祭の華やかな熱気は完全に冷え切り、城内の魔導灯は一つ残らず沈黙している。予備の古びた燭台から放たれる頼りない炎だけが、冷たい石造りの廊下を薄暗く照らしていた。
「……寒い。おい、暖炉の火はどうした! なぜ火の魔石を補充しない!」
執務室の豪奢なデスクに突っ伏していた王太子アルフォンスが、苛立ちに任せて声を荒らげた。
彼の隣のソファでは、自称聖女のミリアが安物の毛布に包まり、ガタガタと震えている。あの婚約破棄の夜、エルゼに最高級の特注ドレスを没収された彼女は、今や侍女の予備着のようなみすぼらしいワンピース姿だった。
「アルフォンス様ぁ……ひどいですぅ。お城のベッドも冷たいし、お湯も出ないなんて。私、お肌がガサガサになっちゃいますぅ……」
「我慢してくれ、ミリア。すぐに復旧するはずだ。おい、誰かおらんのか!」
アルフォンスの怒鳴り声に応えるように、バタンッと勢いよく執務室の扉が開いた。
転がり込むように入ってきたのは、顔面を蒼白にした王国財務大臣だった。その手には、震えるほどの厚さの報告書が握られている。
「で、殿下ァァッ! た、大変でございます! 国家の非常事態です!」
「うるさい、大袈裟な奴だな。どうせエルゼの嫌がらせだろう。あの女が管理していた魔力回路の権利を、力ずくで国庫に没収すれば済む話ではないか」
「それが、不可能なのです! ブラウベルト公爵家は、すでに王都の全インフラ設備の『所有権』を他国へ売却し、一族郎党を連れて領地へ引き払ってしまいました! 今、この城の魔力回路を勝手にいじれば、それは『帝国』への明確な器物損壊(敵対行為)とみなされます!」
「なっ……なんだと!?」
アルフォンスは弾かれたように立ち上がった。
エルゼが自分の元を去ったことなど、彼にとっては「生意気な女が消えて清々した」程度の認識でしかなかった。少し不便にはなるだろうが、王家の権力さえあればすぐに代わりなど見つかると思っていたのだ。
だが、現実は違った。
「そ、それだけではございません!」
財務大臣は涙目で報告書をめくった。
「王都に続く主要な物流網である『ブラウベルト運河』および『東部街道』が、公爵家の私兵によって完全封鎖されました! 理由は『通行税の未払い』とのこと! その結果、昨晩から王都へ入るはずだった食料の搬入が完全にストップしております!」
「食料が……だと? 馬鹿な、たかが一公爵家が道を塞いだくらいで」
「たかがではありません! あの女……いえ、エルゼ様は、過去十年間で王国の主要な流通経路の権益をすべて公爵家の名義で買い取っていたのです! 今朝の時点で、市場の小麦の価格は五倍に跳ね上がり、平民たちの間で暴動寸前の騒ぎが起きています!」
財務大臣の悲痛な叫びが、冷え切った執務室に響き渡る。
光がない。お湯が出ない。そして、物流が止まり食料が入ってこない。
アルフォンスはここに至ってようやく、自分たちがどれほど致命的な「生命線」をあっさりと手放してしまったのかを理解し始めた。
エルゼ・フォン・ブラウベルト。
氷のように冷たく、可愛気のなかった女。
だが彼女は、王太子である自分よりも遥かに強大な『実権』を握り、この国を裏から完全にコントロールしていたのだ。
「で、では、どうすればいい! 騎士団を出して道をこじ開けろ!」
「できません! 騎士団の給与は、ここ半年間エルゼ様個人の資産から立て替えられていたのです! 婚約破棄の翌日、『支援打ち切り』の通知が回った途端、騎士の半分以上がストライキを起こして辞表を叩きつけてきました! 残っているのも、腹を空かせて使い物になりません!」
「な……っ」
アルフォンスは膝から崩れ落ち、椅子にドスッと座り込んだ。
金がない。兵も動かない。あるのは、エルゼが突きつけていった「金貨一億五千八百万枚」という、アウグスト帝国に対する絶望的な借金だけ。
このままでは、国が滅ぶ。
誇張でもなんでもなく、数週間でグランゼール王国は干上がる。
「……そうだ! ミリア!」
追い詰められたアルフォンスは、ソファで震えている桃色の髪の少女へとすがりつくように振り返った。
「君は聖女だろう!? 神に愛された、奇跡の力を持っているはずだ! 君の聖なる祈りで、魔導炉に火を灯し、民衆にパンを与えてくれ! そうすれば、皆君を真の王妃として崇め奉るはずだ!」
「えっ……? あ、あはは、そうですねぇ……」
ミリアは引きつった笑いを浮かべた。
彼女は確かに、平民の中では少しばかり魔力量が多かった。かすり傷を治したり、小さな光の玉を作って見せたりすることで、「聖女の再来」と持て囃されてきたのだ。
だが、それはあくまで「素人の手品」レベルの話である。国家の魔導炉を稼働させ、数万人のインフラを支えるような規格外の力など、あるはずがない。
「さあ、ミリア! 見せてくれ、君の力を!」
「は、はい……。ええと、光よ!」
ミリアが両手を組み、ぎゅっと目を瞑って祈る。
数秒後。
ポンッ、と乾いた音とともに、彼女の手のひらからマッチの火ほどの小さな光の玉が浮かび上がり——二秒でフッと消えた。
「…………」
「…………えっと、今日はちょっと神様がお留守みたいでぇ……」
沈黙が落ちた。
冷たい風が、割れた窓の隙間から吹き込んでくる。
アルフォンスの顔から、ついに表情が抜け落ちた。
真実の愛。奇跡の聖女。
そんな甘い幻想だけで国が回るわけがなかったのだ。エルゼという「有能な経営者(金庫番)」が、裏で血を吐くような計算と実務をこなして泥を被ってくれていたからこそ、彼らは能天気に愛だの恋だのと歌っていられたのである。
「殿下ぁ……お腹空きましたぁ。あの冷たくて固いパン、もう嫌ですぅ……」
ミリアが涙目でアルフォンスの袖を引く。
「……エルゼだ」
アルフォンスは、虚ろな目でブツブツと呟き始めた。
「エルゼが必要だ。あの女がいなければ、この国は回らない。そうだ……これは、あの女の嫉妬だ! 私がミリアを愛したから、気を引きたくてこんな大掛かりな嫌がらせをしているんだ!」
「で、殿下? 何を仰って……」
財務大臣が呆れたような声を出すが、アルフォンスの耳には届かない。
追い詰められた人間のプライドとは恐ろしいものだ。
自分の完全な非を認めることができないアルフォンスの脳は、現実逃避の果てに、極めて都合の良い「勘違い」へとたどり着いてしまった。
「間違いない! エルゼは、私が『戻ってこい』と迎えに行くのを待っているんだ! そうに決まっている! 帝国への借金だって、私がエルゼを妻にしてやれば、彼女がうまいこと帳消しにしてくれるはずだ!」
「正気ですか、殿下!? エルゼ様はすでに帝国の財務卿という要職に就かれ、皇帝陛下から国賓以上の待遇を受けているのですよ!? 今更戻るはずが——」
「うるさい! 私はこの国の王太子だぞ! あの冷徹で可愛気のない女に、王妃の座という最高の温情を与えてやるのだ、喜んでひれ伏すに違いない!」
アルフォンスは立ち上がり、狂ったように笑い始めた。
「すぐに馬車の用意をしろ! 帝国の首都ガルデアへ向かう! あの意地っ張りな女を許し、愛してやると伝えに行くのだ! そうすれば、すべてが元通りになる!」
もはや、止める言葉も届かない。
こうして、完全に現実が見えていない無能な元婚約者と自称聖女は、わずかな護衛だけを引き連れ、帝国への無謀な旅路につくこととなった。
彼らはまだ知らない。
かつて彼らがゴミのように捨てた「氷の令嬢」が、今や帝国で最強の皇帝兄弟から逃げ場のないほどの過剰な溺愛(絶対的な庇護)を受けているということを。
そして、アウグスト帝国の最高権力者たちが、エルゼを傷つけた者に対して、どれほど冷酷で容赦のない「報復(物理と経済)」を下すかということも。
破滅へのカウントダウンは、静かに、しかし確実のそのスピードを上げ始めていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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次回お楽しみに。




