6.期待しています
「どうぞ」
ドアをノックしたら、すぐに返事がきた。
「遅くなりました」
社長室に入ると、大益幸雅社長は、遅れて顔を出した外﨑を咎めようともせず立ち上がって出迎え、「どうぞお掛けください」と掌でオフィスチェアを示した。
合理主義、且つ誰に対しても腰が低いこの二代目社長は、着任早々、初代が気に入っていたロールアーム付きのアンティークソファーを人間工学を取り入れたメッシュ地のオフィスチェアに、猫足のローテーブルを機能的なミーティングテーブルに入れ替えた。
大切な打ち合わせこそ社長室で、という新社長の意思表明だったが、若い連中が使うのは社長が不在のときだけだ。
ひとしきり、世間話を交わしたあと、社長が切り出した。
「外﨑さん最近どうですか、みんなのようすは」
とりあえず、肩叩きではないとわかってほっとする。
「はあ、どうと言われましても」
あまり仕事に関われていないし、連中からはプライベートのお誘いもない。
「まあ、忙しくはしているようです。わたしも、お陰様で再雇用していただきましたから、年金受給まで何とか食い繋げそうです」
そのくらいしか答えようがなかった。
「なに隠居みたいなこと言ってるんですか。まだそんな年じゃないでしょう。それより」
ここで、社長は声を潜めた。
「最近気になるんですよ。ほら、今ウチって、勢いがあるじゃないですか。うまく行き過ぎてる気がするんです。業績は右肩上がりですが、こう、仰角がですね、急すぎて失速するんじゃないかと心配なんです。最近ちょっと、浮ついてませんか、ウチ」
確かに。
さっきもそうだが忙しさの反動というか、ときどき、オフィスの空気が悪くなる。爆発の一歩手前まで充満したガスのなかで、互いにライターを見せ合って牽制しているような危ういバランス……、あれはちょっといただけない。
そもそも、社内がコミュニケーション不全に陥っているような気もする。
そういう雰囲気を浮ついた感じというなら、そうかもしれない。
個々の仕事の内容は知らないが、流れはなんとなく見える。
仕事の依頼は誠太郎に集まる。誠太郎は、仕事を、自分を含めたメンバーに割り振るまでが仕事で、あとは個人の資質が頼みだ。それも締め切りありきで進めるので事故の予兆があっても気付くことはできないだろう。
幸工房の時代は違った。
外﨑は、今のオフィスに感じる懸念を、映画界の変化になぞらえてみた。
「以前は仕事といえば動画、といってもフィルムだったじゃないですか。あれはストップモーションひとつでも、えらい経費が掛かった。撮影だってそうです。だから検討に検討を重ね、入念に準備して本番に臨んだもんです。それが今や、プロがスマホで動画を撮るんですからね。特殊効果だって簡単にできるし撮り直しだって自由です。そういう軽い感覚に慣れてしまっているような気がするんですよね」
外﨑がそう伝えると、
「そうです。わたしも、このままだと、いつか大きなクレームが発生するような気がして怖いんです。そこで、なんですが」
社長が身を乗り出した。そして、
「仕事の進め方やリスクマネジメントについて、どうでしょう外﨑さん、ウチの連中を指導してもらえませんか」
冗談と思いたかったが、目は真剣だった。
思ってもいなかった申し出に、「え」と声が詰まってしまった。
初代には拾ってもらった恩もあるので定年まで誠心誠意仕えてきた。だが二代目から期待されるとは……、思ってもみなかった。
「もちろん、外﨑さんには然るべき地位を用意します。指導には権限が必要ですから。それに給料も、今のような嘱託賃金ではなく、現役時代と同程度の報酬を用意します。どうでしょうか」
外﨑は腕を組んだ。
今の若いメンバーに仕事を教えてやりたい気持ちはある。徹底的に鍛え、叩き直してやりたい。
だがどうだろう。
あの連中にことばが通じるだろうか。会議の場ですら「めっちゃ」とか「マジで」、とか「ぶっちゃけ」、と言って議論を攪乱する連中だ。あいつらに真っ当なコミュニケーションと、リスクを念頭に置いた仕事の進め方が覚えられるだろうか。
「外﨑さん、今や、こういった仕事を頼めるのは、もう、あなたしかいないんです」
社長の吸い込まれるような目に見つめられ、気が付いたら「はい」と答えていた。
答えてから『早まったか』と思ったが、社長はもう、大喜びで外﨑の手を両手で握りしめて「よかった、よかった!」と満面の笑みだ。
「ではさっそく来週から。ポジションは業務改革特命課長とします。期待していますよ、外﨑さん」
期待しています……、か。
こんな風に言われるのは嬉しいが。
えらいことになった。
そう思いながらも、外﨑は、久しぶりに与えられた役職に、僅かながら、誇らしさも感じていた。




