4.トノさん
外﨑が映画監督の夢を諦めたころ、つまり八年ほど前から幸工房の経営は苦しくなってきた。CGが気軽に使える環境が整い、AIや3Dプリンターが登場して職人の出番が減ってしまったからだ。
三期連続の赤字が決定的になったとき、初代社長の大益剛太は、銀行の融資を繋ぎ留めるために引責辞任した。
二代目社長を継いだ長男の大益幸雅が奮起して、会社は、一般向けのイベント会社として生まれ変わった。社名も、シアワセファクトリーと変えた。
この変革が当たった。
映画造りのノウハウを生かした、リアルな体験ができるイベント企画は消費行動がモノからコトへと変化する時流に合っていた。
一本一本の仕事は映画と違って小さく、世間から注目されることもなかったが、仕事を選ばない新社長の方針でとにかく忙しくなった。
稼ぐに追いつく貧乏なし。
会社は立ち直った。
立ち直るには立ち直ったが、若い社員がリードする新しい仕事に馴染めない外﨑は、社内で宙に浮いてしまった。
皆が外﨑のことを「トノさん」と呼ぶのは、親しみだけではない。
幸工房の管理職として会社を引っ張ってきたプライドを未だに捨てられない『時代遅れの殿様』という意味が込められている。
なので、本人がいないところではよく、「あのお殿様は……」と定冠詞付きで呼ばれている。




