37.外﨑の人生
「正平、おまえせめてジャケットとか持ってないのか」
「ジャケット、着てきたじゃないですか」
鋲で埋め尽くされた黒の革ジャンをジャケットとは呼ばない。下は、わりと普通のデニムだが、革のブーツは、華やかな場にそぐわない派手な黒の編み上げだ。よく見るとけっこう傷が付いているから、工事現場のバイトに使った安全靴かもしれない。
「お前のさ、そういうポリシー崩さないとこ、俺は好きだけどな」
「どうもっす」
「だけど今日という今日は、浮いてるわ」
「ロッカーは目立ってナンボっすから」
正平はポケットに手を突っ込んだまま堂々と言ってのけた。
態度も服装もばらばらなシアワセファクトリーの面々が雑談しながら来客用の玄関ホールに入ると、若水生徒会長が先に来て待っていた。
誠太郎が、今日が初対面になる社長を若水に紹介し、名刺交換を終えると、彼女は改めてこちらを向いて姿勢を正した。
「皆さん、今日は、ようこそおいでくださいました」
きちんと、両手を前に揃えた礼が美しい。
「こちらこそ、お招きに与り光栄です」
外﨑がそう、最後まで言い終わるか終わらないタイミングで、若水生徒会長がほんの少し顔を寄せ、
「素敵です」
と、そう言った。
思わず『え?』と返しそうになった、その動揺が顔に浮かんでしまったのだろうか。
「スーツ、お似合いですよ」と先回りされた。
すまし顔だった若水生徒会長の顔が、いつの間にか花が咲いたような笑顔になっている。
外﨑は思った。この娘、ジジイが苦手どころか、天然のおっさんキラーだ。
マズい、なんだか耳が熱くなってきた。
焦った外﨑は何でもない風を装って目を逸らしたが、凜華に気付かれていた。「トノさんヨダレ」と茶化してきた凜華に「バカやろ」と言い返して振り返ったら、凜華は別の方向に向かって手を振っていた。
手を振っている先は若水生徒会長だった。
「師匠、どうもです」
「リンちゃんでいいっつったろ」
「いえ、だって師匠ですから」
このふたり、どういう関係なんだ? という疑問に若水生徒会長が答えた。
「ラーメンデートのあとも、たまに会っていただいてるんです。凜華さんってもう、楽しいことの天才。だから師匠でいいんです」
「ま、教えてるっていうかこっちも若い子と遊べて楽しいし。てかどこ行ってもSP付いてくんだよねー」
『すいませ~ん』と若水生徒会長がかわいらしく首を竦めた。
どうやら、仕事の関係を超えて友達になったらしい。
外﨑は軽い嫉妬を覚えた。
別に、若水生徒会長に好かれたいわけではない。だが、こういう関係を見せられると、若い世代との隔絶を思い知らされる。どんなに仲よくなったとしても敬語の壁は超えられないのだ。
外﨑は、自分の人生を振り返った。
映画では実績を残せなかったし、諦めたあとは……、今度は、超えられない壁が自分を囲んでいる。やり直しの効かない人生のもどかしさには、胸を搔きむしるばかりだ。
何だったのだろう、自分の人生は。
なんて中途半端なんだ。
……中途半端といえば、映画の仕事をしながら七年間付き合った女がいた。しかし、向こうが結婚を意識しているとわかった途端、距離を置いて自然解消に持ち込んだ。
今考えると、本当にひどい話だ。冷酷だ。
この人でなしは稼いだ金を全部、自主制作に注ぎ込んで自分勝手に生きた。その結果、何も残っていない……。
当然の因果か。
このまま年を取り、侘しい年金暮らしを経て孤独死を待つのか。
思考が負の連鎖に落ち込もうとしたところを、「ではみなさんどうぞ、講堂の方に」という声に救われた。若水生徒会長の先導で、シアワセファクトリーの一行は、鈴蘭学園の講堂に向かった。




