31.大冒険!
開けて月曜日の午前十時。
メンバーは、ラーメン接待を終えた凜華の報告を聞くため、再び社長室に集まった。今日のミーティングにも社長は同席している。
凜華の報告によると、若水生徒会長がリクエストしたラーメン屋は、厚切り炙りチャーシューとコク旨背脂で人気の店 “豚八戒” だったそうだ。
凜華の報告で初めて知ることになったのだが、若水生徒会長は、正真正銘の深窓の令嬢だった。
父は、祖父が創業した心友ファイナンスの社長だそうだ。
心友ファイナンスは大手銀行の資本の入らない独立系の消費者金融で、金主も借手も、上品な人間ばかりではない。特に、一年ほど前から金主との間にトラブルを抱えていて、それで、ひとり娘の安全に殊更気を遣うようになっている。
いつだったかシズ姫が言っていた『鈴蘭学園の生徒は登下校にSPが付く』、というのはあくまで都市伝説だが、若水生徒会長に限っていえば、事実なのである。
身辺警護というのは、通常、対象者に付き添って周囲360度を警戒する。しかし若水生徒会長の場合、この方法ではなく、二名が、少し離れたところから監視する形をとっている。
これだと安全性は半減してしまうのだが、当の本人が警護そのものを頑なに拒否したため、警護体制は、折衷案を取らざるを得なかった。
警護が不完全になった分、若水生徒会長の行動が制限された。
まず、ひとりでの外歩きは禁止。
家族以外に、連れだって外を歩けるのは、原則、事前にリスト化された友人のみ。
夜の外出は友人と一緒でもダメ。
明るい時間帯でも、リストにない人と出かける際は事前に申請して、審査を受けなければならない。
そんなわけで、若水彩菜は普通の女子高生とはかけ離れた、甚だ息苦しい日々を送っていた。
当然、食生活もジャンキーな方向には広がらない。ラーメンですら、一年以上前に家族と食べて以来、口にする機会がなかったそうだ。その最後の一杯も中国料理店のフカひれラーメンであって、庶民の味ではない。
聖アンナ鈴蘭学園では土曜日も授業がある。
ただ、土曜日は通常の授業ではなく特別講義であったり補講であったり、あとは部活動だ。つまり必須ではないので、本人の計画次第で午後は抜けられる。
ちなみに、日曜日は受験勉強以外の、いわゆるお稽古事が入っている。バイオリン、合気道、茶道、といった……。
だから土曜日しかなかったのだ。学校をサボってラーメンを食べに行く、という大冒険ができる日は。
若水生徒会長が、この貴重な機会を生かすべく入念に選んだ店が、“豚八戒” だった。
同行者は野上凜華。取引先の女性社員だ。よもや警護対象を危険な目に遭わせるとは考えにくい。審査は問題なく通った。
ただ、若水生徒会長が事前に行動を申請すると、警護担当は社長車での送迎を提案したそうだ。だが若水本人がそれを断ったという。
「だってマットブラックのベントレーでラーメン屋って……」
深窓の令嬢でも常識は弁えているのだ。
そして約束の土曜日昼過ぎ。凜華は電車を乗り継いで、鈴蘭学園まで迎えに行った。
豚八戒で若水生徒会長が頼んだのは、“全部入り” だった。
大盛りではなかったが、彼女は、その壮観な盛り付けを見て「うわぁ」と感嘆の声を上げ、目に涙すら浮かべたそうだ。
外﨑も、同じのを以前、食べたことがある。
麺は太めの縮れ麺、スープは醤油豚骨で味はやや濃いめ。外﨑が頼んだのも並み盛りだったが、他店の大盛りくらいの量があった。
基本のスタイルは、ラーメンの中心に “野菜マシマシ” より少し小さめの、けっこうな高さの野菜山があって、その周囲を、タレと脂にしっかりと炙りが入った厚切りチャーシューが囲んでいる。
全部入りの場合、ここに味玉と特製メンマ、揚げニンニクが付く。もちろん上からは、自慢の背脂が振りかけられている。ちゃっちゃっちゃっと。
若水はスープをひと口啜り、それから麺をひと箸啜り上げ目を瞑って味わうと、あとは黙々と食べ進め、最後はどんぶりを両手で持って最後の一滴までスープを飲み干したそうだ。
その間、ことばはひと言も発しなかったというから、情報を取る、という意味では接待になっていない。
だが、空のどんぶりをカウンターに返し、額の汗を手の甲で拭った若水の満足そうな顔を見たとき、凜華は『やり切った』、と感じたという。
何をやり切ったのかはわからない。




