30.アヤナちゃんの恥
「でもトノさん、アヤナちゃん、別に怒ってないですよ」
凜華が口にした『アヤナちゃん』が誰のことか一瞬わからなかった。記憶を探って、生徒会長の若水彩菜であることを思い出したとき、凜華が説明を補足した。
「むしろ、あっちが落ち込んでたくらい」
「へ」
「学園の事情を、自分がトノさんに言ってなかったから。それで見当違いの講義させちゃったって」
「へ」
「鈴蘭学園って、動画制作部っていう部活動があって基本的なことはできるし……、あ、デジタルですけどね、当然。あと演劇部は総文祭の優秀賞の常連らいんで、教えるとしたら高度なことか実技に限られるのにトノさん、基本的なことばっか講義してたでしょ。起承転結とか序破急とか、そういうのは要らなかったみたい」
「要らないって、何でそんな大事なこと前もって教えてくれないんだ」
「だから! それをアヤナちゃんは後悔して」
「じゃなくてお前だよ凜華!」
「知らないわよあたしだって。あとで知ったんだから」
「あとって? あとっていつだよ」
「だから講義が終わったあと、アヤナちゃんとライン交換して、それで」
「ラインだぁ?」
「ちょっとやだぁ、禁止とか言わないでよね」
いや言わないけど……、どういうことだ。
「じゃあ何か? あのあとラインでチャットしてたのか」
「そう、タクシーんなかで。アヤナちゃん落ち込みモードだったから慰めてたの。したらトノさん、変な顔してこっち見るんだもん、笑っちゃった」
「へ」
「ていうか何、さっきから『へ』って。何よ『へ』って。正しい日本語はどこ行っちゃったわけ?」
そう言われて再び喉から顔を出しかけた『へ』を、外﨑がごくりと飲み込んだのを見計らって、凜華は説明を続けた。
「う~ん、落ち込みモードってのはねー。講義を聞きにきてた子達、みんなつまんなそうに帰ってったでしょ。それ見てアヤナちゃん、『やっちゃった』って。『トノさんに前もって言ってとけばよかった』って、したらあんな、ズレた講義になんなかったって」
「だって、恥かかされたって」
「言ってないでしょアヤナちゃんそんなこと。いい? 『わたし今日は、たいへんな恥をかきました』って、そう言ってたでしょ。しっかりしてくださいよ」
「じゃあ、問題ないのか」
「そりゃあなくはないですけど、講義自体は失敗だったんだし、それでいったんストップって、アヤナちゃんもそう言ってたでしょう。……まあでも、あさって一緒にラーメン食べに行く約束したんで、そんときにいろいろ聞いときますよ」
ほっとしたせいか、塞ぎきった心から自己否定感が蒸発していく。
……え?
今なんて。
「ラーメンって、ふたりでか」
「経費でいいですよね」
この質問には社長が答えた。
「接待費で大丈夫です。全部入りの大盛りに、チャーシュー丼も付けちゃってオッケーです。何なら唐揚げと餃子も」
凜華が「そんなに食べれませんよ」、と手を叩いて破顔した。
ともかく。
次のアクションは、凜華が “ラーメン接待” で得てきた情報を分析してから、ということになった。




