5.全てに繋がる、パクス・ヴァイオレット
「こりゃまた……何と言えばいいのやら」
「……すごい、ですね」
遺跡から続く獣道。ようやっとのこと、そこから抜け出した俺達は──正確には俺と“ヤマネコ”がだが──思わず目の前に光景に息を呑んだ。
遺跡の前に広がる整備された道。大きめの車が余裕ですれ違えそうなほど広い道を大勢の人間が埋め尽くしていた。
先ほどの様子とはうって変わって目を輝かせている“機関”のエージェントをよそに、ミーシャは口を開く。
「その様子を見るに……相当この光景に圧倒されているようだな?」
得意げなエルフの言い方は鼻につくが、それでも彼女の言っていることは正しい。
濁流のように流れていく目前の人々の姿を見ると、こちらにまでその熱気が流れてくるようだ。
「この道は……お城まで?」
少女……“ヤマネコ”が周囲を見渡しながらそう呟いた。
「そうだ。この“東方交易路”はヴァイオレット城から伸びる交易路の中で最も栄えている路。ここを上っていく者はみな城を目指していく。最終的には、だが」
やけに含みのある言い方だな。まるでその前に立ち寄る場所があるとでも言いたげな口ぶりに聞こえるが。
「あぁ。その通り。そして私たちも──ひとまずはそこへ向かう」
「……どこへ?」
思わずエルフの言葉に聞き返す俺。すると……金髪の古風な女性は、目的地を指で指し示してみせた。
「宿場町──メルクリウスだ」
──メルクリウス。エルフが指し示したのは、俺とヤマネコが“城”だと思っていた場所で──。
その更に奥、山陰から覗く──巨大な“城壁”に俺が気づいたのは、もう少し後になってからのことだった。
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街道。石畳で作られた道を……喧騒をかき分けながら進んでいく。
周囲から聞こえる音は、笑い声のような愉快なものから使用人を怒鳴る不穏なものまで多種多様。
しかし──いずれにせよ、だ。そんな喧騒の中ですら、俺達の存在は目立っているようだった。
「……はぁ」
すれ違う人々はみな例外なく、こちらを一瞥して何かぶつぶつと話しているようで……流石に気分が悪い。
それもそのはず。周囲の人間達がファンタジー調のゲームに出てきそうなほど“いかにも”な装いをしているのに対して、だ。
俺は学生服の上に一枚フード付きの上着を羽織っているだけだし、ヤマネコに至っては裏から下までスーツときた。
ミーシャの後ろに隠れるようにして、少し俯きながら進んでいるものの……もはやその程度のことでは隠しきれないぐらいの注目を浴びているのが現状だ。
「……な、なぁ」
「……私としては、人混みに紛れられれば問題ないと思っていたが……これは流石にだな」
ミーシャは俺の言葉に続くようにして、歩くスピードを少し早めた。早足になりながらも、俺とヤマネコの“異邦人コンビ”は何とかそれに付いていくが……。
怪しい格好をした人間が、早足でコソコソと動き回り、おまけに顔を隠している。
周りの反応は抑えられるどころか、さっきよりもむしろ酷くなっている気さえしてきた。あぁ、胃がキリキリと痛む。
「……すまない。メルクリウスまで耐えてくれ。それまでの辛抱だ」
「……あぁ」
俺は心を無にしてただ前へと進む。誰に何を言われているかを考えずに、意識を目下の石畳へと向けながら、ただ脚を動かす。
「もうすぐだ」
前を歩くミーシャの声。恐る恐る顔を上げてみると……いつの間にか“メルクリウス”の姿が目前にまで迫ってきていた。
エルフが足を速めたことが功を奏したのかは分からないが……いずれにせよようやくだ。
──だが。大抵、こういう何事も無く終われば良い……なんて思っているときほど……“起こって欲しくないこと”が起きるという相場がある。
神様はどうやら、俺の運命に“例外”を設定するのを忘れていたらしい。その証拠に──。
「……」
ミーシャが手で俺達を制した。すぐ後ろでヤマネコが立ち止まる音がする。
何が起こったのか──そんなことを問うまでもなく、自分たちがどんな状況下に置かれたのかは……一目瞭然だった。
エルフの前に立ちはだかる……屈強な男達。背丈は……かなり高そうだ。おまけに、物騒な斧やらナタやらを手にしている。
すれ違う他の人々とは異なり、彼らの視線は明確にこちらに向けられており……何らかの意思を持って立ち塞がっていることは火を見るより明らかだった。
「……何か用か?」
「おいおい──嬢ちゃん、ずいぶん冷てぇ態度だなぁ、オイ。まぁ……“用”があるってのを分かってんなら話は早ぇ」
山賊風の出で立ち……いや、まさに“賊”っぽいその大男は……醜悪な表情をしながらこちらへ近寄ってくる。
「あんた、エルフだろ? 森の中に引きこもってるヤツらが居ると思ってきてみりゃあ……」
その“賊”は……俺とヤマネコの方を指で示す。
「ずいぶんと怪しそうなヤツらを連れてんじゃねぇか? なぁ──エルフさんよぉ」
明らかに、周囲に険悪な空気が広がっている。先ほどまで噂話をしていた道行く人々も、厄介事に巻き込まれるのを避けるように、そそくさと道の端を歩いている。
「奴らは私の客人でな。もてなしの為にメルクリウスまで足を運んでいたところだ」
「ほうほう、もてなしねぇ?」
「あぁ。ゆえに──」
──瞬間。目にもとまらない速さで……ミーシャは背中の弓を構えた。もちろん……その矢が向けられているのは……大男だ。
「この街道の真ん中で──貴様ら“賊”の相手をしている暇は無いのだがな」
「……なるほど、弓の術はたいしたもんだ。だがなぁ──!」
山賊の男が叫ぶ。すると──街道の列を割りながら……複数の男達が現れた。
その装いを見るに、この“大男”の仲間だろう、物騒な得物を持っているところまで同じとはね。全てが嫌になってきそうだ。
「ふん、数に頼る、というわけか。いかにも追い剥ぎらしい思考だ」
“状況”が変わっても……ミーシャは冷静に話し続けている。この状況で落ち着ける精神力を少しだけ分けていただきたい。
俺は内心心臓バクバク。手の震えも止まらない。少なくとも──目の間に“危機”が広がっているのは分かる。しかも……。
「……う」
ギラリ、と陽の光が山賊達の斧に反射している。死だ。明確に、形を伴った死が目の前に存在している。
「エルフさんよ、そっちが引くってんなら、こっちも矛を収めてやってもいい。もちろん、それなりのモンは頂くが」
「そうか。残念だが……こちらが差し出せるのは──この“矢”だけだ」
じりじり、と賊の男達が詰め寄ってくる。まずい。まずいぞこれは。
おい、ヤマネコ。“機関”か誰かの助けは呼べないのか。
「いいえ……その“必要”は無いと思います」
あぁ、そうですか。何を根拠にそう判断したのかは知らないが、もう打つ手無しってわけだ。最悪だ。遺書の一つでも書くべきだったか。
「先に武器を出させたのは貴様らだ。後悔するなよ、賊の男」
淡々とした口調で続けるミーシャ。その様子に……思わずリーダー格であろう大男もたじろぐ。
「……はったりだ。たかが弓ひとつで、俺達全員を相手できるわけがねぇ」
「そう思うなら試してみるか? 一秒後に命を落とすのはどちらか……」
背筋が震える。追い剥ぎの言葉にではない。ミーシャの言葉にだ。
冷静……というより冷淡すぎる。この身震いするほどの声色も……全て彼女の作戦の内なのだろうか……と。
「その前に……貴様ら、いつからこの道に住み着いた?」
「……あぁ? んなこと聞いてどうすんだ」
「いや、なに──おかしいとは思わなかったのか……と考えたのだが」
「……てめぇ、何を──」
賊の大男がそれに続く言葉を発しようとした瞬間──彼らの頭の上に“布”が覆い被さった。
人。人が居る。暴れる賊達を……その人々が押さえつけた。
「……なるほど確かに、この道には衛兵も居ないうえ、傭兵の類いも見当たらない。これでは全く、追い剥ぎにとっては天国のような場所に見えただろう」
ミーシャは……捕縛された“大男”へ近づきながら続ける。
「しかし、だ。それでもこの街道を多くの商人達が使い続けるのはなぜか……それを疑問に思わなかったか……それが先ほどの問いだ」
男は一言も発さず、地に伏せたまま。ただ、商人達が歩いて行く足音の中……街道の中心に出来た空間でミーシャは言葉を紡ぐ。
「メルクリウスは……賊の被害に遭った商人に金を払い、協力の上でその撲滅に力を入れている。その治安維持の見返りとして……ヴァイオレット領内での部分的な治外法権を認められる……というわけだ」
街道で被害に遭ってもなお、メルクリウスとやらが資金を出して協力を扇ぐ理由は一つしか無い……のではないだろうか。
「……悪党の調査、か?」
「──そうだ。賊の拠点を突き止め、全ての洗い出しが終わった時点で彼奴らを撲滅する。全く、恐ろしいやり方よ」
エルフは、その場にしゃがみこんで……賊に語りかける。
「……もう、貴様らの拠点は潰されているだろう。こうして捕まった以上、罪を償って生きてみろ……悪ガキ共」
そこまで言い終わると、ミーシャは手で払い除けるようなジェスチャーをしてみせる。それを見た“人々”が……いっせいに追い剥ぎ達を連れて街道の外れへと歩いて行く。
彼らは……おそらく、メルクリウスという街の傭兵のような存在なのだろう。そして……ミーシャは彼らとのつながりを持っていた……ということだろうか?
「……ダメだな。年を取ると話が長くなる」
「……お、おい」
俺は……先ほどまでのミーシャの様子を頭に浮かべつつ、恐る恐る彼女に話しかけた。
「……大丈夫か?」
「……誰を心配している? この程度、日常茶飯事にすぎないことだ」
「そ、それはそれでどうなんでしょうか……」
……事態が終わり、街道の雰囲気も徐々に戻っていく。
……ヤマネコ。彼女はなぜ……“手出し”の必要性がないとまで断じたのだろう。“機関”があらかじめミーシャの力量を知っていれば筋は通るが……。
「いやはや──日常茶飯事では困るなァ、ミーシャちゃん!」
突如聞こえてきたデカい声。耳が痛くなるほどのその声色を聞いて……俺は思わず跳び上がりそうになった。
ふと、声をした方を見ると……打って変わって、親しみやすそうな雰囲気の……男性がそこに居た。
……体の大きさだけ見ればさっきのヤツらっぽいが。
「……レオン。もっと早く顔を出せば良いものを」
「いやいや、メルクリウスのやり方ってもんがあるのさ。だが、協力には感謝だ。そこのお二人さんも」
「! ……え、えぇ」
どぎまぎしつつも答える俺とヤマネコ。レオンと呼ばれた大男は……やけにボリューミーなひげが目立つ。さながら、北欧からやってくる空飛ぶ老人のような姿。
「レオン、“ダンデライオン”に一泊。客は私たち三人。部屋は──」
「あぁ、分かってる。いかにも何かありげなお二人さんだ。部屋は──“特等席”をいかがかな? ミーシャさま」
「……話が早くて助かる。また後で」
レオン、という名の大男が去って行く。何だ。俺は説明を求めているぞ。そうだよな、ヤマネコ?
「え? あ、はい。そうですね。うん」
……なるほどね。もう帰りたくなってきた。
「……行くぞ、お前達」
「……その……レオン、って人の所にか?」
「あぁ」
ミーシャは……“メルクリウス”の方へと振り向いて……続けた。
「あの男はメルクリウスの……“盟主”だ。まぁ、安心できる相手であることは保障する。さぁ、日が落ちる前に」
俺とヤマネコは……ミーシャに急かされるようにして街道を進む。
日は傾き、周囲をオレンジ色の光が照らし出している。こちらに連れてこられてからというもの……トラブルの連続だ。
俺は……この世界にも太陽があるんだな、なんてことを想像しながら、長い長い石畳の上をひたすらに走り続けていった。