3.非日常の出入り口
リビングがしん、と静まりかえっている。この家で一人暮らしをしている俺にとって静寂は日常茶飯事だが……今回の“それ”は少しわけが違った。
「──い、以上が説明です。何か質問などありますか……?」
例の黒服男──ウルフと呼ばれたその男性がこの場を後にしてからというもの、俺はその後釜の“少女”にブリーフィングとやらを受けていた。
“質問”だって? 聞きたいことが山ほどありすぎて絞れないぐらいだね。
まず何だって俺までダンジョンの中に入らなければならないのだろうか。
「……」
俺は無言のまま、隣に座る“唯一の味方”の方に目をやる。しかし、だ。
その金色の髪を持つ異世界の住人の態度は……俺の助け船を期待するアイコンタクトをいとも簡単にはねのけてみせた。
彼女の表情は先ほどまでの不快感を露わにしたしかめっ面から普通のものへと変わっている。
「……私の一存で決められることではない……が。古い友人に頼むぐらいはしてやろう」
「あ、ありがとうございます。……えーと?」
「……ミーシャ。エルフのミーシャだ。……“条件”を違えるなよ、人間」
ミーシャ。そう名乗った女性は“機関”の少女を一瞥すると席から立ち上がった。
すらりとした長身に、腰まであろう長い金色の髪。……エルフ、ね。
確かにその容姿は、古今東西にあるファンタジーに登場するエルフのような姿だ。耳もとがってるし。
エルフは、壁に立てかけられていた弓と屋筒を手に取り、おもむろにそれらの装備を身につけ出す。 そんなミーシャの姿をぼうっと眺めていた俺の耳が……外からの音をキャッチした。
「……あなたは大丈夫ですか……? 九重詩朗さん」
「……詩朗でいい。……少なくとも大丈夫じゃないな。今の自分の境遇を呪いたくなるほどに」
──ダンジョン。金銀財宝が眠ると言われる理想郷だが、同時に行方不明者を生み出す魔境でもある。俺ですら、ダンジョンから帰ってこない行方不明者のニュースは目にするほどだ。
しかし、だ。この“機関”から来たという少女は、一般人である俺にそのような危険に満ちた場所へ行けという。
その理由も──。
「異文化交流役、ときたもんだ」
俺は思わずため息をつく。少女の口から説明された言葉は全く納得のいかないものだったからだ。そもそも……何だよ交流役て。
「わたし達“機関”の目的は……あくまでもダンジョン内部の世界を調査することです。その中にはもちろん……現地の生命体との交流も含まれています」
「だから、“交流”の目的として俺にも参加しろと? ……いや、その言い草はまるで──」
まるで、交流できる生命体の存在をあらかじめ知っているかのようだ──と続けようとしたが、その言葉はエルフ……ミーシャに遮られる。
「話は終わりだ。行くぞ」
「……ずいぶん乗り気なもんだな」
先ほどまでの不機嫌な態度はどこ吹く風やら。ミーシャは既に様々な装備を身につけているようで……その姿はまさしく、ゲームやらアニメやらで見るような“キャラクター”そのものだった。
「既に私は──お前もそうだが──この奇妙な縁に捕捉されているらしい。おまけに、“機関”とやらはこの関係を壊したくないようだからな」
「……」
俺は思わず押し黙ってしまった。言い返したい気持ちはもちろんある。しかし……既に、自分一人の言葉で変わるほど、状況が芳しくないことはうすうす気づいていた。
ダンジョンから現れた“人間”。向こう側の世界。“機関”という組織。
突如現れた“非日常”の存在達は、既に俺の世界が変わりつつあることを示している。
「……選択肢がないなら、いっそ受け入れた方が楽ってわけか」
俺は──“機関”の少女の方を見て、言葉を紡ぐ。
「……それで、いつ出発なんだ?」
「え、えーとですね」
エルフの視線と俺の視線が合わさり、“少女”に注目が集まる。当の本人は……ばつの悪そうな顔で言い切ってみせた。
「い、今から、です」
・
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──ダンジョン。その薄暗い入り口に佇む階段を三つの足音が下っていく。
「……あんたは、なんて呼べば良いんだ?」
「わ、わたしですか?」
「……いつまでも“機関の人”とかじゃ不便だろうし」
暗がりの中、先頭を歩くエルフ。ミーシャの持つ松明のおかげで、ひとまずダンジョン内を無事に進めてはいる。
最後尾を歩く“少女”とミーシャの間に挟まっている俺は、言うなれば手持ち無沙汰。
「そ、そうですね……。コードネームはヤマネコって呼ばれてます」
「……コードネーム?」
と、そんなことを話している俺と“ヤマネコ”の会話にミーシャも入ってきた。
「あの“うるふ”とやらと同じ原理か」
「は、はい。機関ではみんな、本名とは別の名前を持っているんです」
先ほどまでは俺達の足音が響いていただけの空間が、ほんの少しだけ賑やかになる。笑いが起きるわけではないが、会話があるだけでも大違いだな。
「“ヤマネコ”。ひとつだけ聞かせろ」
「……なんでしょう? ミーシャさん」
「……貴様……小童なのか?」
小童。子供じゃ無くて小童か。古風なのは見た目だけじゃ無くて言い回しもってか。いや、そんなことはどうでもよくて。
「……気になります?」
「ふん、さして気になることでもないが、詩朗とやらが知りたくてしょうがないという表情をしているのは確かだな」
おい、こっちにパスを回すな。いや、気になっているのは事実だが。というか前を向いて歩いているのに何で分かったんだ? どうやらエルフの第六感は人間のそれより優れているらしい。
「そうですね……」
少女……“ヤマネコ”は、俺に近づいてきたかと思うと、こっちの顔をじろじろと見ながら悩み始めた。
「……な、何だよ」
「うーん、少なくともですが──《ここのえ》さんよりは年上ですね」
「……え?」
おいおい、嘘だろ? 見た目は小学生とか中学生の背丈しかないようにしか見えないんだが。
それとも何か? 機関とやらは身長を縮める変態技術でも持ってんのかね。
「それは……秘密です──」
俺はそこまで話して、あることに気づいた。ふと周囲を見ると、ダンジョンに入ったときよりも心なしか明るくなっているような気がする。
「──そろそろ出口だ、人間達」
エルフ──ミーシャの後に続く俺とヤマネコ。みるみる内に明るさは増していき……涼しげな風が体を撫でていく。確かに、出口に近づいているようだ。
「ふ、遺跡を出た貴様らが腰を抜かさなければ良いのだが」
「……何の話だよ……って──」
眩しい光が視界を覆う。ようやくダンジョンから脱した俺達を迎えたのは──。
「……おいおい」
「わぁ……」
光のベールが剥がれ、“世界”の姿が露わになっていく。
どこまでも広がる、青色の空。はしなく続く、緑色の大地。そして極めつけは。
「あれは……城、なのか?」
遠くに見える巨大な城。それこそ山一つ分はありそうな広さと、空に届きそうなほど荘厳な城が佇んでいた。
その“城”から伸びる無数の街道と、その先に繋がる発展した街々。
俺は……そんな光景を目にして、思わず声を失った。息をすることさえ忘れて、その様子を網膜に焼き付ける。
“ありえないはずなのに、ありえる世界”が──ダンジョンの向こう側に広がっていたのだ。
「ようこそ、人間──いや客人。女王ヴィオレッタが治める──ヴァイオレット王国へ」