2.日常の壊れる音
「九重……詩朗。違いないですかね?」
ダンジョンから出てきた俺──と若干一名の前に……やたら物騒な格好をしたスーツ姿の男が現れた。
つま先から頭の上まで黒い衣装に身を纏った男性らしきその姿は、見ているだけでこちらに威圧感を与えてくる。
「……どちらさまで?」
俺は……自分の置かれている状況がエマージェンシーな状態であることをどこかで自覚しつつも、“黒服”にそう問いかけた。
最悪だ──全く。だが人間は、あまりに常識からかけ離れている状況に置かれると、むしろその異常性を認識しなくなるようで。
その証拠というわけでもないが……俺は自分が死ぬとは思っていない。いや、思わないようにしているのかもしれない──と。
そんな浅はかな考えを見透かしているのか否か……“黒服”は俺達に近寄りながら、変わらぬ声色で話を続けた。
「先に質問したのはこちらなんですがね」
真っ黒づくめの男は、懐から帽子を取り出して深く被る。怪しい不審者から不審な紳士にランクアップだ。いやはや、めでたいね、どうも。
「我々は……まぁ、ダンジョンを管理する組織……とでも言っておきましょうか」
──何? “管理”だって? それほど長く生きているわけではないが……そんな仕組みがあるとは聞いたこともないぞ。
「えぇ、そうでしょうね。我々は社会から秘匿されている存在ですからねぇ。おいそれと人前に姿を現すことも無いんですが……」
……と。そこまで聞いて……ようやく気づく。もしも。この男が言っていることが真実であるとするならば。
……この話を聞いている俺は……どうなるんだ?
「──おっと失礼。ついつい興が乗ってしまいましたよ。ですがまぁ、安心なさるといい」
その一瞬。時間にすれば数秒の間。ほんのわずかなまばたきの間に──。
「──え」
……俺達の周囲が黒服達に取り囲まれた。体を動かすことさえままならない、“黒い壁”。
“威圧感”が周囲を埋め尽くす。そんなはずはないのに、息をするのが苦しい。
「我々──“機関”は人道をモットーとしてますから。……もちろん、そちらのお嬢さんも、ね」
見ると、ダンジョンで出会った彼女は……あからさまに不愉快な表情をしていた。
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「ダンジョン。それについて、貴方はどこまでご存じで?」
「……人並み程度、だと思う」
自分の家の食卓で、さっきまで自分に武器を向けていた人物と、机を挟んで話している。なんだこの状況。さっきもさっきだが、今も今だな。
俺と……金髪の彼女はとくに危害を加えられることもなく……簡単な身体検査の後に……なぜかここへ連れてこられたのだ。
どうせなら、このまま自分の寝室まで直行したい……なんてことを考えていると、隣の席から声がした。
「……遺跡の中に別の世界か。さて……貴様からは納得のいく説明をお聞かせ願いたいものだな……人間よ」
勘弁してくれよ、と思いたくなるほどピリピリとした空気を放つ“彼女”。ダンジョン内で出会った際とは異なり……怪しげな“黒服の紳士”に対して明確な敵意を向けている。
「えぇ。もちろん。我々としても──あなたのような存在と敵対するのは避けたいのでね」
「……ふん」
よほど気にくわない答えが帰ってきたのか、金髪の彼女はそっぽを向いてしまった。彼女の……少しとがった耳が露わになる。
何と言えばいいのか……まるで動物のような耳の形だ。見れば見るほど……不思議な気分になってくる。
「……」
ここで、俺はようやく彼女から放たれている“こっちを見るな”オーラを感じ取った。申し訳ないが、第六感が鈍いもんでね。
そうこう考えつつも、意識を“黒服”の話に戻しながら……男の説明に耳を傾ける。
「まず……“機関”の調査で、ダンジョンの中に“別の世界”とでも呼ぶべきものが広がっていることを最近突き止めましてね」
「こちらからすれば、貴様らの世界こそ“別の世界”に他ならないがな」
「いかにも。ですが、それを証明できる証拠が今まで存在せずでして。なにせ……」
“男”は、帽子の影から鋭い目線を“彼女”に向けた。小動物なら死んでしまいそうな視線だが……あいにく、ダンジョンから出てきた彼女は無反応だ。
「“向こう側の世界”の住人の方と話すのは初めてなんですよ。ゆえにこそ──こうして我々が姿を見せている、というわけです」
……先ほどの男の話では、“機関”という組織は相当に珍しいレアなもの。そんな彼らが現れるということは……“向こう側”の存在である彼女が、それほど重要な存在であることの証左……なのだろうか?
「かの“遺跡”はおいそれと人が立ち入る場所ではないからな。よほどの物好きでない限り」
「……あなたも、そうだと?」
「……」
彼女は一言も発さなかった。やけに重苦しい雰囲気が流れるなか……気まずい沈黙を破ったのは……“外部”からの来訪者で──。
「──“ウルフ”室長。そろそろ……」
軽いノック音と共に、いやに小柄な人影が食卓のあるリビングへと入ってきた。背丈だけ見れば子供……いや、中学生ぐらいだろうか。
しかし格好だけは“男”と同じく黒いスーツを着ているので……こちらの味方というわけでもなさそうだ。
「……おや、もうこんな時間ですか」
「……ようやく帰れるのか?」
「おや、ここは貴方の家でしょう? 他に帰る場所があるので?」
……揚げ足を取られたようで、もっともな意見をぶつけられる俺。“でもでもだって”と反論しようとする俺を気にすることもなく、ウルフと呼ばれた男は出入り口のドアへと向かう。
「後は彼女から聞いて下さい。どうか──我々の利害が一致していることを祈っておきましょう」
「……拒否権はあるのか?」
「それは全て、あなた次第ですよ──九重詩朗」
……こいつ、最後までのらりくらりと質問を交わし続けやがって。いつか一矢報いてやるからな。 無い頭でそんなことを考える俺に、“ウルフ”は一言を残して去る。
「──ダンジョン調査、お気を付けて」
……俺の耳がおかしくなったのだろうか。いや……確かに俺の聴覚はウルフの言葉を脳に伝達した。であればなおさらくそったれだ。
現実はかくも過酷なり。降りかかる火の粉を払い落とすどころか飲み込んでいるまである。
「……最悪だ」
あぁ、そうだ。現実は過酷だ。リアルは、俺にニヒルな気持ちに浸る時間すら与えず──。
「じゃ、じゃあ始めますね。ダンジョン調査の……“ブリーフィング”」
俺は、小柄な“黒服”の言葉にもはや反論する気も起きずに……ただその現実離れした言葉を脳内で反響させていた。