第八話 ミチルの最終手段
夕暮れ時、私は学校の帰り道を歩いていた。
遠くから蝉の鳴き声が聞こえ、夏の終わりを感じさせる空気が漂う中、背後から聞き覚えのある声が響く。
「六花、ちょっと話せる?」
振り返ると、そこには安原ミチルが立っていた。
彼はいつものように軽い笑顔を浮かべているが、その目には何か覚悟を秘めた光が宿っていた。
「ミチル……どうしたの、急に。」
「どうしてって……最後にちゃんと話したいから。」
その言葉に、私は眉をひそめる。
彼が「最後」という言葉を使ったことに、強い違和感を覚えた。
「分かった。ここで話すのもあれだし、近くの公園でいい?」
「……ああ、それでいい。」
◆◇◆◇
夕暮れの公園は人影もまばらで、静かだった。
私たちはベンチに腰を下ろし、しばらく沈黙が続く。
ミチルが話し出すのを待ちながら、私はぼんやりと空を見上げた。
「なあ、六花。」
ミチルが口を開く。
「今でも俺のこと、少しは覚えてる?」
「覚えてるも何も、幼馴染でしょう? 忘れるわけないじゃない。」
「……そうだよな。」
ミチルは小さく笑った。しかし、その笑顔はどこか寂しげだった。
「でもな、最近のお前を見てるとさ。俺のことなんて、もうどうでもいいんじゃねえかって思うんだよ。」
その言葉に、私は少しだけ戸惑った。
「そんなことないよ。ただ……今はそれぞれ別の道を歩いてるだけ。」
「別の道なんて嫌だ!」
ミチルは急に声を荒げた。
驚いて彼の顔を見ると、そこには涙が浮かんでいた。
◆◇◆◇
「俺は、ずっと六花が好きだったんだ。中学の頃も、高校に入ってからも……いつも六花だけを見てた。でも、お前は俺を避けてばかりで……」
「ミチル、それは……」
「なあ、俺、何か悪いことした? どうして俺じゃダメなんだよ?」
その問いに、私は言葉を失う。
彼の気持ちを無下にすることはできなかった。
でも、だからといって、安易に応えることもできない。
「ミチル……私は……」
「もういい。言わなくていい。」
ミチルは涙を拭い、深呼吸をした。
そして、ポケットから一通の手紙を取り出し、私に手渡した。
「これ、俺がずっと書いてた手紙。お前に言えなかった気持ち、全部書いてある。」
私はそれを受け取り、しばらくじっと見つめた。
◆◇◆◇
「六花、これが最後だから。」
ミチルはそう言うと、ポケットから小さなペンダントを取り出した。
それは二人が中学時代にお揃いで買ったものだった。
「これ……まだ持ってたの?」
「当たり前だろ。これがあるから、俺は六花のことを思い続けられたんだ。」
ミチルはペンダントを見つめながら続ける。
「なあ、六花。このペンダントを捨てるくらいなら、俺……」
「ミチル、やめて!」
彼の言葉に含まれる危険な気配を感じ、私は思わず声を荒げた。
ミチルは驚いたように私を見つめたが、やがて悲しげに笑った。
「……ごめんな。脅かすつもりじゃなかった。ただ、それくらい俺は六花が大切だったんだ。」
◆◇◆◇
「ミチル、分かってほしい。」
私は深呼吸をし、彼の目をまっすぐに見つめる。
「私は、ミチルのことを大切に思ってる。でも、それは恋愛感情じゃない。幼馴染として、これからも友達として大切にしたいんだ。」
「友達……?」
ミチルは呆然とした表情で呟く。
「うん。私にとってミチルは、昔から頼れる存在だった。でも、それを恋愛の形にするのは違うと思う。」
私の言葉に、ミチルはしばらく沈黙していたが、やがて小さく頷いた。
「……そっか。六花の気持ちは分かったよ。でも……すぐには受け入れられないかもしれない。」
「それでいいよ。焦らなくていい。私もミチルの気持ちを完全に理解できているわけじゃないから。」
◆◇◆◇
ミチルは最後に微笑みながら言った。
「……ありがとう、六花。俺、少しずつ前に進むよ。」
「うん。それでいいんだ。私も応援してる。」
ミチルは立ち上がり、夕暮れの中をゆっくりと去っていった。
その背中を見送りながら、私は胸の奥にあった重たいものが少しだけ軽くなった気がした。
「これで良かったんだよね……」
呟きながら、私は手紙をポケットにしまい、静かに家へと帰る道を歩き始めた。
◆◇◆◇
部屋に戻り、私はそっと手紙を開いた。
そこには、幼馴染として過ごした日々の思い出や、彼が私に抱いていた想いが綴られていた。
「俺は六花が大好きだった。でも、それがどんな形であれ、六花が幸せでいてくれるなら、それでいい。」
私は静かに微笑んだ。
私たちは、少しずつ前に進んでいく。
それぞれの道を歩みながらも、どこかでまた交差することがあるのだろう。
そして、私はもう一度だけ、空を見上げた。
夏の終わりの風が、優しく私の頬を撫でていった。