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二章 十七歳、春  青空との出会い5

少し長めです

 楓子と巽君の様子がどこかおかしかったので、少し身構えていたが、放課後までなにも起こらなかった。

 私は少し気を抜いて、いつも通りに一度帰宅した後、塾に行こうとしていた。

 下駄箱で靴を履き替えて帰ろうとしていた私の手を誰かがつかんだ。

「……何?」

 驚いて私が振り向くと、そこはいたずらっぽい顔をした峯岸君がいた。

「ねえ、夏沢さん。ちょっとついてきて」

 言うが早いか、彼は私を強引に引っ張っていった。最近峯岸君の強引さに少し慣れてきていたので、すぐに抵抗したがなぜか体に力が入らなくて振り切れなかった。

「峯岸君、ねえ、どこに連れて行くの?」

「いいから、いいから」

「それ返事になってないよ」

  なだめるように「いいから」と繰り返す彼に苛立って、私は声を荒げた。

「いや、今から私塾なんだって!!遅刻する!!」

「大丈夫大丈夫。間に合うよ……たぶん」

 適当なことを言ってかわす彼にさらにイライラしながらも、躰に力がはいらないためろくに抵抗できずに、手を取られて連れていかれた先は、長い上り坂の上にある古びた神社だった。

 住宅街を少し上ってきただけなのに、その神社の空気はどこかひんやりと冷たく澄んでいて、蒸し暑くなってきた今の時期にはちょうど良かった。

 彼はそのまま手を引いて鳥居をくぐっていく。

 本殿の前を通り過ぎて、少し歩いた先に開けたスペースがあった。そのスペースには、ぽつんぽつんとベンチが間隔をあけて、二、三脚置いてあった。

「ほら、ここに座って」

 峯岸君は、私をそのベンチの一つに座らせて、人ひとり分の距離を開けて自身も隣に座った。

「ほら、座ったよ。もういいでしょ?」

 座ったほうが話が早いと思って、一度座り、早々に立ち上がろうとする私の肩を押しとめて、彼はまた「いいから、いいから」と繰り返した。

「何がいいからなのかわからなーー」

「十分だけ頂戴?そうしたら解放するから」

「……十分だけ、だよ」

 食い気味に言葉をかぶせてくる彼の圧に負けて、本当に十分で済むならと、私は渋々了承した。

「ほら、前を向いて、目を閉じて」

「……うん」

「息をいっぱい吸い込んで、そうそう、ほらもう一回」

「うん」

「ーーそのまま上を見て、うんいいよ。目を開けてみて」

 少し離れたところから、優しい声でゆっくりささやかれる彼の声に合わせて、何の意味があるんだと思いながらも深く息を吸い込み、吐く。

 ーーひんやりとした大気が体いっぱいに満ちて心地よい。体の芯まで透き通るようだ。

数度、彼の声に合わせて深呼吸をして、上を見上げて目を開けた。

「あっ……」

 青、青、青。透き通るような、真っ青な青空。

 もう日がだいぶ傾いているため眩しくはない、けれども、どこまでも透明感のある透くような青空だった。

 視界に広がる青空が、まるで迫ってくるような感覚に陥った。

「きれい……」

 語彙をなくして見入っていると横から得意げな声が聞こえた。

「そうでしょ?」

 横に視線を向けると、峯岸君がしてやったりと笑っていた。

「うわーっ」

 その子憎たらしい表情が似合っていて苦笑がこぼれる。

「むかつく」

「えっと、なんで?」

 本気で驚いて慌てている彼を見て、少し溜飲を下げ、また空を見つめる。

「似てるなー」

「???何が?」

「ううん、なんでもない」

 横から不思議そうな彼の声がするが、私はそのままぼんやりと空を眺め続けた。

 以前は彼のことを、焼き尽くすような眩しい青空だと思っていた。だけど、今は同じ青空でもこの見上げている澄んだ優しい青空かな、思うのだった。

 しばらく二人とも無言で青空を見上げていたら、隣からごそごそとカバンをあさる無粋な音が聞こえてきた。気になってそちらを見やると、峯岸君はカバンから紙袋を二つ取り出し、一つを私に渡してきた。

「はい、夏沢さんの分」

「?なにこれ」

 かわいらしい動物柄の紙袋に入ったそれを覗き込んでみると、中には色とりどりのドーナッツが入っていた。

「へっ?」

 思わず素っ頓狂な声を上げて彼の方を勢いよく振り向くと、彼は、楓子と巽君からだと言った。

 徐々に状況が把握できてきて、頬が赤く染まってくる。

「……うーー、あ゙ーー」

 赤くなって悶える私を見て、峯岸君は優しく笑った。

 少し落ち着いた後、私は恐る恐る問いかけた。

「ーーそんなに、みんなに心配かけてた?」

「うん!!」

 力強い断言に、うっ、と言葉を詰まらす。情けなくて、思わずため息がこぼれた。

「俺達にはさ、何があったかは分からないけど、夏沢さん気が付いてないかもなんだけど、この一か月ですごく窶れたし、変にぼんやりしてる事が増えたからね。変だなってみんな思ってた。あと、稜人がこっそり弁当捨ててるとこ見ちゃってね、それで-ー」

「ーーああ、それは心配かけるかも」

「うん、お弁当最近ほとんど食べてなかったでしょ?一日とかだったらあるかもだけど、毎日は流石に心配でさ。花咲さんと稜人がこれ食べさせてってさ……」

「そっか……二人が……そっか」

「それで、この紙袋俺に押し付けて、『夏沢さんのこと元気にしてきて!!』って、無茶ぶりだよね。このもう一つの紙袋の中身はその報酬だってさ、そんなのなくても俺も心配してるんだから頑張るんだけど……まあ、もらえるんならもらっとくけど」

 そう言って、少し不貞腐れているような彼を見て、そんな場合じゃないのに少し笑えてしまった。

「ふっ、ふふふっ。それはご迷惑を……ふふふっ」

「なんで笑うのさぁっ。……元気が出たなら、まあいいけど。てか、迷惑くらいかけてよ、月並みだけどさ、友達なんだから」

「……うん」

 照れくさくて、顔を見られないように俯いて、下を見たまま頷いた。そのままガサゴソと紙袋の中をあさる。

 少し迷ったが、何個か入っている中から、シンプルに近い風貌のドーナツを取り出した。

「どうぞ、夏沢さん」

 いつの間にか、峯岸君はお茶を二本手に持っていて、一本を手渡してくる。それを受け取ると、彼は自分の手に持っていたドーナツにかじりついた。

 その様子を見て、私も深呼吸をして、ゆっくりとドーナツにかじりつく。

 じゅわっとドーナツの素朴な風味と、生地にしみ込んだ蜂蜜の味が口の中を満たした。

「おいしい……」

 久方ぶりに感じた味。砂を食む感触じゃない、舌がしびれるような【味】という感覚と感動がじわじわと全身に広がっていった。

 ぽろぽろと涙がこぼれてきて、私は見られたくなくて、ぐしぐしと袖で目をこすった。

 紙袋に入っていた四つのドーナツをゆっくり食べて、食べ終わった頃には本格的に日が傾いてきていた。

 無くなってしまったドーナツの空袋に視線を落としていたら、隣の彼が急にはしゃいだ声を上げた。

「夏沢さん、ほら見て、前、ほら!!」

 名残惜しいドーナツの袋から目を離して、前を向くと、先ほどまでは徐々に薄暗くなっていくだけだった空には紅い海原が広がっていた。合間に差し込む夕日の黄金が海原を彩っている。

「うわあぁ!!」

 本日二度目の間の抜けた声が漏れた。立ち上がって、一歩、二歩と進む。

 眼下には住宅街が広がり、地平線で太陽を境に空と交わる様はどこか砂漠の蜃気楼にも似た儚さがあった。

「今日は空がきれいだったから、見られると思ったんだけど、良かった。これを見せたくて、ここに連れてきたんだよね」

 と、いうことは最初から十分で帰らせる気がなかったんじゃないか。と思ったが、さすがに野暮なので口には出さなかった。それに、この景色を見てしまったら怒る気にはならない。

「ーー夕焼けなんてべたすぎじゃん? ……綺麗だけど」

 なんとなく悔しくって、憎まれ口が口からこぼれた。連れまわされたことに対する意趣返しも含めていたのだが、彼は方眉をあげただけで気にもせずにこの景色に見入っていた。

私もそれ以上何かを言う気にならなくて、同じように目の前の景色に没頭した。


 日が落ちきるまで景色に見入っていたので、すっかり遅くなってしまった。

 峯岸君は紳士らしく、家の近くまで私を送ってくれた。

「また明日」

 そういって帰ろうとする彼の背中に、そっと言いそびれたお礼を告げる。

「ありがと、ね」

 ちょっとつっけんどんに言うと、私は返事を聞かずに家の中に駆け込んだ。そのまま家の階段を駆け上がって二階の自室の窓から先ほどの道路の方を覗くと、彼は立ち止まって家の方を振り向いており、暗くてよく見えなかったがその頬はどこか赤いような気がした。


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