二章 十七歳、春 青空との出会い2
次の日、学校にやってきた私に、峯岸君はは開口一番「大丈夫?」と聞いてきた。
意図がわからずに首を傾げる私に、彼は困った人を見るような顔をしながら言った。
「だって夏沢さん、ひどい顔してる。ほんと大丈夫?」
心底心配だ、というように問いかけてくる彼の声を受けて、乙女にいう言葉じゃないよねぇと茶化すことはできなかった。
私は大丈夫と心の中で何度も繰り返す。
「大丈夫だよ、峯岸君」
何とか口角を吊り上げて笑顔らしきものを作った私を見て、峯岸君はため息を吐いた。
「ふーーっ」
暫く私の顔をじっと見ていた彼は、音を立てておもむろに椅子から立ち上がり、ちょうどホームルームに来た先生に声をかけた。
「すみません、夏沢さんが具合が悪いみたいなので、保健室に連れて行ってもいいですか?」
おやっ? っと先生は確認するようにこちらを見てきたが、私の顔を見て少し目を見開いた。
「うん、連れて行ってあげて」
早く連れていけとばかりの視線を寄越す先生を確認した峯岸君は、私の手を取り半ば強引に保健室へと連れて行った。
途中の廊下の窓に映る自分の顔を見て、私はなぜこんなことになったのか理解した。
もうずいぶんと暖かい季節になってきているというのに、私の唇は真冬に凍えたかのように青く、顔は土気色をしていた。腫れぼったい瞳がひどい顔をますます台無しにしている。
ぶさいくだなぁ……。
どこか他人事みたいにそう思った。
保健の先生は、所要で席を外しているようで、部屋はがらんとしていた。
私の腕を引いてずかずかと上がり込んだ峯岸君は、きちんと私をベットに寝かせて「しっかり休んでね」と声をかけて踵を返した。
なんだか心細くて思わず、ぎゅっ、と制服の袖をつかんだ私に驚いたように彼は振り向いた。
自分の制服の袖からそっと私の手を外し彼のその両手で包み込んだ。困ったような顔で包み込んでくるその両手は思いのほか温かかった。
「温かい……ね」
ぼそっと呟くと、彼はさらに困ったような顔をした。
昨日振り払われたはずの手にぬくもりがしみ込んできた。
「本当は保健の先生が戻ってくるまでだけでも、一緒にいたいなと思ってるんだけど、ーー夏沢さん俺がいたら泣けないだろう?」
最後の部分だけ優しい口調から冗談のそれに変えて笑う彼に、私は自分の性格がばれていたことがわかって少し恥ずかしくなった。
顔を少し赤くした私に、峯岸君はくすっと笑いかけて両手を外した。
峯岸君は優しく布団をかけなおして「おやすみ」と言って保健室出ていった。
保健室の閉まる音が響いて、しばらくして私の頬を生ぬるい滴がとめどなく流れて行った。
「あははっ」
情けなくて笑ってみる。
じくじくと心が痛んで笑顔がうまく作れなくなった。
ああ、私はこんなに傷ついていたんだ、と自覚する。
ーー記憶の中の父は、いつも私のことを温かい眼差しで見つめていた。へにょっと落とした八の字の眉でそれでも優しく。
「っ、あ゙ーーーー!!」
昨日の父の眼差しがよみがえる。声にならない叫び声が喉奥からこぼれた。
肺にあるすべての空気を吐き出すように、叫んでも、叫んでも、じくじくと膿むように胸は痛み続け、私はしばらく叫び続けた。
やがて、吸い込んだ空気がのどに触れるだけで痛いと感じるようになるころ声は枯れてでなくなった。叫ぼうとしても、のどで止まってせき込むだけだ。
痛いのどを手で押さえて、泣きじゃくって乱れた呼吸を整える。
ベットを囲うカーテンの隙間からゆらゆらと温かな日の光が降り注いだ。
「あたたかいなぁ」
声の出ないまま、そうささやく。揺らめく光をつかもうと、頭上手を伸ばした。
光をつかめないその手を光の温かさが包み込んだ。その温かさは先ほどの彼の手のぬくもりに似ていて、ここは光の揺りかごのようだなとぼんやり思った。
よほど疲れていたのか、揺りかごの中で揺られているうちに私は眠りに落ちていた。
「今日学校から連絡があったわ、綾香、あなたどうしたの?」
「……別に。ちょっと体調が悪かっただけ」
しゃがれた声で短く答えた私に対して、母は嘆息した。
「そう。それなら、あまり外聞の悪いことをしないでね。あなたの内申点にもかかわるわ。……あなたの為を思って言っているのよ」
そういう母に、私は心の中で(自分の外聞を気にしているだけでしょ)と反論しながらも表向きは神妙な態度で頷く。
それを見て、一応は満足したのか母はまたキッチンに向きなおり、私も塾へ行く用意を始めた。
母が一度も私の心配をする言葉を言わなかったことは気が付かなかったことにしながら。