二章 十七歳、春 青空との出会い1
「おはよー!」
「おはよう……」
元気いっぱいの声、どこか眠たげな声、気だるさ交じりな声。様々な声が飛び交う新学期の朝、私は真っ青な空を見上げて目をひそめた。
雲一つない青空は、今の私には眩しすぎて、どこか忌々しくさえもあった。
今教室では今学期最初の授業が終わり、みんなが思い思いに知り合いに声をかけに行っているところだ。
そんな中、私は一人ぽつんと窓際に座っていた。
昨年度までは普通科コースを選択していた為進学科コースには知り合いがほとんどいなかった。
わずかにいる知り合いも別クラスか、昨年度にコース変更しており、この三年次にコース変更した人は片手で数えられるくらいだった為、急に話しかけに行くのも難しかった。
ぼんやりと窓の外を見ていたら、キラキラ属性の男の子が声をかけてきた。
隣の席の峯岸幸大だ。
「夏沢さん、だよね」
「……そうだけど、峯岸君急にどうしたの?」
怪訝そうに返事を返す私に、彼は満面の笑みを見せた。
「そうだよね、あってた、良かったー。俺も今年コース変更した口だからさ、あんまり知り合いがいなくってさ。隣の席が元同クラの夏沢さんで良かったよ」
ニカッと眩しい笑顔を向けられて、私は目を細めた。
確かに彼は元同じクラスだったが、ほとんど接点はなかったはずだ。せいぜいクラス行事の時にかかわったことがあるだけな気がする。
そもそも、クラスでも陽キャラ集団に所属していた彼のことだ、顔も広い。私に話しかけている暇があるならクラスの知り合いに話しかけに行ったほうが馴染むのは早いはずだ。
それなのに、やたら嬉しそうに話しかけてくる彼を見て思い出したのは、今朝見た真っ青な青空だった。
眩しくて、憎たらしいーー、そんな人。
彼と初めてちゃんと話してみた感想はそんなひねくれたものだった。
何が楽しいのか、峯岸君は頻繁に私に話しかけてきた。
今思えば、勘のいい彼のことだ、何か察していたのだろうが、その時の私にとっては「うっとおしい」の一言に尽きた。
ほんと、他の人のところに行って私に関わらないでくれと思いながらも根本的に人から嫌われるのが怖かった私は、盛大に猫を被って愛想よく彼とお話していた。
一月経た頃には私に猫かぶりのせいもあるのか、私たちはクラスのみんなに仲良し認定を受けていた。
たまに付き合っているのか? とか茶化されることはあったが、そこは彼のの生来の性格のせいか冗談で終わり、悪質な噂などは流れなかった。
この一月彼と関わってみて思うことは、彼は物語に出てくるような本物の陽キャラだなぁ、ということだった。
多分勇者とかそんな感じだ。
彼の明るさは彼自身も彼の周りも笑顔にしていく。その様はやはり私にはとても眩しく感じるものだった。
それでも、一月一緒に過ごせば青空の眩しさにも慣れてそれなりに楽しく過ごせるようなっていた。
「ただいまー」
誰もいないはずの薄暗い家の中に声をかける。
今日は母は婦人会とやらの集まりで留守にしているのだ。
コトン
「!!」
誰もいないはずのリビングからの物音に思わず体が跳ねる。
じっとリビングの方を見るが、何も聞こえない。
どうしよう? と逡巡するが、意を決してリビングの方へ一歩踏み出した。私は足音を忍ばせて恐る恐るリビングに忍び寄り、中を覗き込んだ。
「誰だ!?」
中を覗き込んだ瞬間、自分より大きな人影が頭上に落ちた。
身を竦ませて、ばっ、と見上げたらその人影とちょうど目が合った。
暫くお互いに固まっていたが、最初に動き出したのは私の方だった。
「……お父さん。どうしたの? こんな平日の昼間に」
数か月振りに見た父に姿に戸惑う私を見て、父もこわばらせていた肩の力を抜いた。
「ーーーー綾香、か。そうだよな、母さんは今……」
なにやらぼそぼそと呟く父の周りに視線を滑らせる。いつもと同じ光景のはずなのに、どこか雑然として見えるリビングの風景に私は眉をひそめた。
「ねえ、お父さん、何、してたの?」
「………………」
私は無言の父に詰め寄った。
「なんで帰ってこないの?お父さん、私ーーーー」
「ーーすまない」
私の言葉に被せるように父が行った謝罪は静かで、しかし言葉を紡がせない強さがあった。
一転、その場に静寂が訪れる。
お互いに息の詰まるような重苦しい時間がしばらく続き、やがて父はぼそっと呟いた。
「綾は母さんに似てきたな……」
その言葉を皮切りに動き出した父は、私の方を見ようともせず横を通り過ぎリビングを出ていこうとした。
思わずバシッと父の腕をつかむ。
「待ってよ、お父さん!!」
パンッ!!
鋭い音が響き、強い力で腕は振り払われた。
唖然と見上げた父の顔は憎悪と嫌悪が宿っており、私は思わず息を止めた。
父はそんな私を見てぎゅっと目をつむって下を向いた。一瞬の後に顔を上げた父の顔にはもう何も浮かんでいなかった。
前を向いた父は、今度は二度と振り返らずそのままリビングを出て、そうして家も出て行った。
カチャン、と家の扉が閉まる音がやけに寒々しく響いた。
その音につられて、止まっていた息を吐き出した私の膝からは力がぬけ、その場にへたりこんだ。
はっはっと、鼓動が煩い。
自力では閉じることもできない瞳からは、とめどなく涙があふれ落ちた。
その日、母は帰宅後私に何も言わなかった。
何かもの言いたげな顔はしていたが、結局言わないことを選んだらしい。ただ一言「早く寝なさい」とこの頃の母の声音からすると、幾分か優しいトーンで声をかけられただけだった。