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五章 十八歳、冬 籠が開く、その時に2

 家の前に到着した。

「いってらっしゃい」

「うん、頑張ってくる。……幸大君」

「へ?」

 素っ頓狂な声を上げる峯岸君に気分を良くして、私は家の扉を開けた。

 ガチャ

 ーー開いた。

 そのまま、私はリビングへ向かった。

「綾香、遅かったわね」

「お母さん、私、この家を出て行こうと思うの」

「……ばかなこと言ってんじゃないわよ、締め出すわよ」

「お母さんが私にしてきたことは虐待だよ? それに、私はもう十八歳なんだ。もうお母さんの親権は無効になってる」

「……」

「お母さんが私をここにとどめておくことはできないってことだね。私も知らなかったけど。ねえ、お母さん、どうしてこんな事したの?こんな軟禁みたいなこと」

「……」

「ねえ!?」

「……」

 途中から終始無言を貫く母を問い詰めるが、答えが何もかえって来なかった。

 しばらくして、私はあきらめて踵を返した。

最後くらいしっかり話し合っていきたかったが仕方がない。

「お母さん、さようなら」

 ゆっくりと玄関に向かって歩き出す。

 玄関を出ようとしたところで、強い力で腕を後ろから引かれた。

 振り向いたそこでは、血走った目で母が私に向かって包丁を振り上げていた。

「----っ、助けて!!」

 バンっと大きな音を立てて玄関が勢いよくあけられて、私の体は後ろに引っ張られた。

「大丈夫!?」

 峯岸君に抱きしめられた瞬間、安堵があふれてきた。

 なおも包丁を振りかざす母を見て、峯岸君は玄関の扉を閉めてかわす。そのまま、私を後ろに隠してドアから離れた。

 少しの後、母がすごい形相で玄関からでできた。腕をぶらんと力なくたれ下げ、包丁を揺らしている。

「綾香、こっちに来なさい、ほら、早く」

 その異様さに私は首を振ることしかできない。

「……そう。なら、死ねばいいわ」

 母は、ふらりふらりとこちらに寄ってくる。 私たちもじりじりと下がる。そんなやり取りがしばらくあった後、母は急にこちらに走り出した。

 とっさのことで、反応が遅れてしまい、振り上げた包丁がかすりそうになる。思わずぎゅっと目をつむった時、目の前を包丁の風切り音が過ぎ去っていった。

「っ、邪魔しないで、放しなさい、放しなさいよ!!」

 恐る恐る目を開けると、後ろから巽君が母のこと羽交い絞めにして抑えてくれていた。

近くには楓子もいて、通報してくれているようだ。


 母は暫く暴れていたが、身長も高く、スポーツをしている巽君の拘束が解けないと悟ったのか急に動かなくなり、だらんと虚ろな顔で何かを呟き始めた。

 そうしているうちに警察が到着した。

 現場を見て、急を要すると判断したのか警察官はすぐに母を確保した。

 私は安堵のため息をついた。

 どうして二人がここにいるのか、とか聞きたいことは沢山あるが、とりあえずは刺される心配は無くなったと思ったのだ。

 その慢心が良くなかった。

 母は警察官のすきをついて、私に飛びついて首を絞めた。ごふっと変な息がのどから漏れる。

 大人しくしていた母が急に動いたので対応が遅れたのだった。

 慌ててみんなで引きはがそうとしてくれるが、なかなか母の手ははがれない。

 意識が遠くなりかけた時、誰かが近づいてくる音がした。

「やめないか、母さん」

 それは紛れもしない父の声だった。

 母の手が少し緩んだ、その瞬間、私はその場のみんなに救出された。

 がくりと座り込んでゲホッと息を吐く。涙目のまま私は父を見た。

 ーーああ、八の字の眉だ。

 私から引きはがされた母が、そちらをみて怒鳴る。

「何が『やめないか』よ!!別の女のところで暮らして、娘の様子も見に来ないあんたにそんな資格あると思ってるの?」

「……すまない」

「あやまるなら、するんじゃないわよ!!裏切者!あんたもよ、綾香、育ててもらった恩も忘れて、私から離れて行こうとするなんて!!私には、もう何もなかったのに、なにも!!」

「……」

「どうして? この二十年、あなたに尽くしてきたじゃない。私にはそれしかないのよ。働いたこともない、学歴もない私には、妻で母であるということしかなかったのに、どうしてみんな奪おうとするの!?」

泣き崩れる母を私は哀しく見つめた。

きっと私たちは一個ずつボタンを掛け違っていって、そして取り返しの付かないところまで来てしまったのだ。

「行こう、夏沢さん」

「……うん」

「後は署の方で」

「わかりました」

 後ろで警察官と父がやり取りしている。

 私も、自分の電話番号と簡単な事情をを伝えて、後で詳しく事情聴取をするとのことで落ち着く時間を少しもらうことにした。

 父とすれ違う時、父が小さな声で「すまない」というのが聞こえた。

 私は俯いて軽くうなずくと振り向かずに歩いて行った。なぜか涙が止まらなかった。

 楓子と巽君には峯岸君が事情を説明してくれたみたいで、心配した二人が私の家に急行してくれたということだ。

 私はあの後、結局楓子の家にしばらくお世話になった。楓子の家族は彼女と同じく温かい人たちで、いろいろあった私を包み込んでくれた。

 高校は事情を鑑みて、追試を合格したら卒業としてくれるそうで助かった。

 結局、母は父の浮気を知った後、自立しようとして働いてみたはいいものの、経験が全くなかった母にはその職場はあわず、家事との両立も体力的にしんどくてやめざるを得なかったという経験から、妻であることに固執するようになったらしい。

 父に捨てられた時のお金や将来の心配が私の束縛へと繋がったらしい。私は母にとって、自分の存在価値そのものだったのかもしれない。それを揺るがそうとしたことが殺意につながったのではないかとのことだった。

 母は先にしばらく精神病棟行になるらしい。

 父からは正式に自分たちの問題に巻き込んでしまったという謝罪はあった。

 私は自立することを父に伝えた。少しのお金を受け取って、以後もう必要以上関わらないようにするということで話をつけた。父はもう、出張先に別に家があるようだったから。母の事だけは父に任せた。そうして、身軽になった後、私は峯岸君に会う約束を取り付けた。


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