一章 十五歳~十七歳 移り変わり色づき、枯れ落ちる
十五歳、春、五月
新しい高校にも慣れてきたころ、その日もいつも通り、塾から帰り、リビングへと向かう。
絵にかいたような理想の、とはいかないが、温厚な父と気の強い母が待っていて、二人で笑っている。
「あら、お帰りなさい。ごはんできてるわよ」
「お帰り」
「ただいまぁ!!」
三人でたまにしゃべりながら、ご飯を食べ終わり、新聞を片手にソファへ向かう父の背を見ていたら、ふと横から冷気が漏れてきた気がした。
横を見ると、母はさっきの笑顔が嘘のように、鋭い目で父の背を睨んでいた。
「お母さん?」
つい声をかけると、彼女はにこりといつもの笑顔に戻って「なに?」と聞き返してくる。
「ううん、何でもない」
十五歳、夏、八月
高校初の夏休み。
毎年、お盆のこの時期は家族の小旅行に行くことになっているのだが、今年は母が始めたパートの都合で延期になってしまった。
少し残念だったが、その分おこずかいを多めにもらえたので、友人と小旅行に行くことにした。子供だけでのお泊りは始めてだったが、めちゃくちゃ楽しかった。
父は「家族の親睦と、ただのパート、どちらが大事だ!」と、珍しく怒っていたが、母の「誰もお盆のシフトに入らないのだから仕方がないでしょ。あなたも良く言うでしょ、仕事の都合だって」という言葉に反論できず、渋い顔をしていたのを
覚えている。
最も、根っからのお嬢様気質の母のパートは、長くは続かなかったようだが。
父は「そら見たことか」とか言って、また母とケンカしていた。
十五歳、秋、十月
この時期の父の出張は、毎年のことなのに、珍しく母が父に「行くな!!」と詰め寄っていた。
父は眉を八の字に曲げて、情けない顔をしながら母をなだめている。
ふと洗濯籠の横を通り過ぎた時、ふわり、と嗅いだこののない花の香りがした気がした。
十六歳、冬、十二月
毎年、母が家族のためにと買ってくるクリスマスケーキは、今年は一回り小さいものになっていた。いつもより豪華な食卓も二人分しか用意されていない。
不思議に思って聞くと、最近父の仕事が忙しく、出張つづきらしい。
父も四十そこそこ。今が一番油が乗っていて、忙しい時期だ、と言われ納得した。
塾の友人の、エミの家の父親も休日出勤だ、出張だと忙しくしており、母とケンカしていたと聞いていたから、ということもあった。
どの家庭も大変だなと他人事のように思った。
「さ、食べましょう。今日は奮発して豪勢にしたのよ」
なぜかはわからないが、にこにこと笑う母の顔はどこか薄ら寒く、豪華なはずの食事はいつもより味が薄い気がした。
十六歳、春、三月
父が単身赴任に行ってしまった。
この頃から、母の様子が徐々に変わり始めたような気がする。
元々教育ママ的な要素は見受けられた母だったが、『もっと良い成績を』 『ピアノの上達を』 と望むようになり、家の門限や外出について厳しくなった。
塾も今までのコースを変更され、より難易度が高く、拘束時間が長いコースになり、自由時間が減って息苦しくなった。
父がいない寂しさを私に向けることで紛らわせているなら本当にやめて欲しい。だけど、父がいなくて少しばかり寂しいのは私も同じなので、まあ、付き合ってやるかと勉強に精を出した。
十六歳、夏、七月
久しぶりに、父が単身赴任から長期の休みを取って帰ってきた。お盆休みに出社する代わりに少し長めに休みがとれたらしい。
昨年の春頃に戻ったような家の空気にほっと息をこぼした。
良かった。父も母も笑っている。
この時ばかりは、拘束時間が増えた学習塾のことも、厳しくなったピアノのレッスンも忘れられた。
三人で笑いあいながら、私は、ああ、良かった。 と独り言ちる。最近感じていた違和感は私の思い過ごしだったのだ、と。
だって、二人ともこんなにも明るく笑っているのだから。
この父の少し長い夏休みの間は、気候のせいか家の中が温かくて、いつもは暑苦しくてうっとおしい気温も、どこか愛しいものに思えたのだった。
十六歳、秋、九月
今まで辛うじて行けていた部活を、早期退部することになった。
今月から母の方針で塾を移り、難関国公立向けの進学塾に通うことになったからだ。
母曰く、「夏休みに部活動のめりこみすぎて、模擬試験の点を落とすからいけないのよ」とのことだが、それは建前に過ぎないと思う。
以前から、母は、学校の部活動なんて、ほとんどの場合が進学や就職に有利に働かないから時間の無駄だと否定的だったから今回のことはいい機会だったのだと思う。
当然のことながら、私は反発したが、母が、自主退部しないのなら学校に行って顧問の先生にかけあうと言い出した。
大喧嘩になったが、最終的には私が折れることになった。
私ではそこそこ高い部費を払い続けることは厳しいし、何よりこのまま在籍していると顧問の先生にも、部活の後輩たちにも母が大迷惑をかけそうだった。当時、塾や習い事で休みがちになっていたのも折れた理由の一つだった。
この頃から、母の目線は私を見ていても私を通り過ぎており、目があうことがなくなったように思う。
だんだんと二人の会話の内容は塾の勉強の進捗具合や習い事の内容に終始し、家族の会話と呼べるような物はなくなっていった。
それでも、私は母に認められたかった。以前のように抱きしめられたかった。
私が勉強で成果を出せば、そしてそれが認められたならば、また母が以前のように笑って抱きしめてくれるのではないかと思っていた。しかし、頑張れど頑張れど、その兆候は見えなかった。
九月といっても、今年の秋の冷え込みはすさまじく、夏が暖かかったがゆえに、一層と肌寒く感じたのだった。
十七歳、冬、二月
回しは最後のインターハイに向けた今から頑張ろうだの、この冬休みを超えたら受験生だから今は、はっちゃけようだのと騒いでいたが、私はそれどころではなかった。
父と母が大ゲンカをして、父が一切家に帰ってこなくなったのだ。それまでは、二週に一度土日のどちらかには必ず帰ってきていたのに。
ケンカが始まってすぐ、私は二階に上がり、自室に立てこもっていた為、詳細はわからなかったが、静かになったリビングに佇む能面のような母の顔をみて、杉具にいつもの夫婦原価ではないことを悟った。
何も言葉が出てこずにじっと母を見つめていると、私の視線に気が付いたのか母がこちらを振り向いた。
ニコリ、と笑う母。
「どうしたの? こんなところにぼおと突っ立って。さあ、ご飯にしましょう」
いつも通りに見える笑顔がことさらに哀しく思えて、私はただ頷くことしかできなかった。
カチャリ、とリビングの扉を閉めた時、母から何やらつぶやきが聞こえた気がしたが、ささやくような声だったので、なんと言ったかはわからなかった。
「あなたはーーない」