閑話 幸福だった男の子
僕の家は、絵にかいたような幸せな家庭だった。
少なくとも、僕は長いことそう思っていたし、周囲の人々もそう思っていた。
会社の経営者の父と、カリスマ料理研究家の母。裕福な祖父母。
満たされていたし、僕自身も勉強もスポーツもある程度は苦なくこなすことができた。こんな幸せな家庭に生まれて、僕は幸せ者だと心の底から信じていた。
それが裏切られたのは、中学二年生の時だった。いや、裏切られたというより、僕が何も知らなかっただけだったのか、その日が訪れた。
朝起きたら、父と母の罵声が聞こえる。と、いうより、僕はそれまで彼らの罵声を聞いたことがなかったので、その現場を見て初めてそうだと理解したのだが。
母は、父が他に家庭を持っていることを調べ上げていて、そのことについて罵っていた。
晴天の霹靂だった。僕には顔も名前も知らない弟と妹がいるらしい。
それを知ったとたん、父が汚いものに思えて、僕が母さんを守るんだ!! とその時は思った。
それもあっけなく崩れてしまったが。
次の日、父型の祖父母がやってきて、母の事せめたのだ。なんてことはない、母にも他に恋人がいたというだけの話だった。
当時の僕からしたら、何を信じたらいいのかわからない地獄に落とされたような感覚だったが。
どうしたらいいか分からなくて、耳もふさげずに突っ立っていた僕に更に人間不信に陥るような事実が開示されていく。
祖父母は母のことが気に入らず、嫁いびりをしていたらしい。それに父の浮気相手の支援と、会えるように手引きもしていたらしい。
母は途中でそれに気が付き、今の恋人に慰めてもらったと言っていた。
祖父母は母が先進的な考えの女性であることが気に入らなかったらしい。今時流行らないと思うのだが、典型的な男尊女卑の考えをしていた。
そして、僕にとって一番つらかったことは、父にも母にも本当は必要とされていなかったという事実だった。
父にとってはもう一つの家庭のカモフラージュに利用できる存在だっただけだし、母にとっても、父の浮気の証拠を集めるまでの家族ごっこに必要であっただけだったようだ。
母が最期に「ーーあなたが私に似てくれていたら」という言葉は今でも心に刺さったままだ。
僕は男の子だったから、祖父母が僕を引き取った。でも、僕は自分勝手な考えで、家庭を壊す手伝いをした祖父母を許せる気がしなかったし、これから先も彼らのために生きる気もない。
ただ、その時は家が必要だったから、表向きは従ったふりをしていた。裏では憎しみを抱えているにも関わらず。
僕は学校でも優等生で通っていた。
その仮面は便利だったから、その事件があった後も表向きは利用した。
裏では荒れに荒れた。
酒、たばこは普通に吸っていたし、幸い僕は顔もかわいい顔をしていたみたいで、女の人と遊ぶのにも苦労しなかった。
遊んでいたときは【いらない子】の記憶も忘れられたし、僕の顔を見て性格が良いものだと決めつける女性を見下して、未成年に手を出す人をさげすんでいるうちは自分のプライドも守られた。
優等生と遊び人の仮面の二重生活を過ごし始めて、二年たったころ、その日も年上の人に抱かれている最中にふと鏡を見た自分の顔がかつて見た、嫌悪を抱いた父の顔と同じなことに気が付いた。
思わず吐き気がこみあげてきて、俺はそこから逃げ出した。
あれだけ嫌悪した父や母を忘れるために、今度は自分が同じ者になっていた、その事実を認めるまでしばらくかかった。
それにどれだけ遊んでも、酒やたばこを吸っても結局一人になった時にあの日を思い出してしまうのは変わらないのだ。
それから、徐々に母や父の件と向き合うようになった頃、一人の女の子の表情が気にかかった。
その子はずっと同じクラスだったが、グループはどちらかというと大人しめのグループにいた為あまり絡んだことはない子だった。
ただ、昔の自分にどことなく雰囲気が似ていたのだ。ちょっと箱入りな雰囲気とかその辺が。
その子の表情は時を経るごとにだんだんと暗く彩られて行って、少し前の自分と重なってほっとけなくなってきた。そして、高校三年に上がる年、同じクラスになるわけないと思っていた子が隣の席になった。
これこそ、天の采配というのだろうか。
「ねえーーーーだよね」
俺はその子に話しかけた。
どうか、この子には助けてくれる【誰か】がいますように。できれば、それは俺であれたならーー




