四章 十七歳~十八歳、秋 紅葉し、散りゆく木の葉3
その日もいつも通りに帰宅した。
「……ただいま」
小さな声で自分に向けて呟く。もちろん『おかえり』が聞こえることはなかった。
すぐに二階の自室に上がる。朝、閉めて行ったはずの扉が少し開いていたのがやけに気にかかった。
「……ただいま?」
布がかぶせてある鳥籠へ声をかける。
ーーおかしい。
いつもなら、『おかえり、お帰り?』と返ってくるはずなのに何も聞こえない。
顔から、いや、全身から血の気が引く音がした。
籠の上の布をとると、扉が開いている。ばっと窓の方を見やると、ほんの少し窓が開いていた。
(なんで!?朝、確かに閉めたはずなのに)
恐怖で全身が震える。背骨を悪寒が駆け抜けたまま、私はどこにいるともしれぬ小鳥を探しに、ふらふらと階下に降りて行った。
ーーねえ、どこにいるの?私の小鳥。
ふらふらと、階下に降りて、リビングに入ると、リビングのピアノの上に、黒い塊が置いてあった。
ーー私の、小鳥?
黒いピアノの上に、赤いカバーがかけてあり、そのさらに上に置いてある布の上にある小鳥の死体は、色の対比もあるのか、異様な存在感をを醸し出していた。
ふらふらと近寄って、そのやけに冷たい躯を抱きしめる。
リビングに母がやってきた。
「あなたが悪いのよ」
顔に感情を宿さないで話す母のその瞳だけは、おぞましい熱を宿していた。
「鳥籠の外へ出ないよう、躾けておかないから」
あざけるようにそう告げる母のその口元が、愉悦に一瞬歪むのを確かに見た。次の瞬間、それが幻であったかのように元に戻ってしまったが。
小鳥が外に逃げる様も戻ってくる様も見ていたという母は、いったいどんな気持ちでその様子を見ていたのだろうか。
怒りと恐怖を浮かべた私をみて、母は告げた。
「鳥籠の中で甘やかされていれば、その鳥も幸せだったでしょうに。お前も早く気が付きなさい」
そう言ってリビングから出ていく背を私は追うことができなかった。
まるで、その言葉は小鳥に向けられたというよりも、私に向けられたようで、躰か竦んで動くことができなかったのだ。
布越しでも伝わってくる冷たさが、私の小鳥がもう二度と『おかえり』と言ってくれることがないことを物語っていて、私の頬を失意の涙が幾度も伝って落ちて行った。
「ねえ、理恵、今日泊めてくれる?」
「久しぶり、いいけどどうしたの?」
「……卒業前に、もう一度一緒に勉強したいなって」
「ああ、なるほど。綾香ちゃんが塾を移ってからなかなか会えなかったもんね」
騙すのは気が引けたが、素直に今の感情を表現できずに適当な理由で言葉を濁した。
理恵は疑う様子もなく快諾してくれた。
ひと通り準備をして、私はリビングに一言 『家出します』の書置きを残して家を出て行った。
その日は楽しかった。
長年通っていた塾での友達は気ごころ知れているのもあって、一緒にいて居心地が良かったし、久しぶりに直に話すので話題が尽きなかった。
私は次の日は友達の家から高校へ行った。頼み込んで、もう一泊させてもらう。
そうして、友人達の家を転々として、一週間と二日立つ頃にはさすがに泊めてもらえそうなところが少なくなっていた。
こうなったら、楓子に電話するか、と迷ってるところに理恵から電話がかかってきた。
「もしもし?どうしたの」
「ーーあのさ、綾香、なんかあったの? なんか家に帰ってないって噂になってんの」
「……」
「あのさ、久しぶりに会えたのは嬉しかったけど、なんか事情があるんなら正直に話してもらわないと困るのよ。ーーあんたんとこのお母さんが、なにやら親の承諾なくあんたを泊めたからって誘拐だの騒いでるんだってさ」
「……」
「こんな事言いたくないけどさ、私らも大事な時期だし変なことに巻き込まんで欲しいのよ。……てか、私らのこと利用したの? 会いたいって嘘だったのかな?」
「……」
「無言ってことはそうなのかな? ーー悪いけど、しばらく連絡しないでくれない?あんたのお母さんに詰められて迷惑なんだよね」
「ーーわかった」
「言い訳もないんだね。じゃあね」
ツーツーと言って切れたスマホを見る。
自分が一番悪いとわかっているが、それでも味方になってくれない友達に対する失望と、母に対する憤りがわいてきた。
友達を誘拐犯にするわけにはいかない。
この時点で楓子や峯岸君に電話することはあきらめた。相談することも。
私は、泊まる当てがなくなったので、ふらふらとネットカフェを探して彷徨った。




