四章 十七歳~十八歳、秋 紅葉し、散りゆく木の葉2
「夏沢さん、どうしたの?」
心配そうに、峯岸君が顔を覗き込んでくるが、私はかまっている暇がなく、机にかじりついていた。
前ならすぐに覚えられたことが、今ではなかなか入ってこないので、何度も教本を読み返して口パクで唱える。
ガンガン鳴り響く耳鳴りをかき消すために、左耳を強く抑え、耳の周りに爪を立てた。痛みが私を現実につなぎとめてくれている内に勉強を進める。
「ごめん、今集中してるから」
冷たく答えた私を、彼はなおも心配そうに見つめてきていたが、しばらくすると諦めて自分の机へ戻っていった。
ーーこれでいい。
これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。彼らには彼らの進路があり、勉強があるのだから。
耳鳴りが強くなった気がしたが、気のせいだと、爪を強く立ててごまかした。
「ねえ、綾香ちゃん、今度の休み一緒に勉強しない?」
「ごめん、こないだの模試ちょっと悪くて、集中して勉強したいから」
「そっか……。うん、わかった。頑張ってね」
へにょっとした顔をする楓子に、悪いなと思いつつも拒絶した手前、それ以上会話を続けられずに私は無理に机のほうへ視線を戻した。
なんとなく、他の二人の視線も感じる気がする。
困ったように立ち尽くす楓子も、うるさい視線にも辟易して、私は席を立った。
「どこに行くの?綾香ちゃん」
「図書室で勉強してくる」
「……分かった。私も静かに勉強したい気分だから一緒に行ってもいいかな?」
「……ええ、まあ」
一転して嬉しそうについてくる楓子を苦々しい気持ちで見ながら、図書室に急いだのだった。
そんな日々を過ごして、秋も深まってきたころ塾で模試が開催された。
私は全力で挑んだつもりだった。しかし、結果は振るわなかった。前回よりは多少良くなったものの、夏前とは比べ物にならない。何なら、以前は解けた問題もどういう訳か、解けなくなっているものが多かった。
どんよりした気分で帰宅した私に、母が当然のごとくと追い打ちをかける。
結果、ますます勉強に身が入らずに成績は落ちていく一方になっていた。
そんな中、珍しい人から連絡が来た。
父からだ。
十一月には私の誕生日があり、今年は帰宅できないので何か希望はないか? という内容の連絡だった。
帰宅できないのではなく、したくないの間違いだろうと言いたくなったが、私は疲れ切っていて、これ以上のもめごとは起こしたくなかった。何より、あれ以来、父が気持ち悪くて仕方がない。
ただ、このまま何もいらないと答えたら損をするだけだと、何となくわかっていた。
少し考えて、今の私には癒しが足りないのだと結論付けた。きっと何かに癒されたら、この疲れ切った状況も少しは改善するに違いない、と。
そうして、父への嫌がらせも含めて、私は自分の誕生日プレゼントに【小動物】をねだった。却下されるかと思ったが、意外なことに父は私の要望を聞いてくれた。
きっと罪悪感があったんだろうと思う。
私の誕生日プレゼントとしてやって来たのは小さな小鳥だった。
もしかしたら言葉も覚えてくれるかもしれない種類だったので、頑張って言葉を教え込んで、私の話し相手になってもらおう、とか久方ぶりに明るい気持ちで満たされた。
母は、父からの誕生日プレゼントである小鳥には、表立ったは文句は言えないみたいだった。だが、思うところはあるのだろう。プレゼントとして家にやって来た小鳥を見て、すごい怖い顔をしていた。
プレゼントを運んできたのが、父ではなく、以前父と一緒に家に飲みに来たことがある後輩だったことも母の機嫌を悪くした一因だと思う。
そんな経緯でやって来た小鳥を、私は大事にした。
小鳥が来た頃から、耳鳴りが小さくなった。 勉強も前ほどではなかったが、集中できるようになってきた手ごたえがあった。
母とほぼ会話がない中でも、言葉を覚えさせるという名目で話しかけていた。
小鳥はピチュピチュとかわいらしい返事をくれて、それによってまた癒されるのだった。
「綾香ちゃん、最近楽しそうだね、何かあったの?」
いつものようにお昼ご飯を一緒に食べていたら、楓子が話しかけてきた。
最近、一緒に食べていても、あまり話しかけられなかったので少し意外だった。
「実はね、今年の誕生日プレゼントが小鳥だったの!!私がリクエストしたんだけど、母が動物全般苦手だし、父も興味がないから、聞いてくれるとは思ってなかったんだけどね」
「そうなんだね!それで最近の綾香ちゃん、嬉しそうなんだ」
「そんなに分かりやすい?」
「……うん。だって、ねぇ?」
どこか含みを持たせて、楓子は巽君と峯岸君のほうを見る。
二人とも、うん、うんと大きく頷いていた。
「まあ、夏沢さんの調子が戻ってよかったよ」
「ほんと、それな。ちょっと前までの夏沢さん、鬼の形相で怖かったからな。鬼気迫るってああいうことをいうんだろうぜ」
巽君が冗談っぽく失礼なことをいうが、普段怒ってくれる二人も今回ばかりは同意したようにうなずいていた。
そんな風に見えていたと初めて知って、私は恥ずかしくなった。
「鬼気迫るって、そんな風に見えてたの?」
「「「うん」」」
三人に同時に頷かれて、私は突っ伏した。
「でも、良かったよ。なんか、心配になる感じだったからさ」
「そうだね、ねぇ、写真か何か、ないの?」
「あるよ!!ほら、見てよ、これ。可愛いでしょ」
ワイワイ話していると、心の中が軽くなっていく気がした。まるで、まだ名前を付けられていない小鳥が私を大空へ連れて行ってくれたようだった。
小鳥が最初にしゃべった『綾香、綾香』という音声をみんなでかけてはしゃぐ。
ちょっと前までは、なんだかみんなが遠い存在のような気がしていたのに、げんきんなものだった。
ーーあの時、どうしてすぐに小鳥に名前を付けてあげられなかったのだろう?
きっと、わかっていたのだ。お別れが近いことを。私を大空へと連れて行ってくれようとした小鳥は、私をおいて虹のかなたまで行ってしまった。
名前をちゃんと付けて、弔ってあげられたら良かった。今でも、大事に思っているよ、私の小鳥ーー




