三章 十七歳、夏 雷鳴の夜5
「それじゃ、また学校で」
「うん、またね」
「幸大、ちゃんと夏沢さんのこと送っていきなよー」
「言われなくても分かってる。稜人もまたな」
そうして、楓子と、巽君と別れて歩き出した。横を見ると、峯岸君はナチュラルに隣を、しかも車道側を歩いている。
なんだか申し訳なくて、私は彼を伺うように見つめた。
「いつも送ってくれてありがとう。だげど、今日はもう遅いし、一人でも大丈夫だよ」
「ん-、別に気にしなくていいよ。俺が夏沢さんに何かあったら気になるから送ってってるだけだし。それに、放置して帰ったら俺が花咲さんに殺されそうだから、むしろ遅らせてください、お願いします?」
言っていてゾワッとしたのか、首のあたりをさすりながら冗談とも本気ともつかない口調で言う峯岸君の言葉に笑いがこぼれる。
まじか、楓子強い。最強か?
「いや、まじで。花咲さん、怒ったらめちゃくちゃ怖いと思うんだよね」
弁解するように言い募る彼の姿に更に笑いがこぼれた。
「うーん、どうかな? ……確かに普段はおとなしいけど、意外に意思が固いところあるから、そうかもね」
何気ない会話が、憂鬱な帰り道を明るく彩ってくれた。本当に、彼はすごいと思う。
「ここでいいよ。ありがとう」
前送ってもらった所よりも少し遠く、家から離れたところで私は止まった。
「今日、めちゃくちゃ楽しかったね、亀のこともありがとう。この子、よろしくお願いします」
名残惜しく思いながらも、彼に子亀の袋を渡す。
「俺も楽しかった。……うん、確かに受け取りました。成長報告するね。うん、また学校で」
私は、彼が街灯の光の先の闇に消えていくのを見送ってから、踵を返して、ふうっと大きく息を吐いた。
「よし!!」
気合を入れてから、私は自宅の方へ向かった。
カチャリ。とできるだけ音を立てずに扉を開けて中に入る。
(あーー)
内心で大きなため息を吐く。
いつから待っていたのか、母が能面のような表情を貼り付けて、玄関先で待っていた。
私は肩を落とすと、意を決して母の方を見た。
暫く、互いに無言で見つめあっても、何もアクションがなかったので、そのまま私は母の横を通り過ぎて二階に上がろうとした。
通り過ぎざまに母が口を開いた。
「あなた、自分が何をしたか分かってるの?」
静かで平坦な声が、廊下に無機質に響く。
「何をしたかって、私はただ友達と出かけてきただけだよ」
「……私は、行くな、と言ったのよ」
「行っちゃいけない理由がよくわからない。横暴だよ。勉強もちゃんとしてるし、お母さんに私の交友関係を決める権利、ないと思うけどな」
「ーーーーあなた、今のクラスに変えてから変わったわね。前はもっと聞き分けが良かったのに。変な人たちと付き合い始めたからかしら?」
私はわざと聞こえるように大きくため息をついた。
「はぁー、違うよ。友達のせいにしないで。会った事もないでしょ。てか、変わったのはお母さんの方じゃん」
「なっ、私のせいだっていうの!?私はこんなにあなたの事を考えているのに」
相変わらず、【私の為】を免罪符にする母にキレた私は、今まで言わずに済ましていた本音を思わず言ってしまった。
「……私の事なんて考えてないでしょ?お母さんは私を思い通りにしたいだけ。ーーお父さんの代わりに。そうでしょ?」
私の言葉に、母は瞳を揺らした。
「っ、どうしてっ? そんなこと言うなんてっ……あなた、お父さんに似てきたのね」
そういって、今度はぶつぶつと虚ろな目をして、早口で何かを呟き始めた母をおいて、私は二階へ上がっていった。
階下からは、しばらくの間ぶつぶつとした呟きが不気味に響いていた。
「あなたは私の言うことを聞いていれば幸せなのよ。そうでなければいけない。そう、一人では生きられないのだからーー」
呪いのような母の言葉が、自室へ逃げる私の背にまとわりついて刻み込まれて行く気がした。
その日から、母と私は冷戦状態に入った。
こだわりなのか、何なのか、母が家事を放棄することはなかったが、それが余計に異常さを物語っていた。
無言の重圧に満ちた家はいまや、息の詰まりそうな牢獄と化していた。
こんなにも夏休みが憂鬱なのは初めてだった。夏休みが始まる前は、これ以上は暗くなるまいと思っていたのに。
夏休みが始まった時は嫌だ、嫌だと思っていた塾は、今では家に帰らなくてよいいい口実となり救いになっていた。




