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 昼前に目を覚ました。昨夜の毛玉の件で、買ってきた酒やアテの事をすっかり忘れていた。ちょっと遅いが朝食はそれでいいか、起きてすぐ酒を飲めるなんて休日は最高だ、などと考えながらベッドから出る。そこで、毛玉の投稿の事を思い出した。

 急いでSNSを開く。バズってるか!?ドキドキしながら投稿を確認する。このSNSでは、昨今のアップデートで、投稿に対する閲覧数が表示されるようになった。だが、閲覧数はまさかの33。当然、いいねや返信もついていない。いや、投稿してからまだ半日も経っていない。これから伸びるはずだ。メディアとかがとりあげてからが勝負だろう。しかし、二の矢をうつべきか?いや、投稿しすぎると、新鮮味や特別感が薄れる。焦るな…。夕方までは待とう。


 相変わらず、モミワーの公式SNSには、毛玉の事は書かれていない。アップデートが行われたという告知もない。毛玉の事を運営に報告しようと思った時期もあったが、思いとどまった。せっかく非日常の扉が開いたというのに、未実装のものが手違いで配布されたとか、キャラクターの所有権はモミータにあるとか、そういった事で万が一毛玉を取り上げられたら、面白くない。

 そう思うと、SNSの投稿も早計だったかと思い始めた。幸い、今なら33人にしか閲覧されていない。削除すれば間に合うだろう。急いで毛玉の投稿を削除する。閲覧数が35になっていたが、まあ大差はないだろう。


 ホーム画面で元気に跳ねている毛玉を、アプリから呼び出す。

「おはよー!ししょう!」

 呼び出した矢先、クソでかい挨拶をしながら体当たりをかましてきたので、また腰を強くうつ。こいつは加減というものを知らないらしい。しかし、挨拶をされるなんて久しぶりで、少し恥ずかしい。

「おい、痛いっつうの!あ、あと、声のボリューム、もう少ししぼれ!」

 注意と苦言に、照れ隠しが混ざってしまった。データ相手にモジモジした自分をちょっぴり情けなく思った。

「ぼりゅーむ?」

「声がでかいってこと!ここ、壁が薄いんだから、近所迷惑なの!」

「わかった!!」

 その返答がクソでかい声の時点で、言っている事は理解できていないだろう。休みのうちに実験を済ませたいと思って呼び出したが、イライラしそうだ。まあそれに勝るほど、ワクワクもしているが。

「とりあえず、飯食うか?腹は減ってるだろ?」

「ううん、だいじょぶ!」

 腹は減っていないのか。俺はかなり空腹だが。中では時間の流れが違うのか?それとも何か空腹フラグ的なものがあるのだろうか?まあいらないというなら、食事の観察は後でいいか。消化の具合とか、胃袋があるのかとか見たかったが。

 別の質問を考えながら、昨夜のアテを温める。

「この匂いわかるか?から揚げ温めてるんだけど。」

「いいにおい!昨日たべたのよりおいしい?」

「昨日食べたのは~、ちくわか?ちくわもうまいけどな~。俺は唐揚げの方が好きだな。」

「き、昨日より…おいしい…。ちくわより…。」

 唐揚げのポテンシャルにかなり驚いているようだ。今の返答を聞くに、鼻はあるようだな。匂いセンサーみたいなものがあるのかな。それもどこにあるのか、ふわふわな毛のせいでよく見えない。

「スマホの中ってどんな感じなんだ?」

 温め終わったから揚げをテーブルに乗せて、ビールをあける。

「どんな感じ…わっ!!」

 缶ビールの「カシュッ」という音に、毛玉は話すのをやめて、毛を逆立てる。目を丸くして缶ビールを凝視する姿に、思わず吹き出してしまった。

「今のは缶の圧力が抜けた音だ、気にすんな。それで、スマホの中はどんな感じなんだ?」

「あつりょく…?」

 俺の質問には答えず、缶に興味がうつったようだ。俺がもつ缶ビールに恐る恐る近づいて、様子を見ている。猫みたいだ。気にせずビール口に運ぶと、今度は俺の顔を信じられないといった顔で凝視する。

 いちいち反応がめんどくさいな。こいつと会話するのに、この世の全てを逐一説明しないといけなのか?

「はぁ~、めんどくさいやつだな。」

 毛玉の興味がコロコロ変わって、落ち着いて会話ができない。多分唐揚げを食わせると、缶ビールの事なんか忘れるんだろうな。

「ほら、唐揚げでも食え。」

 床にポイッと投げ出された唐揚げを、見えない鼻でクンクンと嗅いでいる。ちくわは躊躇せず食べたのに、唐揚げにはやけに慎重だな。空腹の度合いで警戒心が変わるのか?俺が唐揚げを口に運んだのを見ると、毛玉も納得したように口に含んだ。

「でかい声出すなよ。」

 ちくわであんなでかい声を出したやつだ。唐揚げでも当然、クソでかい声を出すだろう。むちゃむちゃと咀嚼している毛玉に釘を刺したが、毛玉はごくんと飲み込んだ後も、何も言わなかった。

「あれ?まずかった?」

「うーん、おいしーけど…。ちくわの方がいい。」

 拍子抜けだ。空腹は最大のスパイスってやつだろうか。それともアルターは魚介類が主食なのだろうか。嗜好の隠しパラメータでもあるのかな。まあ、なんにせよ安上がりな舌でうらやましい。


 食事をしながら毛玉に対する次なる実験を考えていると、玄関から激しいノック音がする。このノックの仕方は、まずい。うるさくしすぎたかな。

「は、はい!はい!すぐ出ます!!」

 箸とビールを放り出し、すぐに玄関へ向かう。玄関の扉を開けると、紫色のパンチパーマがすごい剣幕で怒鳴り散らす。

「あんた!!女連れ込んでるでしょ!昨日からうるさいったらありゃしない!ウチは壁が薄いんだから丸聞こえなのよ!昼間っからイチャイチャイチャイチャ。ここはラブホテルじゃないんだよ!同棲するならね、家賃2人分払いなさいよ!あんた!払わないなら出てってもらうから!いつも言ってるでしょ!?あたしはペットの世話で忙しいんだから、昼間も貴重な休憩時間なの!猫ちゃんたちだってあんたらがうるさくて寝られないってずっと鳴いてるわよ!!だいたいあんたねえ…。」

 長くなりそうなので、俺はすかさず”無のスイッチ”を押し、説教を右から左にうけながす。申し訳なさそうに「はいはい」言っておけばすぐ終わる。

 猫を抱えた紫ヘアーのこのおばさんは、アパートの大家だ。隣の部屋で猫を多頭飼いしていて、猫たちを相当溺愛している。曰く、飼っている猫は、すべて捨て猫や野良猫で、生活費の大半は保護活動にあてられているらしい。そのため、大家でありながら、生活にあまり余裕はないようだ。アパートの住民が家賃の支払いを1日遅らせただけで、猫が死ぬ~だの猫殺しだ~だの、ものすごい剣幕で乗り込まれる。俺も大家さんに乗り込まれたのは、両手で数えただけじゃ足りない。動物への優しい気持ちを、俺たち住人にも少しは向けてほしいものだ。とはいえ、毛玉の事をどう説明したものか。女じゃなくて、あの声毛玉なんですよと説明したところでわかってもらえると思えない。

「で、その女は!!奥にいるの!?」

「はい、すみません、おっしゃる通りです。はい。」

「なら、挨拶するのがスジじゃないの!すぐ呼びなさい!!あと家賃ね!2人分!」

 しまった。毛玉の事を考えてて返事が適当になりすぎた。呼んで来いったって、毛玉だし。どうしよう。

「あ、あー。えぇーっとですね!そのぉ~、彼女は風邪ひいてましてぇ、大家さんにうつしたら大変ですし。あ!猫ちゃんもね、いますしぃ…。」

「嘘言うんじゃないよ!!あんなでかい声出せる病人がいますか!」

 やばい。部屋に戻って声色を変えて誤魔化すか?いや、それよりも誰もいないことを証明すればいいか。毛玉をスマホにしまって、誰もいない部屋を見せれば、動画の音が大きくなりすぎたどうたらで誤魔化せる。よし、その線で行こう!

「実は、彼女ってのは嘘なんですよぉ。いや~、彼女がいるなんて、見栄はっちゃいました。ホントはスマホで見てた動画の音量が…。」

 と言いながらスマホを取り出す。俺の巧みな話術にビックリしたのか、大家は言葉を失って固まっている。自分の機転に俺自身も言葉を失いそうだぜ。だが大家の視線は、俺ではなく、俺の足元に向けられていた。見ると、毛玉が不思議そうに大家と猫を見上げている。

 まずい。こいつ、玄関まで来ちまったのか。ドアをきちんと閉めなかった自分の落ち度を攻めた。だが今はそれどころではない。とっさに「しまう」を押して、毛玉をスマホにうつした。しかし、すぐにそっちの方がまずい選択であった事を悟る。

「な…。え…?」

 大家は何か言おうと口をパクパクさせているが、言葉がうまく出てこないようだ。

「ええ…っとぉ~…。」

 焦って言葉が出てこない。しかし、頭はものすごい早さで言い訳を考えている。

「今のはバーチャル猫ちゃんで~。」いや、大家に媚びを売るために猫というワードを考えたがダメだ。逆に興味を示して詰められそうだ。

「おや?何かありました?」いや、かなり長い事見てたっぽいし、無理がある。

「最近掃除していないからでかい埃が~。」いや、目が合ってたし。なんで毛玉はあんなでかい目してんだクソ。つうか部屋汚してんのかって、別なとこで怒られそう。

「紹介します。ピコリンです。かわいい毛玉です。」いやいや、それが出来ないから困ってるんだろうがだだ。

 黙っている時間が長すぎるか?何か言わなきゃ…何か。そう思った俺はとっさに、

「ちがうんですよぉ?」

 と死にたくなるほど間抜けな声で、意味の分からない言葉をひねり出した。


「何が違うのよ。明らかに何かの動物だったでしょ。あんた、ペットを口実に女を連れ込んだってわけ?」

 大家も落ち着いてきたのか、ますますひどい疑いをかけてきた。

「違います!女もいませんし、ペットも飼ってません!」

「じゃああのうるさい声とさっきの動物はなんなのよ!」

「えっと…あの声は…。」

 落ち着け…。とりあえず、1つずつ解決しよう。大家が訴えているのは、女の声と足元に現れた毛玉の件。まずは女の件だ。とりあえず、スマホの中なら毛玉がしゃべっても問題ない。スマホゲームくらい大家だって知っているだろうし。「ゲームに夢中になっていたら、音量が大きくなってしまった。」これでいこう。これで声の件は解決できる。そして、その話をしている間に、消えた毛玉の言い訳を考える。よし、完璧だ。大丈夫、俺ならできる、いくぞ!

「このゲームの音声です!呼ぶと返事するんですよ。ピコリンちゃ~ん!返事して~!」

 と自分でも寒気がする猫なで声で毛玉に呼び掛ける。しまった、気合が入りすぎた。しかし、スマホから返事はない。アプリを誤って終了させてしまったかと思い、スマホを確認するが、モミワーは起動されている。毛玉は俺の気持ち悪い声に警戒して、じっとしている。

「おい!早く返事しろって!」

 スマホを無意味にブンブンと振る。その様子に、大家は汚物を見るような視線を向けてくる。クソ。すぐに誤解を解かなければ。と思ったが、すぐさま考えを改める。待てよ?このまま汚物として振舞えば、呆れて出ていくのではないか?

 それだ!ダメージはでかいが、この場はしのげる。声の件も毛玉の件も、どちらの問題も一気に解決。どうせ大家には、嫌われようが避けられようが、関係ない。

 作戦を変更して、汚物を演じきる覚悟を完了する。

「ピッコリンリン、ピコリンちゃ~ん!お話しましょー!そうしましょー!」

 踊りを加えて更に汚物度をあげる。想像していた以上に恥ずかしい。極度のストレスによって、声も身体も震えてきた。覚悟を決めたつもりだったが、ほんの数秒で心が折れそうになる。思えば、お酒のせいで少し気が大きくなっていたのかもしれない。ドン引きの大家ごしに、玄関が開いている事に気づいた。まさか、この声。外にも漏れているのか…。死にたい。

「あんた…。」

 大家の表情が哀れみや恐怖に変わってきた気がする。もう少しだ…。あと少しでこの地獄は終わる!畳みかけろ!

「ノッピョッピョピョピョーン!ピョッピョッピョー!ピコリコピョーン!」

 自分でも何をしているのか、何を言っているのかわからなくなってきた。腕や足をめちゃくちゃに動かして息が上がる。涙で視界がぼやけ、手が震える。動悸がうるさい。時間がものすごく長く感じる。と、手の力が抜け、スマホを落としそうになった。このパターンは、まずい。とっさに拾い上げようとして、スマホを両手でがっしりと掴む。その途端、スマホが眩しく光る。

「ししょう…?」

 毛玉が泣き出しそうな俺を足元から見上げている。今つかんだ表紙に「出す」を押しちまったのか…。

「あぁ…あ…。」

 声を出せば今にも泣きだしてしまいそうだった。指先がチリチリする。口の中はカラカラだ。目の奥が熱い。

 大家は、言葉を失っていた。だが、毛玉が現れた事に驚いているというよりは、ごまかそうとしていた俺の努力が、すべて無駄になったという事を察して、なんと声をかけるべきか迷っているようだ。

「あんたも…その…大きな声出せるのね…。」

「うっ…ふぐぅ…!」

 思わず泣き出してしまった。大家の気遣いが、傷ついた心を余計にえぐった。もう消えてしまいたい。


「ししょう?ケガしたの?どこか痛いの?どうして泣いてるの?」

 泣いている俺に、毛玉はズケズケと質問を投げかけてくる。

「ええと、この人の事は、いいんだよ。それよりあなた、お名前は何て言うの?」

 こうなると、今はたしかに俺の事は放っておいてくれたほうがありがたい。こういった気遣いは年の功だろうか。

 大家は毛玉の前にしゃがんで、なるべく目線を合わせて話しかける。落ち着いていて、声には優しさを感じた。大家に抱かれている猫は、謎の生物が目の前にせまっても、大人しくしている。

「あたし、ピコリン!ししょうのいちばん弟子だよ!」

「へぇ~。こんなのに、こんな可愛い弟子がねぇ~。うんうん、お話上手ねぇ~。」

 目じりを下げて、俺へ断りなしに毛玉をなでる。動物の接し方を心得ているようで、毛玉も嫌がっている様子はない。こんな優しい大家は大家じゃない。

「あの…。」

 と鼻を啜りながら大家に恐る恐る話しかけてみる。だが大家は俺よりも、毛玉と話すのに夢中だ。

「ピコリンちゃんは、猫ちゃん?ワンちゃん?」

「あたし、アルターだよ!」

「そお〜。可愛いねぇ〜。おやつは猫ちゃんのでも大丈夫~?」

 そういって、猫用ビスケットをエプロンのポケットから取り出した。毛玉は匂いを嗅いで、安全だと判断したのかむちゃむちゃと食べ始める。うんうんと大家は満足そうにその様子を見ている。

「可愛いねぇ、ピーちゃん。」

 一瞬、猫に話しかけたのかと思ったが、ピコリンだからピーちゃんか?勝手にあだ名をつけ始めた。

 大家はこの謎の生物がスマホから出てきた事など、どうでもいいらしい。可愛い動物ならなんでもいいのか?酔狂で動物保護やってるだけあるな、と変なところに感心した。

「あのぉ~…。」

 もう一度俺が話しかけると、大家はすっと立ち上がってまくし立てる。

「うるさいのは承知しないけど、この子ならしょうがないね!あんた師匠だっていうなら、きちんと世話すんだよ!ピーちゃんの泣き声なんか聞こえてきたらあんた、追い出して警察に突き出してやるからね!いーや、わたしがぶっ飛ばす!いい!?わかったね!!」

「は、はぃ…。」

 大家の剣幕に思わず返事をしてしまった。毛玉を虐待した憶えも、する気もない。だが今後は隣の大家という監視がついていると思うと、やましい事はないが、いい気はしない。

「じゃあバイバイね、ピーちゃん。また会いに来るからね。バイバイね~。」

 そういって玄関から出ていく大家。またねーと元気に跳ねる毛玉。涙目で鼻をすすり、立ち尽くす俺。

「ししょうのお母さん、やさしいね!」

「いや…親じゃねえよ…。」

 俺の尊厳と引き換えに、大事にはならずに済んだようだ。

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